2009/08/06 15:30 | 平和 | コメント(39)
そしてまた一年がたった・・・・
毎年この日が来る。
私がどういう気持ちでこの日を迎えているかということはこちらにありますので、新しい読者の方でご存知のない方は是非読んでみてください。
この記事からたった2年ですが、不愉快な話が多い中、この話に関しては毎年少しずつですが確実に進歩しているように思えます。
当時、この記事を書いている時は、やはりアメリカ人にこの話をするのはとてもストレスがかかりました。これで戦争が早く終わった、という考え方、つまり戦争には勝者、敗者とともに善悪がある、という考え方をなかなか曲げてくれないものでした。
確かに勝ち負けは付くのです。
そして日本は敗戦した。
しかし、戦争に善悪はなく、戦ったもの双方にとって悪、でしかないではないか(戦争の犠牲になった人々の命が本当にそれで報われた、と言えるのか)ということをわかってもらうには正直なかなか苦労があったのです。
しかし、まあ、若い世代が育ってきたこともありますが、何と言ってもオバマ大統領でしょう。歴史的な、あのプラハ演説、核廃絶に向けたあの演説はやはり大きかったと思います。大きな流れを作り出しました。
善悪、ではなく ”Totally Evil” というものの代表としての核、というものがクローズアップされ、そのプロセスに広島、長崎がある、という理解の仕方ができるようになりつつあります。
特にアメリカ人にとっては大きなブレークスルーになったと、つくづく思います。最近では先方から行きたい所、の中に広島、長崎が指定されることが増えてきました。
一方で何年も平和を訴え続けた広島、長崎の直接被害者の皆様の努力には敬意を評せざるを得えません。
被爆世代もどんどん減った来ましたが、その二世世代が我々の世代になります。引き続き言い伝えるべきこととして言い伝えていく責任が我々にはあると思いを新たにしているところであります。
PS 大地の子はフィクションでしょ、と軽い気持ちでしょうが、書いた人。
人間として、日本人として恥を知るべきです。
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39 comments on “そしてまた一年がたった・・・・”
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まず、誤解のないように申し上げますが、私は小説のモチーフになった人物を否定するつもりは一切ありません。ただ、小説を証拠のように扱うぐっちーさんの姿勢に疑問を持ったのでコメントをしたのです。
事実と事実を基にした創作は違うのです。
創作物を政治的な主張に利用するのは全ての人に迷惑ではないでしょうか。
ところで、肝心の「親とはぐれることと、誘拐されること、国境を侵犯する事は違う」というコメントの主旨はご理解いただけているのでしょうか。
たいへん、進歩的な考えと評価します。
が、そのアメリカが核兵器を捨てるのでしょうか?
一度握った最終兵器核を捨てるには余りに弱すぎる感情論に過ぎません。
またそれで中国、ロシア、インド、イスラエル、パキスタン、イランなどなど、、、、が
自国を守る絶対的最終兵器を捨てる根拠には余りにも弱すぎます。
戦争は国家存続を掛けた最終手段だと言う目出度い御方に申しますが、中国によるベトナムへの中越戦争です。
これは明らかに中国内部の権力闘争の延長戦にある内部抗争です。
ベトナムにとっては迷惑千万、降りかかる火の粉をそれこそ国の全軍事力を投入して追い払ったのです。
地方政府の力を削ぐ為に中央政府が命じた明らかな政略戦争でした。
そんな中国を側に置く日本がオバマの政治生命を維持せんがための政策に一喜一憂する事など笑止千万ですね。
これから未来には宇宙戦争を控え、近未来には大陸棚争奪、深海資源争奪と日本にとって国の存亡を掛けた戦いが迫っているのを知ってか知らずか全くの無視とは頂けませんね。
核こそ侵略されない最終兵器なのは誰の目から見ても明らかです。
核兵器は、拡散すればするほど、相互確証破壊よりも、道義的禁忌が強くなります。理由は、相互確証破壊が成り立たない中小国同士で核戦争の危険が高まるから、その抑止力として国際世論による道義的使用の禁止を訴えるからです。
