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2015/06/23 00:00  | 歴史・法・外交 |  コメント(11)

「王殺し」と四権分立


本日は、昨日の記事でご紹介した「執政権」についてお話します。最初に述べておくと、この話はかなりマニアックです。現実問題としてあまり取り上げられることもないので、雑談として、こんな話もあるんだなという気分でお付き合いください。憲法学の独特のテイストを味わってもらえればと思います。

立憲主義国家において、国家の権力は、立法権、司法権、行政権の三つの権力に分解されると言われます(三権分立)。ところが、最近の憲法学においては、これら三つの権力に「執政権」を加えることが論じられています(四権分立)。

小島和司、阪本昌成、石川健治といった憲法学の重鎮といえる方々が代表的な論者ですが、欧米においては通説的地位を獲得しているとそうです。「執政」とは、外交、軍事、財政といった国家の指導的な統治政策に関わる作用であり、「政治」に関わる領域のものです。「執政権」はその作用を司る権力です。

そんな権力が存在するのか。立法・司法・行政の三権いずれかに属していると整理すべきものではないのか。存在するのならなぜ取り上げられないのか。

「執政」という概念は、石川教授によれば、君主の権力を奪い、立法と司法に国家の活動を制御させ、理論上、国家の作用のすべてを法的統制の下におこうとする近代立憲主義の試みの中で、巧妙にして強引に姿を消されたとされます。

まず前述のとおり、「執政」とは外交、軍事、財政などに関わる作用です。執政は元々、「国王大権」などと言われ、国家の元首(国王、君主、日本では天皇)に帰属していた作用でした。

一方で、現代の公法学においては、国家の作用は、立法、司法、行政の三つに分解することができ、「行政」とは立法と司法の作用を取り除いた残り全てであると説明することが通説的見解です(控除説)。他方、「行政」とは「法律の執行」であるという説明の仕方も通説的見解とされています。

この二つの見解を総合すると、「行政」とは「法律の執行」に尽きるものとされます。本来存在していたはずの外交、軍事、財政といった「執政」の作用が消失する結果に至るわけです。

このような法的構成を創造したのは、19世紀から20世紀初頭に活躍したドイツの公法学者オットー・マイヤーでした。その公法理論の数々は、今なお行政法学において通説的地位を保っており、まさに歴史的権威といえる碩学です。

オットー・マイヤーは、ドイツ近代国家を創設すべく、国王大権の否定、憲法学からの「政治」の除去(権力に対する法的統制の徹底)を追求しました。上記二つの見解の合わせ技による「執政」の消失は、その近代国家設計プロジェクトの一環として考案されたものです。

つまり、本来は執政権を含む四権を想定しなければ説明し尽くすことのできない国家の権力を、近代立憲主義国家を建設するために必要な①国家(=君主)権力の制限と②憲法学の政治からの自立を実現すべく、トリッキーな概念操作を行って、「三権分立」という世界観を所与のものとしたのです。

なお、このような概念操作は、多元主義の社会構造をもつ英米においてはそもそも問題となりませんでした。それは、独仏においては一緒くたに語られる「行政」という概念を、英米においては、「administration」(「管理」すなわち「法律の執行」)と「executive power」(「統治」すなわち政府の権力)という二つの用語を用いて区別している点を見てもわかります。

「安保法制の合憲性をめぐる議論」で述べた「統治行為論」も、「執政権」はそもそも司法に帰属するものではないのだから、その作用について裁判所が判断することができない、という形で説明できます。

余談になりますが、私自身、外務省に勤務していたとき、そこで扱っていた業務は、「法律の執行」ではなく、もっとなにがしか政治的なものである、という感覚がありました。普通の国内官庁(特に規制官庁)であれば、通常業務が「法律の執行」という感覚はおおむねしっくりきます。とにかく役所の力の根源は法律と予算であって、役人のスキルとは立法のスキルであるという感覚が染みついています。

それに比べると、外務省の役人は法律を意識して仕事をしていません。立法作業もほとんどありません(湾岸戦争のときにPKO協力法案の成立に失敗したのは外務官僚が立法に不慣れだったためであるとも言われます)。外交とは、「法律の執行」や「管理」とは異なる創造的な作用であり、「執政」の一部をなすものである、と考えれば、この感覚はしっくりきます。

ここで述べた議論は、石川教授の論文「政治と行政」(法学教室245号所収)、「執政・市民・自治-現代統治理論にとっての『金枝篇』とは」(法律時報69巻6号所収)などで読むことができます。後者の論文のタイトルにある「金枝篇」とは、宗教学の名著ジェームズ・フレイザー『金枝篇』のことです。

この大著のことを書くとそれだけで一つの独立した記事になってしまいますが、簡単に言えば、未開社会には「王殺し」という伝統があって、その意義を人類学・民俗学・神話学といった様々な学問のアプローチにより分析した作品です。

前述のとおり、「執政権」は元々国王・君主が有していた権力でした。オットー・マイヤーによる近代国家設計プロジェクトとは、国王大権の否定、すなわち現代における「王殺し」だったということです。

古代には『金枝篇』にいう「王殺し」の風習、中世には暴君を倒すための「モナルコマキ」の理論がありました。現代における「王殺し」とは「三権分立」だった・・・ということです。

今回の話はちょっと訳が分からなかったかもしれません。法律を専門とする人でもこの議論を知っている人は少ないでしょう。雑談ですので、何となくでも面白さを感じてもらえるとうれしいです。

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11 comments on “「王殺し」と四権分立
  1. ペルドン より:
    王殺し

