2019/04/24 13:21 | 物申す! | コメント(33)
岩手県教育委員会のみなさまへ
大丈夫か、岩手県・・・・
先日岩手における「ら抜き言葉」の氾濫は聞き苦しい、と書き込みしましたが、これは方言という問題もあり、一概に言えません。
しかし、これはいくらなんでもまずいでしょ!?
盛岡駅ドトールコーヒーのAボードです。
国語力の低下もここまでくると酷い。まあ、アルバイトのおねーちゃんでしょうが、ちゃんと中学は出ている訳です。で、これを放置できるマネージャーもすごい。
辛みの加えた・・・・ってどう理解すればいいの? 方言・・・じゃないよね(笑)。
先日週刊朝日から出た東大合格者ランキングで岩手の高校が全く入っていない訳で、今や全県合わせて10人東大に入るかどうか、すれすれまで落ち込んできた。岩手県の優秀な学生は仙台、東京に行ってしまう・・・という事情はあるのですが、いわゆる普通教養レベルがこれだとすると、岩手教育委員会は相当反省するべきだろうね。岩手県全体で東大合格者が10名行くかどうか、というのは相当まずくないっすか??
もちろん岩手だけじゃない。他の地方も同様ですな。
でもまずは岩手県・・・・・
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33 comments on “岩手県教育委員会のみなさまへ”
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方言なんじゃないの?
辛みの加えた→辛味を加えた
単に書き間違いだと思うのですが、
人員不足で店長さんもバイトさんもお忙しいのでしょう。
ちょっとググってみました。
『ミラノサンド エビマヨ ~特製オーロラソース仕立て~
¥ 440 … 462 kcal
ぷりぷりのエビに、ドトール特製オーロラソースが絶妙にマッチ!辛みを加えた春色のオーロラソースは、新潟名物の香辛調味料「かんずり」が隠し味です。』
「かんずり」って初耳です、こちらに興味が沸きます!
「入気」のほうがやばいですね。
辛みの効いた
じゃないのかな?
大阪なら
からみがうまい
ミラノサンドとエビマヨ
という漫才コンビになる所。
2並びにレイワ
偶然かい(笑)
前にもこんな事があったような
なんかのサインかもナ
S&P、ナスダック史上最高値更新、DAXも戻してきた
あとは日経だ!
うーむ
指摘を見るまで、何が変なのか気づかず、美味しそうとだけ思ってしまいました。最近、真面目な長文レポートなんて書かず、pptに短文で、お偉いさん達を分かった気にさせるような文章ばっかり書いていたしなぁ。。。
なお、私の人生を振り返ってみると、読解力や作文力が強化されたと実感したのは、大学を出た後でした。勿論、大学に入る為や、入ってからも勉強したつもりではいました。が、会社に入ってからの数年で、読解と作文の量をこなしながら、上司の厳しい赤ペン指導を受け続けたことが大きい。
量をこなしつつ、指導してくれる人がいるという事が、大事なんですかね。
って、指摘を見るまで気が付けなかった人が書いても、説得力ありませんね。
で
わざわざ綺麗に撮ってアップしなくても
暇ですか(爆笑)
お疲れ様です
オーロラソースに加えた辛みは唐辛子を発酵させた新潟名産のかんずりのようです。
学力テスト、秋田は上位ですね。
都の西北にはこんなものが。
https://plaza.rakuten.co.jp/chira/diary/201607120000/
岩手県人10人からフィードバックをもらいました。
これは方言ではありません。
リンクのURLが間違ってました。
https://plaza.rakuten.co.jp/chira/diary/201607130000/
POPの上手い美大出身の人が書いたのかな?と想像しつつ、、、。恐らく、「辛味を加えた」か、「辛味の加わった」のどちらかを書くつもりだったんじゃないでしょうか?
因みに、、、我が勤務先でもこの程度の間違いを平気でやらかす一期校卒業の社員が山のようにいます。(苦笑)
カンバンは釣りで、教育委員会、今のままでいいんかい!が主張?
書き手、管理者共にココの人かどうか?
そうだと推測されてる訳ですが…ご経験上、ココでコレに似たことがあったとか。
各地教育委員会は何を使命にしているのか?
私達は何を期待しているのか?
ぐっちー様、テーマ別の世直し対談お願いします…。
これは見た人の目を釘付けにし、足を止めさせ、チョット文句を言いに店内へ・・・という作戦なのではあるまいか?
なワケないか(笑)
しかし現にこうして、ぐっちーさんによって拡散された宣伝効果は馬鹿にできないと思うんですよね~。
日本語の理解って
日本語をきれいに書くことが
日本語の理解ということなんだろーか?