もうすぐしたら、中国は、間違いなくアメリカを「核使用国」として避難しはじめますよ。線引きを「核保有国」と「核非保有国」の間でなく、「核使用国」と「核保有国」の間に引いて、道義的に有利に立とうとするからです。
>>被爆世代もどんどん減った来ましたが、
今までの日本の平和運動というのは、実際の戦争体験に基づく、戦争はひどい!というある種のトラウマ平和主義だったのではないかと思います。そういう意味で、アメリカは日本が覇権主義を求めることをなくすということに成功しました。
その一方で、引きこもり日本は世界に平和をもたらすということに、積極的な貢献はしてこなかったような気もします。たとえば、中東和平についても、日本は石油資源という観点からは、関心をもっても、オスロ合意のお膳立てのような積極的な平和をもたらす役割を果たすことは、あまりなかったような気がします。
今後、被ばくも含めた戦争体験者がいなくなることが遠い未来でなくなってきた今、これまでのトラウマ的平和主義による抑えは、いくら言い伝えると頑張って言ってみたところで、薄くなることは避けがたいことです。平和ということをこれからも、維持していくためには、広島を含めた戦争経験を伝えることだけでなく、無謀な戦争に突入した日本人の思考様式を冷静に分析し、これからの国際社会、具体的には東アジアで、どのように周囲の国と折り合っていくかを、理性的に判断して、行動する必要があります。
(アメリカをみても、戦争を始めるのは、個人レベルで戦争経験がない政治家(例えばブッシュ前大統領)で、戦争経験がある政治家(パウエル)は武力解決は好まないような気がする、、ブッシュシニアは、湾岸戦争を始めたが深入りはしなかった。)
8月は、とかく、平和ということを考える時期ではあります。しかし、憲法は国際紛争の解決に武力は用いない、と定めていますが、、では、ロシア、中国や韓国との領土問題、資源問題は、どう解決するのでしょうか? この時期は、平和、平和、と叫べば、平和になるというような一種の思考停止になっているのではないかとさえ、僕は思います。
また、日本人は8月6日、9日、15日を重要視しています。この日はいうなれば、戦争を始めたことによる結果が象徴的に表れた日です。国家とかそういうことを持ち出さないで、個人レベルで考えてみたとして、物事には、たいてい、原因があって結果が生じます。結果が悪い場合に、結果のみをとりあげて、次はもう同じ過ちはしません、、と強調しても、原因についてそのままにしていたら、たいていの場合、同じ過ちを繰り返すことになります。そういうことを考えると、平和ということを考えるのであれば、12月7日というのは、同じくらい重要な日なのではないかと思います。
のりぴーさんの息子ホゴされたようです(涙)本人も無事なんでしょうか(涙
究極の悪の象徴として「核」が語られるなら、
核をなくすという思想が蘇り、
新鮮に明日にも語られるなら、
オバマ大統領のプラハ演説は、人類の金字塔になる。
広島や
長崎で
影になったり、
黒い雨を浴びた人たちに手向ける、手ごたえがある言葉になる。
修学旅行で長崎にしかいったことない人間が言うのもなんですが、「ヒロシマのアメリカ人」の文中にある原爆記念館っておかしくないですか?
原爆ドームのことでしょうか?細かいことをいっているのかもしれませんが、少なくとも原爆は「記念」されるべきものではないと思います。終戦は「記念日」になっていますが、原爆投下はあくまで「原爆の日」であります。日本人として原爆が投下された現実が「記念」されるのには屈辱を感じます。
日本人にとって、夏は慰霊の季節でもあります。
悼む気持ちが平和につながるなら
せめてもの供養と思いますし
のちの世代に伝えていくべきものですよね。。。
核廃絶がかないますように。
戦争なんて、なくなりますように。
広島市出身ですが、初めて他県に越した時は8月6日があまりにも意識されていないことに驚きました。8時15分にサイレンもならないし、誰も黙祷していないし、テレビ番組も普通だし。同郷の友人もみなそういう違和感を感じているみたいです。
日本人はあれほど核で虫けらのように殺されたのに、アメリカをうらむことなく、核が世界から無くなることを祈る国民です。
一方○○人はいくら謝っても文句を言い続ける。こんな国に日本が負けるはずがない!
