2006/02/10 21:04 | 平和 | コメント(38)
ヒロシマのアメリカ人
仕事と関係の無い他愛の無い話がほとんどですので、お忙しい方は飛ばしてくださいませ。
「えーっ、出張って沖縄ですかぁ?!!?」、
との書きこみやメールの多さに笑うやらうけるやらでして、確かにいま沖縄であればかな?り、怪しい出張先、沈みに行くようなもんですものね(爆)。命知らずといわれてもしかたないかもしれません。ご心配痛み入りまする・・
しかし、今回の行き先は「怖さ」と言う点では、沖縄に優るとも劣らないあの「仁義なき戦い」の舞台になった場所、ですので結構怖い事があるかもしれませんぜよ?。
「おどりゃー、こりゃー、流川にゃー、近づかん方がよいけんの?。」(この広島弁はかなり間違ってると思いますので・・爆)
実名はちょっとまだ出せないのですが、あの、マンデル先生からのご紹介にて、日本にいらしている某ハーバード大学の経済学部A教授を今回はおつれしているのです。
この方はアメリカでも有数の日本通と言われており、まあ、確かに日本の事をよく知っているし、来日も10回以上果たされているわけです。で、「今回一度会った方がいいよ」、というお話をマンデル先生から聞いたので、是非私に会いたいと言う連絡がご本人から参りまして、まことに僭越ながら、マンデル先生の紹介ではお断りもできないのー、ということでお会いする事になりました。ぐっちーもかなりグローバルかつアカデミックになってきたもんであります。
しかし!!
来日スケジュールを打ち合わせるべくあれこれ話しているうちに、彼は日本通を自称し、アメリカの上院などの勉強会で日本のレクチャーをしていたりもする自他ともに認める日本通というのに!!
すし、そばが何より好きだとかいってるくせに・・
何より日本の女の子が大好きだとかいってるくせに・・・
なに?広島に言った事が無い?
原爆記念館も平和記念館もみてない??
「・・・・それでは、相手をするわけにはいかんの?、出直してきてもらうかの・・」
とは、もちろん言えない訳ですが、ぐっちーの親しいアメリカ人は100人以上いますが、みんな見てる、もしくは無理やりぐっちーに見させられてます。
勿論マンデル先生も連れて行きました。ほんとはカナダ人で関係ないけど・・・認定アメリカ人としていってもらいました(爆)。
マンデル先生が今回の来日に際しA教授のアテンド役に私を指名したのは、「ぐっちーだったら無理やりでも広島に連れて行くのではないか?」 と考えたからか?位思ってます。で、ご希望どおり無理やりつれてきました(笑)。
アメリカ人として日本はこうあるべきだ、とか国際社会においてこう活動するべきだとか、(私は個人的に反対じゃないけど)自衛隊をさっさと海外に出せ、とか牛肉を輸入しろ、とかぐちゃぐちゃ言う前に、私に言わせれば、まず、これを見ろ、という訳でありますよ。
勿論、原爆使用は「戦争を早く終わらせるためだった」、
という話は広くアメリカ人に受け入れられてる訳で、事実そう教育されてますし、パールハーバーを引き合いに出すアメリカ人が現在でも多数いることも100%承知のスケ。
しかし、ここを、この平和記念博物館を見たアメリカ人の大多数、少なくとも私と感受性を共有できるくらいの「のうみそ」を持っているアメリカ人は、ここを見ると、間違いなく変わります。
言葉ではなく、これまで聞いてきた話として大脳で理解する領域を越えて、精神レベルで、もっと言うとスピリチュアルかつクオリアなレベルで自分達が日本でやったことを、つまりは人類に対してやった事実の衝撃、そのマグニチュードを真摯に受け止めてくれています。やれ、先制攻撃がどうしたとか、反撃がどうのという、誤解を恐れず言えば「チンケな戦争」の次元を超えてしまった歴史事実・・・