と思う
もちろん、文章は人に伝えることのできる
素晴らしい発明ですが
それ以前に
自分で何かを考えるツールだと思うのです
ものを考えるときに
日本人なら日本語でモノを考える訳で
そのときに
日本語の意味を
理解できない奴を
頭が悪い、よーするにバカという
モノなんだと思います
つまり思考力の源泉が
日本語であって
日本語を正しく使えるか使えないかの
問題でないと思う
もちろん付帯事項として
正しく使えることは
人に伝達する能力が素晴らしい
ということになりますが
そもそも今の人は
日本語を理解できないから
考える能力も相当な劣化をしている訳
そりゃ、暗記ばかりしていたら
考える訳ねーわけだよ
私もぐっちーに
ばかにされる類の人間で
正しく日本語を使うことに
きょーみがねー人間です
自分がわかりゃーいんんだよ
と思っている
そんなことに気を遣うくらいなら
もっと
ほかの問題を思考したい
と思うのです
編集からは
いつもいい加減にしろ
といわれるけど
そこに興味がねーんだから
仕方ない
興味が湧いたらやるけど
いまのところ
全く興味なし
辛みのオーロラソースがポイント、ということはすぐわかる。
そこに、加えた、を入れるので、辛みの加えたオーロラソースは、助詞の間違いと思われる(確かに、辛みを加えた、辛みが加わった、辛みが加えられた、が正しいと思う)。
しかし西欧語風に、関係代名詞が省略されているとも思えるから、店が独自に加えたところの辛みと解釈できるのでは。笑
まあこんなことを日本語の助詞は、日常語で単語と単語をくっつけてやってしまっているのだろう。相互関係には無頓着な膠着語の由縁。雰囲気、空気、以心伝心。やはり漢字を仕入れないとどうにも締まらない言語。
私も、センスのいい美味しそうな看板とか、注文するとき、私はエビマヨ、とか既に頭の中で言っている。本を書く時は、編集者に徹底的に修正されるんだろうな。
これは意に反して店の宣伝効果の方が大きいかもしれない。確かに東大合格者10名以下の県、多くなってますが・・・。
正しい日本語を使おう勢力を
論破しておきます
たとえば聖書は古典ですが
英語は読める
ところが日本の
万葉集や源氏物語は
今の日本人には
通訳なしには読めない
この事象から確認できることは
日本語は
常に変化するものであって
正しい日本語など
あってないようなものに対して
正しい日本語を使え
なんて偉そうに指導するなんて
アホのやることであります。
英語がそうだからといって
日本語にもそれを当てはめんじゃねーよということ。
つまり編集に対して
正しい日本語を使えと
私に説教するバカを
私が相手にしないのは
そのような理由です
要するに
存在しないものを
勝手に存在すると勘違いして
人をバカ扱いするのやめろ
ということです
編集がバカなのであって
私はバカじゃない
同様に
若者の言葉の新しい使い方に対して
批判的な方々は
歴史をみろ
といってみる
若者がただしいのであって
おっさんやばばぁの
正しい日本語論など
くそくらえ
と、言いたいのです。
池袋の事故を起こした人は工学の学者のようですが、車を運転するとき,工学的に自分自身を考えなかっただろうか?足が悪いということだったようです。
詳しくはわからないが、我が国における物事の理解は怪しいのでは?
何か根本的なところに学習とその結果における間違いがあるのでは。
これで論破とは少し頭が変なんじゃないですか? どこが論破になっているんだかさっぱりわかりません。
後に続く状態や動作の主体を表す助詞として「の」を使う場合があるので、「桜の咲く頃」「緑の濃い森」「辛味の加えたソース」「ニンニクの増した二郎」もOKだったりしませんか。
関ケ原さん、それは全く違います。
桜の咲く頃 は 桜を咲く頃とは言いません。
緑の濃い森 も 緑を濃い森とはいいません。
を が使えないですよね
お出しになった、この二つの例文も主語-動詞ー名詞の構文と 主語ー形容詞ー名詞の構文を混同しており、比較としては全くもって不適切です。
特に後者は今回の私の指摘とは全く別ものです。
強いて言えば前者ですが、考えればすぐわかるように、ご指摘の例文は咲く、という自動詞で、私が指摘したのは加える、という他動詞なのです。