    色気がある話だなぁ・・
    可愛い子の膝枕で・・聞けばもっと・・刺激的で・・生き行き・・(笑

    シュメールが・・王殺しの最初では・?
    実務の王は別に存在・・

    殺される王は一年とか・・
    諸々の罪を背負い・・その代わり・・王の生活を味わえる・・ハーレムも・・
    堪能できる・・

    タイムマシン開発して・・行こうよ・・・!!(笑

  2. ペルドン より:
    忘却

    ドイツやフランス・・
    行政裁判所・・憲法裁判所・・等などあり・・
    感銘・・判りやすい・・

    憲法裁判所設立時期と思うな・・・(笑

  3. JFKD より:
    素人の床屋談義

    執政権知りませんでしたが、外務省で実感できたというのは解りやすいですね。なるほど条約は法律に優先し憲法にさえ優先する場合もあるわけですか。近代国家プロジェクトを設計するひまもなく革命で本当に王殺しをやってしまったフランスは、逆に政府は王の執政権を強化してそのまま引き継ぐしかなく、今でも大統領権限が執政権である印象が強いですね。ドイツと比べると大統領ー首相関係の分担にも反映しているのかも。政治の世俗化とも思える近代国家プロジェクトを逃れて建国した米国の大統領も執政権の印象が濃いですが、英米の歴史的に統治と管理の区別を知っていたというのは掘り下げて教えて頂きたいところです。しかし理想的なプロジェクト・政治の除去をはたしたドイツの、その反動とも思える民主主義によるファシズムの登場は立法・司法権に対する執政権の重要性を思い出させます。昨日のレポートでの民主主義をどこまで信じるかという自由主義とのバランス、難しい。このバランスをとるのが現代の執政権なのかも知れない。リーダーの価値を示す根拠か。しかしとんでもない限定がついている日本の執政権、この時点でJDさんは興味を失っているということでしょうか。欠陥(立憲)自由主義に対して民主主義が立法で修正、司法は判断回避。本当は憲法改正のはずだが、執政権は国民のため本当の制定者米国と相談し高度な政治判断をしなければならない。

  4. カマキリマン より:
    ありがたい記事

    三権分立というある種の幾何学的な美しさのある概念とテレビに映る国会中継での人間臭いやりとりとの落差。
    こういう違和感は、中学生・高校生で三権分立を学習した時から、多くの人が抱いていたのではないかと思うのですが、新聞テレビなどできちんと議論されることがないように思います。
    三権分立という概念は「政治という現実・現象」をないものであるかのように扱っているという批判はなんだかしっくりくるように思います。

  5. JD より:
    タイムマシン

    一年限りの王、エロスとタナトスを味わうには最高ですね。
    抽象的違憲審査制をやるには憲法改正が必要です。集団的自衛権の改正とワンセットでやるんですかね・・。

  6. JD より:
    JFKDさん

    楽しんでいただいたようで、うれしいです。
    条約が憲法に優位するという見解もありますが、圧倒的少数説で、憲法が最高法規であることは動かないですね・・役人は法律に書いてあることしかできないのですが、外務省は外務省設置法に書かれている権限がものすごく広いので、何でもできてしまうわけです・・思ったよりウケがいいのでこの話続けてみるかもしれません(笑

  7. JD より:
    カマキリマンさん

    そうですね、しかも、日本の場合、立法府が形骸化してますからね・・苦笑

  8. yosh より:
    執政権の範囲

    毎回、興味深く拝読しております。
    今回の記事も初めて聞く話でしたので大変面白かったです。
    三権分立は抑制と均衡という論点で機能を説明されることも多いかと思いますが、ここに執政権が加わった時に、執政権に対する抑制等はどのように議論されているのでしょうか。執政権の範囲は外交、軍事、財政などとのことですが、その膨張を抑える仕組みというのも議論の俎上にあるのだろうなと思い興味を持った次第です。

  9. JFKD より:
    縮小しているのになお膨張?

    日本人は話がだいたい三権分立からですが、歴史的にも王権から立法・司法が分離したと推測しやすいですね。そうすると本来範囲を設定されるのは王権(執政権)ではないというように類推できます。しかし課税権のなどの問題から立憲主義により制限される(この時は英国も王殺し?)ようになったし、英米仏に対し後進国であるが故に近代国家プロジェクトを組まざるを得なかったドイツ公法学により執政権まで消失させられた。立憲・自由主義の仕組みとしては縮小することばかりでしたが、膨張を抑えるという反応が出るのは戦前の統帥権の独立のせいでしょうか。戦後は交戦権・軍事防衛能力の消失ですが。それとも行政立法と立法府・民主主義の形骸化なのか。

  10. JD より:
    yoshさん

    執政権の規律についてコメントどうもありがとうございます。
    的確なご指摘と思います。来週、Q&Aの形でお答えさせていただきます。

    JFKDさんの問題意識にもできる限り応えられるよう回答したいと思います。

  11. X より:
    裁量、判断と言う事でしょうか

    執政権とは、裁量、判断の権限、その度合の事でしょうか?
    個別の実際の事象に対し、どこまで裁量の余地があるのか?どこまで判断して良いのか?と言った。
    例えば外交官であれば、相手国の担当者と実際に向き合って話した事が、相手国との外交関係に影響を与えるわけです。しかし、実際に話している事の内容や言葉の節々まで法律で規定する事も議会の承認も得る事も現実的には不可能ですから、何をどんな態度でどう言った表現でどう話すかは全て裁量や個々の判断となるでしょう。
    こう言ったミクロの次元であれば、程度の差こそあれ、どの官庁でも共通しているでしょうが、外交ではかなり大きなレベルの次元まで同様の状況があるわけです。条約や援助と言った次元まで行けば、他の官庁と同じ様に色々な統制や議会の承認と言った話になるでしょうが、その前段階での個別具体的事象への裁量や判断が大きい事を執政の一部をなすと感じられるのでは無いでしょうか。

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