言葉は悪いがただの殺し合いはいつでもやっている人類、しかし一瞬にしてすべてを吹っ飛ばしてしまう力が出現し、それを使った側と使われた側が対面せざるを得ないという、その過去・現実が双方の行動も、考え方も変え得るのです。それはアメリカ人と日本人という二つの国民だけが背中に負っている(良くも悪くも)十字架だと言う事です。たまたま使った方がアメリカ人で、使われた方が日本人だった・・・もしかしたらロシア人とアメリカ人だったのかもしれない訳です。紛れも無い事実は、その被害、破壊のすさまじさ・・・・のみでありその加害・被害当事者の末裔がなんかの縁で今この広島に来たね、というそのことのみ・・・
本当は「広島を見なければ京都は案内しない・・・」という脅しに負けたかどうかは不明ですが(笑)そのA教授はこうして広島を訪れる事になった訳です。
「ぐっちーよ、原爆の被害にあった方で今生き残っている人にはまだ会えるものか・・・・」
「あえるよ、もちろん。誘ってみるから、一緒に酒でも飲むかの、今晩はね」
ということで飲んできた訳です。
A教授が今どう受け止められたのか、感じられたのか、私はまだ聞いておりませんが・・・
PS.
飛行機の中で先日出版された
「私の嫌いな10の人々」By 中島義道先生
を拝読。
いいたいことはぜーんぶ書いてあって久々にすっきりしました。
ぐっちーの人生観そのもの、といっていいものですのでご興味のある方は是非ご一読を!! すでに増刷という販売の勢いに、実はちょっとびっくりですが(爆)
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38 comments on “ヒロシマのアメリカ人”
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はーいはーいヒバクサンセーでーす。
頭の悪い文打ってみましたーw
ワタクシのばあちゃんいわく、原爆の体験談のオファーがいくつかあったということですが、言っても無理!言葉で伝える事は不可能とのことです。
この混乱に乗じた日本人のえげつない話もいっぱい聞きました。。。原○手帳の不正取得はいくらでもいるとのこと
原爆資料館には中学の修学旅行で行きました。
あの晩は眠れませんでしたね。
それにしてもA教授が誰なのか気になりますね。(^^;
昨年亡くなったABCのピーター ジェニングスが取材で原爆資料館を訪れた後、カメラの前で臆面も泣く号泣していたのを思い出しました。やはりアメリカ人は理屈より感性で生きているということを強く感じた次第。百聞は一見に・・・・・とはよく言ったモンです。
遥か昔の事になってしまいましたが高校の修学旅行で広島の平和記念資料館に行きました。その後、大学生の時に旅行で長崎の原爆資料館にも行きました。日本人としては、やはり若いうちに一度は見ておくべき所ですね。
広島の平和記念資料館に行った時は、結構外国人の方も多かったように記憶しています。
外国人の方も含め、大抵の人間は沈痛な顔をして資料館を出て行っていました。
第二次世界大戦後60年以上、戦争において核兵器が使われなかったのは人類にとって幸いな事でしたが、広島・長崎の悲惨な現実が核保有国の指導者にぎりぎりのところで核兵器の実戦使用をためらわせたということもあるのではないかと思います。
日本の戦争の被害を殊更強調するためとかいうことではなく、核兵器の被害の恐ろしさ・深刻さを自分の目で見て分かってもらうため、なるべく多くの外国人の方にも広島・長崎を訪れて欲しいものですね。(恐らく、ぐっちーさんも同じような気持ちなんだろうと思います。これからも広島の案内お願いしますね。)