言語学をきちんと勉強されていないとこういうトンチンカンな指摘になりますが、明らかに違いますでしょ!? 形容詞ー自動詞-名詞、もしくは形容詞連続ー名詞・・はありです。
この場合の形容詞ー他動詞(加える)が変なのです。ですから、「辛みの加わったソース」、を変えて「加わった」。。。つまり自動詞なら全然違和感はありませんよね。「辛みの加わったソース」です。
英語もこのくらいまで文法をしっかり詰めないと、日本で育った場合、絶対に僕のようなバイリンギャルにはなり得ません。JDの英語もすごいもんですが、このあたりの文法に対する知識も私は到底かないません。
そんなもん関係ない、
とか言える人がいること自体信じされませんけど(文章を人に見せる資格なし)、関ケ原さんはこの機会にしっかり勉強されてくださいね。今回は無料大サービスだな・・・
文法論というのは昔から存在するものです
私はその辺には興味がない
からわかんないで片づける(笑)
美しい日本語
正しい日本語の定義は何ですか
言葉というものは
私は
考えるためのツールというのが
第一の原点であり
あくまでも
コミュニケーションは
付帯的なものと考えています
アメリカ人であれば
物事は英語で考え
そして
日本人であれば日本語で考える
私はしょっちゅうアメリカに行っていないので
渡米後にすぐにその頭の切り替えが効かない
日本にいるときに
無理に英語で考えようなんて思わない
アメリカに行けば否応なく
英語で考えるだけ
言語のもっとも大事なことは
私は
その言語を使って考えることだと思います
聖書が現代人の私たちでも
読めることは素晴らしいことだと思います
裏を返せば硬直的、普遍的ということもできる
日本語は時間の経過とともに
変化をする
裏を返せば、日本人は考え方がすぐに変わるということ
もっと裏を読めば
韓国が言ったことを守らず
平気で前言を翻すのは
言葉にそのルーツがあると私は思います
じゃ、朝鮮語を知ってるのか
と指摘されれば、しらん
ごめんなさい(笑)
これも超個人主義のなれの果てであって
年配の人は
正しい日本語を使え
という方が多いと思う
でも歴史をみれば
言葉は変化をする
若い人が正しい日本語を使えないのは
彼らの責任なのか?
親や教師がまともに使えないから
子供がまともに使えないのは
当たり前
それも自己責任で片づけるというのが
問題なんです
若い人たちが
変な日本語を使って
平気な顔をしているのは
親が変な日本語を使っているからでしょ
あるいは、その容認をしたからでしょ
若い人を責めるのではなく
親世代の頭がおかしいのです
こうやって考えていくと
なんでもかんでも自己責任という
超個人主義で
自立を促したはいいけど
社会保障はどんどん減額され
ゼニさえ儲かれば
なにをやってもいいというから
ゴーンが生まれ
そしてオレオレ詐欺がはやる
これって
大人の責任なのに
なんで若者がいじめられるの?
親の世代のコミュ力がないから
年柄年中
スマホをみて
スマホに同意を求めるのは当たり前じゃない?
地域社会で助け合うシステムも
崩壊し
ゼニだけ稼げって
一部の人には天国のようなシステムだけど
ほとんどの人には
不平等なシステム
ゆとり世代は
かれら自身が生み出していないのに
上司はだからゆとりはダメなんだ
と言っているのと一緒
ゆとりを生み出したのは
あんたがたの世代なのに
本当に
都合のいい
責任転嫁というか
無責任の極み
ものすごいご都合主義と思う
その上に自己責任
そりゃ
詐欺が流行って当たり前だ
っていうもんだ
詐欺しかできないでしょーが
コミュ力もなし
スキルもなし
言葉もまともに操れない
そういう人たちに
どうやって稼げ?
というの?
そういう若者を生み出しているのは
大人の世代、私たちの先輩
ということをもっと認識してほしい、と思う
なんでもかんでも
かみつきゃー
いいってもんじゃないし
少なくても
経験も、そのスキルもない若者たちが
そういう言葉を使うのであれば
もっと優しく見守りましょうよ
ダメじゃなくて
若者が
正しい表現を使えないのは
大人の責任です
コミュ力も同じ
そういう超個人主義って
本当に言い換えれば
単なるご都合主義だよね
責任を負いたくない社会
最悪ですよ
そんなに議論することかな?街角の看板でしょ!