>当時、この記事を書いている時は、やはりアメリカ人にこの話をするのはとてもストレスがかかりました。これで戦争が早く終わった、という考え方、つまり戦争には勝者、敗者とともに善悪がある、という考え方をなかなか曲げてくれないものでした。
私は今でもこのストレスを非常に感じています。客観的事実からすれば、広島・長崎の原爆そして東京大空襲を初めとする大都市の無差別じゅうたん爆撃は、どう見ても非戦闘員の大量殺戮に他ならないのですが、それを虐殺であるとは考えない、というのがアメリカ人代多数の意見です。相当リベラルな人と話をしていても同様なので、非常にフラストレーションがたまります。真珠湾攻撃によって日本がはじめた戦争で、その結果広島・長崎などで大変な犠牲がでても、それは戦争を始めた日本の責任であるということを言う人が多いのです。
第2次大戦終戦から64年もたち、実際に太平洋戦争を戦った存命の退役軍人が減っているにもかかわらず、こういった見方がなかなか見直されないのが正直残念です。ただ、オバマ大統領の発言がアメリカの新世代の考え方が変わりつつあることを象徴していることを期待したいと思いますが、どうでしょうね。なかなか。
あらがうことの出来ない、
圧倒的な力が突然やってきて、
未来を奪い、苦しみをあたえ、
絶望をおいて去っていく...
資料館で見た光景は壮絶...
子供のいる人がみれば、
自分の子供のために核兵器のない世界を!
と思うのは当然のことだと思うのですが...
心ないコメントを読んで、
がっかりです。
思っていることを伝える事って、
難しいんだと実感しました。
アメリカが核を持ってなくて、憲法9条とかあったら人質帰ってこなかったと思いますよ。
大体、アッチが「逮捕した」と言ってるのは「返したい」と言ってるサインですよね。
日本に対しては「拉致していない/死んだ」と言ってるはずですね。
日本人拉致被害者が帰ってきた理由も小泉さんのお陰じゃなくてブッシュ元大統領の「悪の枢軸」発言のおかげだと思いますけど。
現実はそう甘くない・・・と。
細かい事に反応して申し訳ありません。
きねん 0 【記念】(名)スル
1)あとの思い出として残しておくこと。あるいはそれによって残されたもの。
2)過去の出来事への思いを新たにし、何かをすること。
ねんずる 【念ずる】
1)ある事柄・事態などの実現を強く思い願う。こうあってほしいと心の中で祈る。
「合格を?・ずる」「子供の幸福を?・ずる」
2)苦痛・悲しみなどをじっとこらえる。
「中に心さかしき者、?・じて射むとすれども/竹取」
記念日とは「記し残しそれに対し思いを念じるべき事のあった日」ではないのでしょうか?
今、人類の最大のリスクは原油枯渇だと思います、何時原油が高騰するか予断を許さない、物価が上昇し世界恐慌になるのは必至、原油高騰を出来るだけ遅らせて、その間石油依存の暮らしから脱却した社会経済をどうイメージするか、それが問われていて世界で真剣に考えられている事なんじゃないでしょうか、その一環として核兵器廃絶、グリーンニューディール、宗教間の和解、対話による国際協調のオバマのチェンジがあるんだと思います。
すべては原油枯渇が発端の様に思います。
「大地の子」もそうでしたね。
彼女は綿密な取材を重ねて小説を描くようですね(当たり前ですが、彼女は特に綿密に)
私の母も満州からの引き揚げ者です。一番下の叔母は、途中で亡くなったそうです。
小説にはならなくても、こんな話、我々の親世代にはごろごろあると思いますよ(戦争を経験したか否かで生命力が違うと思うのは私だけ?)。
広島にあるのは、「平和記念公園原爆資料館」「原爆ドーム」です。
広島支店にいる時は(25年前)、恐くて「原爆資料館」には入れませんでした。(昔の修学旅行は広島、長崎は当たり前でしたが、私の中学校は何故か関西でした)
初めて訪問したのは、長女の中学卒業を記念して広島を訪問した時です。(ディズニーランドの餌付でしたが)
我がオヤジは学生時代に爆心地2Km圏で被爆し、翌日から連日市内で行方不明の級友の捜索に当たったそうです(当然ながら爆心地近くの寮にいた同級生は例外なく全滅)。
よって、自分も世間的には被爆二世という事になるのですが、オヤジが「国を挙げて戦った結果たまたま原爆に遇っただけで、後遺症も出てないのに手帳をもらうなんて恥ずかしい」とのたまうので、隠れ二世という事になりますか・・・(笑)