長文失礼しました。
グッチーさんって、そんな方だったんですねえ。良かったあ?。
広島(原爆資料館)は、かつて、年に2回ぐらい、外国人の方々と見学に行っておりました。
見学の直後、あるエジプト人の医師は真顔で私に言いました。『日本人は、なぜアメリカにリベンジしないのか?このようなヒドイ仕打ちを受けていながら。』
QT:(内心、えぇぇっ!?何を見てきたん?とショックを感じつつ、日本人に対して同情してくれたのかなあ、と気を取り直して)米国が原爆を落としたことを正当であるとは思いません。WW2に関して、日本にも非はあります。日本軍が罪のない外国の人達を殺害したことも事実です。それも反省しなければならないと私は思う。どちらがより悪いかを決めることはできない。いかなる理由があっても戦争はしてはならない、殺しあってはならない、私が心に思うのは、それだけです。
なかなかねえ?、右の頬を打たれたら、左の頬をとはいかない。世界の平和は遠い。
米国他は、アラブ人のプライドをなめたらあかんぜよ!穏健なアラブ人でも米国は嫌いみたい。
中島義道先生は、朝日新聞の『論座3月号』の本棚拝見で、…人間のすることに不思議なものはない。愛や憎しみなど時代や文化によらない人間の姿にしか興味がないんです。…とおっしゃっています。
戦う哲学者は、昨今、精神的に落ち着いていらっしゃるみたいで良かったなあと。
『私の嫌いな…』を早速買って読んでみようと思います。難解な点は難解なままだけど、私は中島先生に救われました。
日本人でありながら
原爆ドームを教科書でしかしらない...
また、平和記念碑にペンキが掛けられた
というニュースを聞いて、
「そうなんだ...」くらいしか
感じなかった...
今回、ぐっちーさんのブログを読んで、
広島に行きたくなりました。
教科書で、原爆の投下のために
たくさんの人々が死んだと 習っても、
「大変なことだったんだ」としか思わず
実感もわかないし、そういう事実があった
という表面だけ理解していました。
花粉の季節が終わったら
広島に行ってみます。
ぐっちーさんありがとうございました。
普通の旅行だということで安心しました(w
私はもう一つの方の町育ちです。
数年前家族とバスに乗ってたら、いきなり中腰になって「あんなとこ掘り返すなんて、あそこの土は人の骨のようなものなのに」と大声で言い出して、どうかしてしまったかとギョッとしました。
外を見ると平凡なマンション建築現場。でも当時は何日も荼毘の煙が絶えることない一方で、防疫のため早く埋めなければと土葬もしてた場所だというのです。
いろんな話を聞かされたものですが、バスの中で見せた一瞬の姿や声、空気が一番雄弁に伝わってきた体験談じゃないかと思ってます。
もっと悲惨な様子を見た家族は、ついに誰にも何も語りませんでした。
ただ、原爆体験について問うた時の沈黙には、子供ながらも(だからこそ聞けたのですが)絶望的な深淵を感じ、質問したことを後悔しました。(それでも、文章書ける人だったので何らかの形で体験を残して欲しかったと思います。)
最近、若い人が「語り継ごう」ということで活動してるようですが、TVで見る限りその「語り」には被爆経験者の空気を直接感じた者としては激しい違和感があります。何かが違う、こうやって「語って」いっていいものだろうかと疑問です。
これからは「見ること」で当人が直接感じることに記憶をつないでいくしかないんではないか、と思ったりもしてます。
原爆資料館の重要性は増してると思います。
広島・長崎の両方とも一度は見ておくべき