やじうまさん
どう見ても議論はしていませんね。読解力がないのにも程があります。
不思議に思うならこのHPは読まなければいいだけですよね。
わざわざそういうコメントをお書きになる意図が全くわかりません。
ここはワタクシのHPでありまして、なにをしようとそれは自由ですわな。
不思議な人がいるもんですな、世の中・・・・
「入気」の方も気になります(笑)
古英語とか中英語って、今のネイティブの人は読めるのでしょうか。
文章の意味が、一意に定まるような日本語を書く能力というのは、
日本語自体が時代によって変化したとしても不変と考えます。
地方は本当にマズイ状況だと思います。
まずは、読解力というものが受験勉強にも肝要であるという気付き。
あとは都会の東大入るような子供たちが、どういうカリキュラムでやってるかを、
早めに知ることでしょうか。
後者は戦意喪失するかもしれませんが。。
先日、Amazonのカスタマーセンターにメールで問い合わせたら、担当者の名前が中国人でした。回答の文章に日本語として違和感が無かったので驚きました。
コンビニで留学生店員を見掛けることも多いですが、将来、街中に日本人には読めない言語の看板が増えるのかもしれません。
外国人労働者の比率が最も高いのは広島の漁業ですが、牡蠣養殖の現場でしょうね。
那須の山奥の住人の方
久しぶりだと思ったので、コメントをオープンにしてみましたが、ましてよもや頭の悪い議論を吹っかけてくるとは思いませんでした・・・・・
金輪際、あなたのコメントはオープンにしませんので、もうHPも見なくて結構です。まじ、迷惑ですし、頭の悪いあなたに付き合う時間はありません。
お疲れ様・・・・・
地元で京マチ子映画祭開催中、本日源氏物語を鑑賞。
1951年作品、セリフ分からない聞き取れないところがあり、劇場での再生音声、こちらの聴力の問題もあるが、私の日本語!の語学力で理解出来ていないところもありそうで、、、悲。
約70年前から日本人、賢くなってるのか?
義務教育で英語の前に日本語を徹底的に教える必要があるのでは?
事故”も”起こしてないのに保険料が変わらなくて。通販型”も”いいかなって。
モーモーうるさいんです。日本語を知らないスイス人が作ったわけじゃなく、広告代理店の日本人が作ったんですよね。
事故を起こしてないのに保険料が変わらなくて。通販型がいいです。に改めなさい。
やっぱり、日本語そのものが話題になると、気になる人が多いんですね
ちなみに私は英語の話になると、精密な事柄では一回日本語に翻訳して、日本語で熟考して、再英訳で回答文等を作成することで、日本語では気づかなかった観点に気づいて、英語と日本語を行ったり来たりしています。文法体系が変わると、稚拙な論理思考力の粗が目立ちます。
社会に出たころを思い出すと、今の70歳以上のお世話になった方々は、パソコンもなく一発の手書きで、見事な文章を書いてきて、凄かった。私も、あの世代が上司だった年齢になってきたけど、作文力においてはどうにも、追いついている気がしない。読書量が圧倒的に少ないのかな?
あ、ますます私の日本語力・論理的思考力・教養の無さまでアピールしてしまいました。。。
国語なんて馬鹿がするものだと思っていた。200点満点で頑張って110点、いつも80点台だった。
ある時、言語って音と文字があるのではないかときずいた、20歳過ぎていた。バカは俺だったとその時思った。きっかけは福田恒存の著作だった。
その後いろいろ考えたが、普通に学ぶ日本語の文法というのは間違いではないかと思うようになった。どこが言われると説明がむずかしい。形容動詞という分類を考えればいいと思う。また助詞と分類されている語が極めて重要です。中学程度の英語力ですが、英語にはないものだと思います。
すべては国語に過ぎない、その時数学も国語教育の一部としてするものだとおもった。
だいたい、日本語の文法(?)をもとにして、文章を作ると変な感じになる。ところが、英語は文法をもとにして作ることができる。
まあ、大人なら普通の言語表現をすることでしょう。
日本語の問題の一つには方言をどのように解するか。思うにそこには音(方言)による、お互いの理解より文章によるもののほうが共通としたのではないか?
江戸時代は今以上に方言の違いがあり、幕府でのやり取りする音声による言葉は何だっただろうか?浅野と吉良の衝突にそれがあったのではないか?
何しろ文字は外国からきて、そこからひらがなカタカナを構成した。50音図を平安の中期に完成したと習ったが、もう奈良時代にあったと証明されたと雑誌に書いてあった。
>那須の山奥の住人さん
生意気をいうようですが裁判における言語、文章を考えられると、何かしら示唆を受けるものがあると思う。
その昔、考えて、投げ出したことを思いだして、複雑な思いです。
<この辛みのくわえた<>という文章は文章として伝えるという要素はなく,その物ないし行為が既にあり、それに対して、文字による表現をしているもので、文字だけによる完結したものを表現しているのではないと思う、
そこに使われている、単語<加える<>を自動か他動詞かなど全く考えずに、ただ適当に耳による言語取得によって、文章をつくっているにではないと思う。
この手のものはおおくあり、特にマニュアルにおいておおい、そのためマニュアルを読んでも理解できにくい。
いろいろ思い出しました。
連投御免やっしゃ…
どケチ教吉本氏の言葉でしたね…。
あ、書きたかったのは、変わる変えるが如何に難しいか…。
あー、もったいない、もったいない…。
次は私か…?笑