2005/04/25 11:30 | 考察 | コメント(2)
資本主義と宗教の関係 プロテスタンティズムとアメリカ、中国
今回の中国の一連のデモを見ていると、いずれにせよ、「なんかこいつらたまってんなー・・」と思わざるを得ない一面がありました。良し悪しは別です。資本主義が発展してきてお金、お金、となってくると言う過程は日本だって高度成長から始まり、ほりえもんの登場に至るまで、「金でなんでもかえるぜい!」なんてとこまで来ている訳ですが、しかし、ガスのたまり方にはえらい違いがありますね。単なる国民性の違いではないでしょう。
このあたりについて極めて明確にテーゼを打ち出した論文があります。大塚久雄氏の名著、「資本主義とプロテスタンティズムの精神」という不朽の名作であります。だいたい、これを読んだことの無い経済関係の人ははっきりいってお金取る資格なし! 必読でしょう。
(友人から指摘あり、これは大塚先生が研究されたマックス・ウェーバーの原書の題名で、大塚久雄先生の著作は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」です。混同してしまいまして謹んで訂正致します。流石に私の友人はレベルが高いと感心しております。はい。)
大塚先生のすごかったところはプロテスタントという宗教はカトリックの腐敗にルターが立ち上がったと言う一面だけでなく、実は資本主義が発展してきた必然の結果としてカトリックからプロテスタントに変遷した、という、宗教はあくまでも社会的、経済的条件に基づいて発達し、共存するという事を明らかにしました点です(えへん!)。大塚先生ご自身は敬虔なプロテスタントでおられたので、宗教に関しては全く疑いを持っておられませんでしたが、その先生をもってして資本主義がプロテスタント成立の根源だとおっしゃるのですから、穏やかではないですね。
このあたりの経済史をおさらいしておくと、資本主義がまあ、いろいろな段階を経て成熟してくると、人々が豊かになって食べるものにも困らず、別に家だってみんな持っているし、とだんだん物欲が薄れてくる、そうなってくる徐々に労働の価値が下がってきて、全員で物事を共有するという「社会主義に」発展してくる・・・と考えたのがマルクスでした。結果ははずれ、というより、むしろ資本主義が発展していないロシア、中国などが「イデオロギー」として採用してしまったために本源的な経済理論が試されないまま「だめ」印をおされてしまいましたが、経済理論そのものとしては秀逸です。
一方、同じ資本主義の爛熟が、その金と物質に対する欲望を爆発させ、最終的に収拾が付かなくなることを見抜き、それをバランスするためにプロテスタントという極めて厳格な宗教を必要としたとするのが大塚史学と呼ばれるものです。(一方でプロテスタントのもつ金銭に対する寛容さ、も重要なのですが)
誤解されている方が多いのですがプロテスタントと言うのはそれは厳格な宗教です。例えばカトリックの神父様は飲酒OK,喫煙もちろんOK,だめなのは妻帯だけです。妻帯についても認めないと言うのは、彼らが我々より1ランク上の人間(より神に近い)と言うのがその理由で、神に近くて人間とちょっと違うランクの人だから人間の女を娶ってはならん、というのがそもそもなのです(ほんとなんですから!)。
まず、この神父様がより神に近いという所が近代資本主義の発展でなんかうそくせーぞ、とばれてきた訳ですが、それはともかく、一方プロテスタントの牧師は禁酒、禁煙が原則、但し人間なので妻帯はOKです。(プロテスタントの牧師は資本主義らしく選挙で選ばれるので妻帯していても仕方ないのです)プロテスタントとして世界で最も厳格な部類に入るのがアメリカンプロテスタント、ブッシュ大統領はこちらですね。毎朝お祈りを欠かさないくらい「ストイック」であります。
ここにおもしろいデータがありまして、ロイター社の調査で「私は宗教心があると思う」と答えた国民の割合が、まあ、カトリックが多いから多いだろうなー、と思われるフランス当たりで8%、北欧に行くと軒並み5%前後。わが日本は意外に多く15%、しかし、アメリカはなんと52%!!
しかも国民の40%は「週に一回は必ず教会に行く」と答えております。おおー、アメリカはやっぱ、怖い、と思いますがそれは別にして、世界一の資本主義かつ金儲け礼賛国であるアメリカにおいて、厳格なプロテスタントがここまで根付いている訳です。人間お金お金、となってきてバランスを失ったときに自分をニュートラライズする、何かが必要なのではないか、と言うことなんですわ、私が言いたいのは。
日本人は花見にせよ、なんにせよ、そのバランスを取るために自然を愛でて来たということでしょうか、他の国ほど宗教に偏らずにすみましたし、なにせ、遊びの達人というのでしょうか、歌舞伎にしてもお祭りにしてもなんにしても昔からうまく「バランス」を取って来れたんではないかな、と(最近のワールドカップ騒ぎもこれかもしれん)
中国はどうでしょうか? まず、共産主義、イデオロギーとしてのマルクス主義が(元来もうこれ以上お金がいらないよー、というくらいみんながリッチになるので、物欲は必要なく、全員平等で神も何もいらないから社会主義ひとつでOK、というのがマルクスの考えだったのすが・・)一切のそれ以外の価値を認めていません。当然宗教はNO,ですね。そこの資本主義という「毒」を撒き散らすとどうなりますか?
アメリカ人がプロテスタント的な厳格さで自分を縛ってバランスをとらなければならないほど、その「毒」は強いのですが、今の中国にはその解毒作用に当たるものは「権力」による「圧倒的な力」しか存在せず、その毒の勢いはいつのまにかあふれてしまうのではないか、と危惧されます。
いみじくもマルクスは「下部構造が上部構造を決定する」と言っており、現在の中国はまるで逆ですね。
今回の中国の一連の動きを見て気がついたことです。マーケットには無関係ですが・・・
長くてすみません・・・・
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2 comments on “資本主義と宗教の関係 プロテスタンティズムとアメリカ、中国”
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この本はマックス・ウエーバー著「資本主義とプロテスタンティズムの精神」大塚久雄氏訳の本ではないでしょうか?
確かに原著は難解で最後に付いている訳者評のほうが判り易いのは確かですが(^!^;)。
疲れたー、
分厚い本を一冊読んでしもうた気分であります。
今少し
縮められる余地はあるかと思うのではありますが、
想うところ、
内緒ではありますが、
本人が今少し咀嚼していないか、ラブレターを書きすぎて、長文書きを不得手としてるでしょうか・・・