場所ですね。実際に見たら、いろいろと
考えてみるべきでしょう。
高校の修学旅行を京都・奈良にするか広島にするかで、その地区の中学の修学旅行も京都・奈良だった故、私は広島を強く押したのですが、結局は古都に。
古都を見ることで世界史的視野に立つと世界史の教師はのたまっていたのですが、シルクロードよりも広島を見た方が人生観が変わると思うのですが。
教師の趣味にごり押しされて以来、広島に行く機会を失ってます。
原爆投下。
これを言われると、中国がどうのこうのと言うクチをふさがれてしまうんですよねえ。
でも僕はこんな過去を背負っているからこそ、日本と米国はホントの外交が出来ると思うんですよ。
ガチンコといったらいいのか。
本音外交というのか。
偽善でも嘘でも「一緒にうまいことやってきましょうや」と手を差し伸べてくれたことが一度でもあったか。
それが大事でしょうね。
飛ばさずに良かった。私の浅薄な経験からはパールハーバーを日本側に立ってみてくれるアメリカ人(多少教養のある人)は多いように感じますが、原爆はグッチーさん仰るように日系2世の人以外では肯定的な方が多いように思います。
私も機会があったらアメリカの友人を広島に連れていきたいと思う今日この頃になってしまいました。
止めに長崎の浦上天主堂の話をしてあげればよいのですよ。
「この後、お前の国は長崎にある浦上天主堂という教会の十字架を目標にして爆撃したこと知ってるか」と。
グッチーさんて、お金儲けだけの人じゃなかったのですね。ありがとう。
アメリカは自由の国、と標榜しているにもかかわらず、原爆の本質もデージーカッターの恐ろしさも教えられていない。ビルに飛行機が飛び込むよりもっと怖いことがあるのを、知らない。
もちろん、BSEがなんたるかも知らない。知ったら全米の畜産業が痛手をこうむるから。いまアメリカがやっているのは、BSEを鹿からの感染に置き換えること。たしかに鹿肉を食べるのなら、交通事故より確立は低い。
こわい国だ。
今、資料館のサイトを見たら英語の説明がないようです。
英語圏の人にも見てもらわないといけないですね。
広島平和記念資料館
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
英語版の Wikipedia とかも必要みたい。
それから沖縄は、こんな事件もあったみたいです。
QAB 琉球朝日放送 2006. 1.17
沖縄市 暴力団幹部、暴行され死亡
http://www.qab.co.jp/01nw/06-01-17/index2.html
日本人がアメリカにリベンジもとい怒りを表現しない理由は、
徹底的な破壊によって恐怖心を植え付けられた結果だと思いますね。
だから反米感情がくすぶっても、もって回った表現になる。
↑まぁそれもありますが
京都に原爆を落とさなかったり天皇制を維持したリする、アメリカの意図した日本手なずけ作戦に日本人がまんまと乗ったから、というのもあると思います
まぁ結果オーライなんですけど、日本人としてはなんとなく悔しいような気がしないでもないです(笑
エントリと関係無い事言ってスミマセン
広島云々よりも、そのハーヴァードの教授が「日本の女の子が大好き」ということに、妙な引っ掛かりを感じます。
昔、ヨーロッパの男の至福は、「イギリスの衣服、ドイツの住宅、中国の料理、日本の女」だったとか…。今でも、そうなのでしょうか。
米国に恐怖心なんてないよ
日本人は変わらないよ
今の日本人でも、やはり特攻をやると思うね。
米国の下にいて、日々食えているし満足しているから、文句を言わないんだよ。
反米の奴らは、おかしい。
これ以上、まだ望むのか?