広島で産まれて18まで育ったのですが、字が読めるようになった頃から、慰霊碑の碑文を見ては、「何で日本人が謝らんといけんの?」と思い続け、中学の社会科教師が授業で「日本の悪い軍人たちが戦争を始めたけぇ、原爆を落とされたんじゃ」と言うのを聞いて、「でも原爆落としたんは、アメリカ人じゃろ」と素直に反発し、資料館の展示を見ては、「戦争を始めた責任と原爆を落とした責任を何で一緒にするんか」と疑問を呈してきた不遜の小広島市民でした。
その背景からしますと、ぐっちーさんのアメリカ人に対するご対応、見事と思います。
戦争を体験した同時代のアメリカ人やその子供達の世代の連中は、あまりにも潜在的な罪の意識が強過ぎて、それに対して正面から向き合う事も出来なかったでしょうし、それを強要すると逆ギレするリスクも高かったでしょうが、そこから世代も2世代から3世代経過しようとしていますので、もうそろそろ自分たちの国が行った事に対して正面から向き合うように求めていく事は、十分ありと思います。
核兵器全廃は、出来れば確かに素晴らしい事と思いますが、現実問題としてはななか難しいと思っていますし、周囲の国が核兵器を保有を止めないのならば、我が国も保有の選択肢は排除すべきでは無いとも考えていますが、少なくともそれを使用する事がどのような事を引き起こすのかは、世界中のリーダークラスの人達が一様に共有すべき基本的な事柄になって欲しいと願っています。
ぐっちーさんと違って、自分の環境があまりにもドメスティックで、アメリカ人との交友が殆ど無いのが残念と言えば残念ですが、そう言ってても何も始まらないので、この期に何か自分にも出来る事がないか、考えてみたいと思います。
今回のクリントンと日本人拉致は、発生状況が全然違いますね。
米国ジャーナリストは、もしかしたら、本当に北朝鮮国境を越えて写真を撮ったり、北の住民から情報を受け取っていたかもしれない。
一方、横田めぐみさんを始めほとんどの拉致被害者は、日本国内から不法に誘拐・密出国させられている。
もし、米国内で、米国人が同じようにされたら、オバマも(カーターでも、ケネディでも)特使なんて派遣せずに、第7艦隊と海兵隊とデルタフォースを派兵していたでしょう。
米国民主党は、日本人が考える絶対話し合いのハト派ではないと思います。
原爆ドームと記念館は、中学の修学旅行が最初で、その後2回訪れてますが、涙なくしては見れませんね。
戦争も核も、絶対にこちらから仕掛けてはいけないとは思いますが、やられたらタダじゃおかないぞ!!という雰囲気をかもし出す国でなければ、この東アジアでは平穏に暮らせないのも、かなしい現実ですね。
なんで大地の子で日本人が恥を知るべきなのか。
良く理解できませんね。
共産主義者がいなければ、あの戦争は起きていませんし、ソ連の侵攻は条約破りですよ。
米国大統領が広島に来るなんて、偽善を実現させてはいけない。
もちろん原爆の被害に遭われた方にはお見舞い申し上げますが、正直60年立ってほとんど関係ない症状で死んだ方まで被害者として残すのはどうなんだろうと
思っています。
がんや心疾患、脳疾患や白内障まで明らかに有意差が出ているのかもわからない症状まで調査しないで原爆症だから金をよこせっていうのは、正直承服しかねます。
昨日、原爆関連のTV番組を見ました。
つらい気持ちになりますね。。
アメリカやイスラエルのDU兵器使用は許せません。
生まれ育った広島に6年前に帰ってきてみてうんざりさせられてます。地元TVは年中どーでもいい平和の話ばかり流すんだわw 特に8.6までの1週間くらい?は酷いんです。平和の願う気持ちは誰でも持ってるけど、折り鶴折って平和を祈りました、って、折り鶴折ったら何故平和になるの? 被爆ピアノを持ち出して弾くと平和がくるってどーして? 被爆アオギリ2世を植えて平和を祈念って意味あるの? 高校生が被爆直後の芝居をやるってんでインタビュー受けてたけど明るく育って欲しい子供が何でこんな暗い芝居をするの? こんな事仕掛けてる連中は政治的にはそもそもどういう人なの? 余所では日ごろ馬鹿げた反核平和を見ないで済んでるんでいいよね。
8.6の田母神氏の講演「ヒロシマの平和を疑う」に行ってきたけど、彼の話に1300人の聴衆の皆さん拍手喝采だったよ! 会場は同じ思いの人が溢れ久しぶりの鬱積を解消したよ。広島の反核平和にうんざりしている人が沢山いることを確信しましたw
広島県呉市出身の元同僚は、
8月6日午前8時15分に
黙とうを必ずしていました。
職場では、8月15日に
戦没者の慰霊と平和祈念のために、
