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2015/06/18 00:00  | 中東 |  コメント(1)

トルコの「ゼロ・プロブレム外交」の挫折


前回の記事「トルコ総選挙」で、トルコが今後経済発展を続けていく上では関係国との外交関係を安定させることが重要である点を指摘しました。そこで、今回は、AKP政権が展開してきた外交について述べます。

中東外交のキープレイヤー

まず、本論に入る前に、トルコ外交の中東における位置づけについて簡単に述べておきます。近年の中東の国際関係は非常に複雑化していますが、これを理解する上で重要なポイントは、まず中東のキープレイヤーの動きを把握することです。

中東のキープレイヤーとは、いわゆる中東における「大国」であり、具体的には、①エジプト、②サウジアラビア、③イラン、④トルコ、そして⑤イスラエルです。民族的にいえば、①アラブ人、②ペルシア人、③トルコ人、④ユダヤ人が中東の動きを決めているわけですが、これらの国々の動向を見ればその動きの大要がわかる、ということです。

これらの大国の動向をまず理解した上で、その他の中小規模国であるイラク、シリア、レバノン、イエメン、湾岸協力会議(GCC)諸国の状況を見ると、中東全体の見取り図が描きやすくなります。この意味で、トルコ外交をおさえることは極めて重要といえます。

積極的な全方位外交

エルドアン首相(当時)が率いてきたAKP政権は、2002年の発足以来、国際政治学者であったダウトオール外交顧問・外相(当時、現首相)の主導の下、「ゼロ・プロブレム外交」と称する多面的外交を展開してきました。これは、イラン、シリア、エジプトなどの隣国との関係を改善し、中東において他国と軋轢を生じている国々に対しても必要に応じて仲介の労をとるという、積極的な全方位外交です。

「トルコの政策金利据え置きと総選挙」で述べたとおり、AKP政権は、イスラム国家としてのアイデンティティを重視しながらIMF主導の経済改革を実行しましたが、同時に、中東諸国との経済関係の強化を追求しました。そして、実際に高度経済成長を成し遂げ、自分たちの統治手法に対する自信を深めたことにより、自分たちのやり方を一つの理想的なモデルとして関係国にアピールする姿勢が見られるようになります。

しかし、この積極外交は、当初こそアラブ諸国との間での経済関係の強化などの成果を生み出したものの、2011年の「アラブの春」を契機に、中東の国際秩序の複雑さに呑み込まれ、結果として深刻な状態に陥ります。「ゼロ・プロブレム外交」を目指したのに、ただの「プロブレム外交」になったとか、「ゼロ・フレンド外交」になったなどと揶揄されています。以下、具体的にみていきます。

中東諸国との関係

まず、エジプトでの「アラブの春」の動きに対しては、モルシー大統領を積極的に支持し、これをクーデターで倒したシシ政権を激しく非難しました。モルシー大統領の支持基盤であるムスリム同胞団は、「エジプト・モルシー大統領の死刑判決」で述べたとおり、サウジらGCC諸国にとっては天敵にあたります。

したがって、これらの国々にとってトルコの外交は許し難いものでした。また、民主的な選挙による独裁政権の打倒を支持する姿勢は、トルコ式民主主義を輸出するかのようなイメージを与え、強い警戒心を抱かせました。

ちなみに、GCCの中でも、カタールだけはエジプト、シリアにおける民主化勢力を支持するという独自の路線を採っており、他のGCC諸国との間で軋轢が生じています。スンニ派諸国で構成されるGCCは、一見すると盟主であるサウジに従っているように見えるかもしれませんが、決して一枚岩ではなく、イラン、シリア、イエメンといった問題に対しては、各国の国内事情、状況に合わせてそれぞれ独自の動きを見せます。非常に面白いところです。これについてはまた別途説明したいと思います。

また、スンニ派諸国と敵対関係にあるイラン、シリア、イスラエルに対しては、伝統的に良好な関係を維持するという独自のアプローチをとってきました。しかし、シリアについては、アサド政権が民主化に対する弾圧的な政策を変更しなかったため、経済制裁への参加に踏み切りました。両国間では緊張が高まり、2012年には武力衝突に至ります。

また、イスラエルについては、パレスチナに対する軍事攻撃などに対して強く非難し、これまた関係は険悪になりました。イランとの間では、2011年の天然ガス・パイプラインの建設などの経済関係の強化もあり、何とか国際社会との仲介役の役割を続けています。イラクとの間では、フセイン政権が倒れた後、経済関係を強化して、良好な関係を築いてきましたが、マリキ政権のスンニ派に対する弾圧的な政策を非難し、関係が冷却化します。

「イスラム国」に対しては、米国からの要請があるにもかかわらず、直接的な武力行使を避けるという選択肢をとっています。直接に国境を接する「イスラム国」からの報復を怖れているということもありますが、米国が「イスラム国」掃討を優先し、アサド政権を事実上容認する結果となっていることが一因となっています。トルコとしては、アサド政権打倒を優先する方針をとり、反アサド派勢力への支援を行っているからです。

なお、シリアの内戦状況が極めて分かりにくいのは、反アサド派の中に、「イスラム国」、他のアルカイダ系組織、ジハード主義勢力、欧米が支援する「穏健な反体制派」が混在しており、その識別が困難であり、また、それぞれの組織に関係国が思い思いに支援をし、複雑な戦略的連携が生じているためです。詳しくは後日述べます。

また、「トルコ総選挙」で述べたとおり、トルコは国境地帯のクルド人を救出するために「イスラム国」と戦うという選択肢をとらなかったのですが、これは、現地のクルド政党PYDがトルコにおいて非合法化しているクルド政党PKKと密接な関係にあったことが背景にあります。ちなみに、トルコはイラク国内のクルド自治区とは友好関係にあり、その公式民兵組織「ペシュメルガ」には支援を行っています。

米国との関係

米国との関係については、エジプトのシシ政権(クーデター)に対する米国の融和的な姿勢、シリアのアサド政権に対する米国の中途半端な対応、「イスラム国」に対する対処方針をめぐる不一致から、緊張関係が続いています。

なお、「イスラム国」をめぐるトルコと米国の政策的不一致については、内藤正典『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』が参考になります。トルコの外交と日本の外交を比較する箇所に個人的には違和感をおぼえますが、信頼できる専門家による優れた文献です。

ロシア・中央アジアとの関係

ロシア・中央アジアの国々とは、「アラブの春」をめぐる混乱などの影響を受けず、エネルギー供給を中心に、経済関係の強化を進めています。特に中央アジアにはトルコ語圏の国々が多く、歴史的にも深いつながりがあります。

ただ、アルメニアとの間では、第一次大戦中のオスマン・トルコ領域内におけるアルメニア人虐殺事件などをめぐり、根深い対立の関係があります。2009年になってようやく国交正常化にかかる合意文書が署名されましたが、アルメニアでは依然としてこの文書の批准がなされていません。

「トルコ総選挙」で述べたとおり、トルコは地政学的に優位な場所に位置しており、そのポテンシャルは高いものがあります。新政権がゼロ・プロブレム外交の挫折をどのような立て直すかが注目されます。しかし、政権運営のかたちが見えず、まだまだ安定化に時間を要するとみられるので、プロブレムの解決もだいぶ先になるかもしれません。

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One comment on “トルコの「ゼロ・プロブレム外交」の挫折
  1. ペルドン より
    八方美人外交

    厚化粧・・
    剥げてくると・・みんな近寄らなくなる・・不満が出る・・
    24Kのおまるに座っている・・とは思わないが・・
    十年たてば・・トルコは歴史の轍・・踏むことになるのでは・・・(笑

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