全然、幸せじゃん
ただ単に順番待ちだったから。
アメ公は20発以上の投下を予定していたとのこと。
米国軍部が原爆投下の最初の候補地に選定していたのは、京都、広島、小倉でした。軍事作戦参謀というのは、政治的な効果というものを余り顧慮しませんから、それは軍事的合理性のみからの選定であったといえるでしょう。
ところが、当時の陸軍長官だったヘンリー・スティムソンがトルーマン大統領に直談判に及び、京都除外を認めさせています。
スティムソンによると、日本人にとっての京都の重さに鑑み、「日本国民に修復不能なほどの心理的傷を与えてはならない」という考慮を働かせたようです。戦後の日本との友好関係樹立を目指すならば、京都爆撃などできないというのが、スティムソンやトルーマンの結論だったわけです。
因みに、スティムソンの判断に影響を与えたのが、彼が戦前に交わった浜口雄幸、若槻礼次郎、幣原喜重郎といった重臣層の存在でした。こうした人物がいる限り、日本の「民主主義」は復活すると思っていたのでしょう。実際、こうした重臣層に連なる人々が、戦後の日米関係を立て直したわけです。
「反米」、「反日」などと観念で語るくらい、つまらないことはないと思います。
北九州に投下されるはずの原爆は、曇っていたという理由で長崎に投下されました。
私の母はまさにその時、八幡製鉄所のそばに住んでいたんです。
あの日、天気がよかったら私はこの世に生まれていなかったかもしれないと思うと複雑な心境です。
私は市内ではないですが、長崎の人です。
長崎の原爆の日、8月9日は登校日に指定され、毎年原爆教育を受けました。
毎年この日はとても憂鬱な気分になったものです。
日本全国がそうだと思っていましたが、大学に行って、そうでない事を知りました。
同じ日本人でも結構他人事の人が多いんですね。
さらに大人になって、アメリカで原爆の写真の展示を中止させられたニュースを見て、自由の国と豪語するアメリカでも都合の悪い事は情報操作をするのだと知りました。
市場経済は自由な方が効率的に働くと信じる人々も、こういう事を国民に知らせる事は不適当だと思うようです。ガッカリですね。
正しかったとか、間違っていたとか、はっきり言ってそんなことはどうでもいいです。
ただ、いろんな人にこの事実をちゃんと知って欲しい。解って欲しい。受け止めて欲しい。
人類はせっかくこんなに大きな苦難を乗り越えたのですから、日本もアメリカも第三国の区別もなく、それを共通の経験としてこれからの世に活かして行くしかないんです。
それにはまず、理解しなくてはいけない。
理解するにはまず、知らなくてはならない。
多くの人の悲しみと苦しみと失われた命が、決して無駄なならないように祈っています。
だから、原爆投下した当のアメリカ国民が、その悪魔的ともいえる行為の結果を、を知らないことが問題なんですよ。
「自分はそんなひどいことを、相手にした憶えはない」というタイプですよ。そんな人に限って「やられたこと」には、敏感なんです。米国に、もっと核のおそろしさを知らしめるべきでしょう。
米国人に対するインパクトの度合いからすれば、広島よりも長崎だと思うのですよ。基督教信者の多い町を一瞬に瓦礫の山にしてしまったわけですから…。
沖縄戦の最中に、「おれはクリスチャンだ」と叫んだ沖縄人がいて、その一言で米軍の攻撃がピタッと止んだという話があります。
特に、今の米国社会における基督教会の影響力は、かなりのものがありますから、こういう基督教会の指導者を長崎に招くぐらいのことは、すべきなのでしょう。ついでに、「長崎の鐘」も歌ってみる。平均的な米国人ならば、心が震えると思うのです。
長崎の大学病院で自らも被爆しながら、患者のために命を投げ出した永井博士も、クリスチャンでした。彼は長崎の市民が被った悲劇を「神の啓示」と言い「贖罪」と言いました。キリスト者ならではの発言です。
ぜひ、これらの人々の受けた苦しみと崇高な思想を、世界にお知らせください。
イスラム者にも届くと思います。
1981年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世は長崎に来られているのですね。
カトリックにとっては、あの地は被爆の地であると同時に殉教の地でもありますね。