黙とうをしています。
この日は本当に考え深い。
ぐっちーさんの過去の記事も
読ませていただいて、
お気持ちが伝わってきました。
まーどうでもいいが。クリントンのアホが北朝鮮にいってアホずらで写真とって帰ってきたことでもわかるように、核をもてばやくざと一緒で悪かろうがなんだろうが、そっから外交が始まる。それを知って最後の芝居を打ったとすれば、金主席の外交的大勝利であることは間違いないし、この国の生存権を確保したとすれば彼の存在はクリントンとは比べようがないほど圧倒的に偉大ですよ。
でこのアホ国家はノリピーで大騒ぎです。なので、凋落したアメリカにも相手にされない。あーあ
普段よりぐっちーさんの記事は興味深く読んでいます。しかし大地の子へのコメントへの応答には疑問を感じました。コメント者が違うと言うように、事実を基にした創作を歴史的事実であるかのように扱うことは、それを知らない人に多くの誤解を与える危険があると思います。コメント者は本作がフィクションと指摘しただけで、その内容が嘘八百だと主張したわけではありません。その指摘を「人間として恥じるべき」という方が逆に不遜だと思いました。
>>広島・長崎の原爆そして東京大空襲を初めとする大都市の無差別じゅうたん爆撃は、どう見ても非戦闘員の大量殺戮に他ならないのですが
このような行為の先駆けは実は日本です。ゲルニカよりも前のことです。重慶爆撃で検索してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%88%86%E6%92%83
悲しいのは国が負ける事でなく、人が死ぬ事。
wikiによれば、
ゲルニカ爆撃 1937年4月26日
重慶爆撃 1938年12月4日?
もし日本国が大東亜戦争において勝利していたら、
現在の日本国はどのような社会になっているでしょうか。
戦前の日本国の礼儀作法、生活習慣などの多くが
現在も健在でしょうか。
http://q.hatena.ne.jp/1163767958
6日はぐっちーさんにとって特別な日であった様なので、誤解を解くだけのコメントに止めましたが
そのコメントに対し、いかなる意思表示も頂いていません。
人を恥知らずと罵っておいて何の返答も無いとはどういうことでしょう。
ぐっちーさんからすればカチンと来て筆が滑っただけのことかもしれませんが
貴方のように若く善良な方が面倒だからと知らん顔を決め込むのは非常に残念です。
私にも歴史小説を読んで歴史の勉強をした気になっていた頃があります。
時代背景はまだ良いとして、個々のエピソードや人物の性格まで事実として受け入れてしまっていたのです。まことに恥ずかしい。
更に恥ずべきことに、当時の私は苦難にあわれた方を扱った小説を読んで
その方たちの気持ちが分かったようなつもりでいたのです。(なんと軽薄な、と今では思います)
「恥を知れ」で私の古傷が疼いてしまいました
もしぐっちーさんのお怒りが、私の知らない事情によるのであればぜひ教えていただきたい。
>このような行為の先駆けは実は日本です。ゲルニカよりも前のことです。重慶爆撃で検索してください。
>>息をするように嘘を吐く奴は… (焼きたらこ)
>>wikiによれば、
>>ゲルニカ爆撃 1937年4月26日
>>重慶爆撃 1938年12月4日
引用した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%88%86%E6%92%83
によれば、
”アジアでは、満州事変の際、関東軍独立飛行第一〇中隊主力により実施された1931年10月8日の錦州爆撃が最初期の都市爆撃である。”
僕の文章的には、そのような行為=重慶爆撃 に読めても仕方ない面はありますね。自分がWIKIで 重慶爆撃→ 戦略爆撃 とさかのぼりその思考経路をそのまま書いてしまったので、、
>>真珠湾攻撃によって日本がはじめた戦争で、その結果広島・長崎などで大変な犠牲がでても、それは戦争を始めた日本の責任であるということを言う人が多いのです。
アメリカ人は、なんつうか、個人レベルでも学校の先生タイプのことをいう人が多いような印象がします。アメリカが世界の秩序を維持しなければ!みたいな。きっと、イラクによるクェート侵攻も真珠湾攻撃も、アメリカ人にとっては同じ部類の行為なのでは。