http://www1.odn.ne.jp/uracathe/
>米国人に対するインパクトの度合いからすれば、広島よりも長崎だと思うのですよ。
だから、浦上天主堂の十字架を目標にして原爆落とした、と非難すればよいのです。アメリ力ンリべラルは倫理的に破産させることができると思いますよ。
「正義の連合軍」の神話は、いい加減終わってほしいですから。
ブログの文章を読んで涙を流したのは初めてです。感動しました。私の思っていたことを的確に書いてくれたと思ったら、途端に、ポロリ、我慢出来ませんでした。
戦争が、どれほど残酷な物か、今の代議士にも話してやってください。もう、すっかりあなたのフアンになりました。 爺
ただでさえ情緒的な話になりがちなのに、ますます相手の情緒的反発を招くと思います。
余計な説明無しで見てもらうのが一番確かです。
天主堂の廃墟が残されてたら欧米人にはもっと効果的だったのですが。
でも、そうなるとどうしても宗教が絡んできますね。
残ってたらローマ法王も訪問してたでしょう。
戦後保存に傾いていた天主堂の廃墟がナゼか一転取り壊し再建となってて、
ほっとしてる国がどっかにありそうな・・・
私の周辺で見る限りアメリカより、ABCCへの敵意が強かったです。
被爆者が実験データとして扱われたためです。
数年前、広島で黒い雨が発見されると、すかさずアメリカからサンプルの要求がありました。
言葉遣いこそ慎重でしたが、原爆の資料への執着には「変わってないな」と感じたものです。
民主主義を植えつけてやっただの復興に手を貸してやっただの言ってる割りに
戦後もモルモット扱いですから、「どの口で言うか」です。
私は反米でも反日でもありません。
スヌーピー大好きですし、日米安保は当分必要と思ってます。
アメリカに復讐だなんてバカげてる。
ただ、「彼らはそういうことをやった人たち」という記憶は刻んでおくべきとは思ってます。
それは取りも直さず、「我々もやりかねない人たちである」ということと表裏一体ですが。
原爆の被害に隠れがちですが、都市の無差別空爆で例えば東京では10万の住民が死んでます。
焼夷弾をまず周囲に投下して逃げ道を断った後、じゅうたん投下したなんて話を聞くとそこまでやるかと思いますね。
戦後日本って基本的に親米ですが、底にある反米感情がちょっとしたきっかけでくすぶったり噴出したりを繰り返してる気がします。
意識化されない負の感情は後々祟ったりしそうで嫌だなと。ま、受け売りなんですが。
重複トラバ削除お願いします。
私は、原爆記念館見に行った事もありますが、結果的には、『原爆は終戦を早めたのは事実だ』とも、『原爆が使われた事は少なくともその後の多大な犠牲が未然に生まれる事を防いで来た』とも思っている口です。
でも、アメリカの大学にいた時、仲の良かったカナダ系ドイツ人の女の子に、
『あれは良い事だから起こったのよ』
と言われて、
『ふざけるな!』
と激怒して思わず立ち上がった事がありました。
割り切ってるつもりでいてもそうでない部分が多々あることは、その時分かりました。
いくら口論を重ねても分かり合えない部分が残っても、互いに友達でいることも出来る。
大切なのは、分かり合える事じゃなくて、分かり合えなくてもお互いの存在を認めながら共存していける事なんだ、と、学生時代に学んだ事を思い出しました。
このテーマはリアクションが多いですね。流石に皆さん関心の高いテーマなんでしょう。初めて登場していただく方も多く、正直大変勉強になりました。遅くなりましたが改めて御礼申し上げます。
Baatarismさん
うふふ、そのうちばらします。待っててください(笑)
それと後ろで書かれた長崎のローマ法王訪問の件。この時は結構問題があったんです。ローマ法王は原爆被害者の見舞いを最優先にしたい、と原爆関連施設の訪問などを優先されたことに対し、長崎で所謂「殉教」した子孫の方々が「そりゃー、ねーだろ!!」と抗議したという話です。関係者がおられたらお詫び申し上げますが、こちらのほうが「そりゃーねーだろ」と叫んでしまった事をよく覚えています。宗教を超えるのだ・・・というメッセージが伝わらないとは・・・
その後、殉教者のミサの時も席順でおおもめにもめた話は有名で(要するにおれのじいさんのほうがより厳しい踏み絵をさせられたから席は前だ、とかいって争ったという話)、法王はたいそう悲しまれたと伝わっています。これらは遠藤周作さんのエッセイに出ている話ですが・・・
為替さん
ひとそれぞれですが、そういう方は結構多いですよ。
ぜい肉マンさん
その通りかもしれませんね。妙な抑止力かもしれませんがね。私も若いうちに見せるべきだろう、と正直に思います。
QT Honeyさん
ご訪問痛み入ります。
米国外の方はアラビックでなくても、「これだけやられて、君たちは・・・」的な反応を示す方は結構居られます。オランダ人あたりだとあれだけドイツにやられたけど、これはやりすぎ・・という意見もいいますね。様々な反応があって良いと思いますし、見ていただくほうが肝腎でしょう。中島さんについてはアグリーですよ。あの人のお陰で救われた人は結構多いと思います。
響子♪さん
そうですか、是非行かれて見てください。何人か書き込まれていますがお時間が許すなら長崎も見てこられるといいですね。あそこはあそこで、雪斎殿が書き込まれているように、多分ちょっと違う感想をもたれると思います。
こいもさん
ありがとうございます。
おっしゃるとおり、極限の経験をしたかたはほとんど何も語らないそうです。東京の空襲もそうで、結局風化してしまいます。おっしゃるとおり、そういった公的な資料館の役割は大きいかと・・・原爆ではないですが、実は東京にもそういう場所が結構あります。戦後、不明戦死者が大量に陸揚げ!され、あるところで1ヶ月近く焼かれたのですが、そこに大規模なマンションが建ってしまったのです。因みに自殺の名所になったます・・・・
それから、後で書き込んで頂いたほうですが、
ただ、「彼らはそういうことをやった人たち」という記憶は刻んでおくべきとは思ってます。
それは取りも直さず、「我々もやりかねない人たちである」ということと表裏一体ですが。
・・・・というのは本当にそうだと思いますよ。その意味も含めて本人達にも知ってもらいたい、という気持ちが私にももちろんあります。
おおみや%バイト君さん
お久しぶりですね。そのとおりだと私も思います。
バッファロー66大尉さん
大筋私も同意見ですね。妙な関係ではありますがそれが原点で上手くいっている部分もあろうかと・・・
ビーサンさん
そういって頂けるとありがたいです。その方の人生観もかなり変わる筈です。あれは正当な軍事行動を逸脱していた・・・という感想を持つ人たちが多いようですよ。
KUさん
それはおっしゃるとおりですね。後で書き込まれたこと
mmさん
ありがとうございます。確かにアメリカの一面はそういうところがあるんですよ。で、犠牲になるのは大体貧乏人で・・・という負の側面ですね。これはこれで次の選挙ではかなり大きな争点になろうかと存じます。そのあと書き込んで頂いた事も含めてこういう日米のハザマで仕事をしているのもなんかの運命かな?と感じで何か行動できるよう、努力したいと思っております。また、ご意見下さいませ。
XYZさん
資料ご提供、痛み入りまする。
現地には英語の発信物は結構あるのですが、HPなど充実させる必要はありそうですね。
nulpoさん
そのあたりは日本だけの問題ではないかもしれませんね。また、東京の空襲については残念ながらかなり風化してしまった感がありますよね。ただ、イラクなど、正確な映像はカットされている可能性もありますが、かなりそれに近いですよね。本質的には変わっていないのかもしれません。
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がっさん
いえいえ、どんどんご意見をおっしゃってください。
雪斎殿
いや、相変わらず鋭い所から切り込んでくるな?(笑)
私のまわりに限ってかもしれませんが、日本の女の子のファンは多いですね。気持ちはわかるんですよ。仮にアメリカでああいう日本人女性特有の包容感、というかやさしさ、を求めていくとゲイになるしかない・・・という話もあるくらいで・・・
>「反米」、「反日」などと観念で語るくらい、つまらないことはないと思います。
おっしゃるとおりですよね。そういった精神的な交流をしていないとお互いに悲劇を招きます。
長崎の件は御意。確かに全く別な感覚で捉えるようです。
種々書き込み感謝申し上げます!