第二次湾岸戦争も、フセイン政権は打倒すべし、ってまじめに考えていたアメリカの一般人もいましたし、、、彼らにとってはイラク戦争と太平洋戦争は正義の戦争です。日本やイラクでは、上から強制的に戦争に従軍させられ巻き込まれた被害という意識なのでしょうけど、アメリカは歴史的に独裁政治がありませんから、自分たちで侵略を始めたんだろう、で、その結果って考えなのかも。
一連のやり取りを読んで、今更ながら「大地の子」云々のコメントを読み返してみました。
発言された人のコメントは何ら非難されるようなものではないと感じます。
それに対して「恥を知るべき」などと誹謗することのほうが、よほど恥ずかしいと思いますが…。
ぐっちーさんは、ブログの主催者として、また文筆のお仕事をされている方の責任として、
発言者に対して、謝罪なり、反論なりすべきかと思います。
たぶん、、、ぐっちーさんは
歴史的背景や宗教倫理は相当勉強されている方と思います。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
を推薦する方が
「歴史小説を読んで歴史を勉強した気」にはならないような。。。
フィクションで片づけないで、日本がどういう経緯でいままで来ているのか、考えることは大事と思います。
お互い悪気はないのに、文章だけでやりとりするって、むずかしいですね・・・
ぐっちーさんの心情・・琴線の話・・
察しられるか否かの話・・
感動しました。
広島に行かない限りアメリカ人とは取引しないと決めている日本人がいる、と、自分のことのように誇らしげに家族友人知人にふれまわっています。
普段厳しく口うるさい父までもが、そんな立派な人物がいるのか・・・と無言になり、感銘を受けている様子でした。
日米二つ国籍ありますが、どっちに税金納めたいかといえばアメリカでしょうね。国民を守るために金使ってくれるんで。イロイロ批判はあるでしょうけど。
私のコメントがぐっちーさんのファンの皆さんのお心を乱している様子。申し訳ないことと存じます。
ぐっちーさんが黙して語らない以上、この話は私の中ではもう終わりにしようと思っています。
これだけ待てば十分でしょう。言い逃げにはならないはずです。
(にゃん。)さん、「歴史小説を読んで歴史を勉強した気」になっていたのは子供のときの私です(恥)。
大抵の子供が無自覚に通る道でもあります。(司馬遼太郎などで)
自覚しない限り大人になってもなおりませんが。
ぐっちーさんの場合は「大地の子」はノンフクションだから事実と思っていたのではと考えています。
よく出来てますからね。
ただ小説は個人の創作物です。演出というものもありますしそもそも小説は
読者の心に何かを訴える為に書かれたもので事実を正確に伝えるものではありません
別の場所で今回のような発言をすれば「お話と現実の区別がつかないのか」と
ぐっちーさんが笑われてしまいます。
そもそも、エントリー自体が「大地の子」との関係性が薄いので
話のついでに日本政府を嘲るのに持ち出したことにも心に引っかかるものがありました。
作品を汚す行為では・・・と。
(にゃん。)さんのやさしいお心は文章を透して伝わってくるように感じますが
難しい本を読むからといって違う分野にも詳しいというものではありませんし
日本の来し方などは小説で学ぶべきではないと考えます。
最後にどうでもいいことですが、二重国籍さんは税金納める先よりコメントを投稿する先を気にされたほうがよろしいのでは・・・
もう終わった議論を蒸し返すことになるのは…と遠慮しようかと思いましたが、やはり一言言わせてください。
歴史と小説は違うと言う事が前提の議論のようですが、歴史とは国とか民族の持ってる物語のことです。(日本人同士でもみんな同じ物語を持っていないのは、同じ広島出身の人でも8月15日の黙とうを鬱陶しく思ってる人もいれば、大事に思ってる人もいることで分かります)
私は「大地の子」を読んでませんが、この流れと、ブログから感じ取るぐっちーさんの人柄から判断して、十分に普遍性を持った歴史観があるのだと思います。
それが自分の歴史観と一致していないからと、フィクションと切って捨てるのは(切って捨てたと思っておられないようですが)間違いでしょう。
それはただ、そう発言された方に、ぐっちーさんとは違う「物語」があるというだけなのに、ご自身がそれに気づいていないというだけなのですから。
(蛇足)
勝利者=正義、敗者=悪。
この考え方は今のところ「ほぼ」負け知らずのアメリカで「だけ」通用している神話の類だと思いますし、この点について日本人同士の意見は別れてない…と思いたいです。