九州人さん
いろいろな事が伝えられていますよね。長崎ではなかった可能性もある訳でして、おっしゃるとおり、何の運命なのかと考えてしまいます。
kmさん
初めて・・・でらっしゃいますよね。
大変貴重なご意見を有難う御座いました。特に、
人類はせっかくこんなに大きな苦難を乗り越えたのですから、日本もアメリカも第三国の区別もなく、それを共通の経験としてこれからの世に活かして行くしかないんです。
の部分、身にしみました。
また、いらしてくださいませ。
Ji-JIさん
そんなに褒めて頂いて恐縮です。有難う御座います。励みにさせて頂きますので、また遊びにいらしてくださいね。
名無之直人さん
その通りだと思います。感情的にどうにもならん部分はある訳ですよね。特に広島、長崎の現地の方々はそうだと思います。原爆から離れれば沖縄もそうでしょうけど。そういったことをお互いにリスペクトできる関係を築く事が大事だ、と常々考えさせられております。
>ぐっちーさん
偉大なるパパも、日本の田舎者根性には悩まされたわけですか。お前が踏み絵踏んだ訳じゃないだろう、と言ってやりたくなりますね。w
誰なのかは自分でも考えてみたのですが、ハーバード大学経済学部教授で日本通という条件に当てはまる人を見つけることができませんでした。
広島のお好み焼きを食べないで日本通を名乗るな!ということかなと、食いしん坊な気持ちで読みはじめたら(笑)魂にズーンとくるテーマでした。
「原爆は戦争の終結を早めた」という点については私は納得しているのですが、それは軍事戦略的な話であって、道義的な話とは別ですよね。留学時代、そういう論旨のペーパーを出したのですが、すこし前に長崎で発見された「被爆したマリア像」の写真付き記事を読みました。ショックで正視できなかったです。宗教の観点から米国人に話してあげるのもひとつの方法ですね。
被爆してない私が「許し」を口にする資格はないですが、「過ちは繰り返しませんから」というあの有名な言葉は、十字架にかけられたイエスの「主よ、彼らをお許しください。彼らは自分が何をしたかをわからないのです」という言葉なのかもしれない・・・と思いました。十字架、重たいですね。
何度か資料館に行っていますが、悪い意味で奇麗になってしまい観光地化してます。
伝えることより資料の保存や展示に主眼が移った気がして残念です。昔入り口にあった恐ろしい形相の蝋人形も今は控えめな展示になっていますし。
スミソニアン博物館のエノラゲイの展示などで内容の是非を問うより、過去の傷跡を多くの人に見てもらうことや忘れさせない努力が必要な時期がきていると思ってます。
(抗議行動も所詮ポーズでしかないし…と少々醒めた目でみてたりします。)
長崎には修学旅行で行ったことがあったのですが、原爆記念館には行っていません。浦上天主堂で原爆の話は聞いたと思うのですが、まったく印象に残っていません。
ぐっちーさんのブログで改めて広島・長崎に行かねばならない思いました。私の地元も臨界事故で大騒ぎになりました。当時沖縄にいたため、地元の家族が心配でしょうがありませんでした。けれども、広島・長崎は事故ではなく、人為的な作戦で行われ、被害は比べようが無いほど、恥ずかしいことに想像しようがありません。自分の国を知らずに歴史や政治が好きだ言っていた自分が恥ずかしく思います。
またアメリカへたつ前に広島・長崎は訪れたいと思います。ありがとうございました。
>原爆は戦争の終結を早めた
これはどうですかね、
当時の日本側は講和を求めていたし(間抜けなことにソ連に仲介を頼みに行ってる)
ソ連の参戦は目前だったわけで、手を上げるのは時間の問題だったと思います。
原爆の威力を見せ付けるにしても、予告して東京の沖合いででもデモンストレーションすれば十分ではなかったか
ぐっちー様
「英語の発信物」はあるんですね。P2P のネットワークでチラシを配るというのもありなんじゃないかと思います。
P2P については賛否あると思いますが、若い利用者が多いので先入観も少なく読んでもらえるんじゃないかと思います。もちろん、途中で改変されないように PDF 等のファイルにしてからですが。