2016/08/24 00:00 | 南アジア | コメント(6)
バングラデシュ人質テロ事件
日本人7人を含む17人もの外国人の犠牲者を出したバングラデシュでの人質テロ事件から既に2か月。だいぶ経ってしまいましたが、この事件についてはきちんと書いておきたいと思います。
バングラデシュでは、イスラム過激主義によるテロは頻発しており、これ自体は珍しいものではありません。しかし、その多くは国内の権力闘争と結びついたものであり、外国人を標的とする原理主義的なテロとは異なる性格のものでした。
しかも、2004年に起きた同時多発テロが鎮圧されて以来、組織的で大規模なテロは起こっていませんでした。それだけに日本人を含む外国人を標的として、これだけ大規模なテロが起きたことは、関係者や専門家にも強い衝撃を与えました。
●バングラにおけるイスラム過激主義の背景
現代バングラデシュの政治は、二大政党であるアワミ連盟(AL)とバングラデシュ民族主義党(BNP)、そして両党の創始者であるムジブル・ラーマンとジアウル・ラーマンの遺志を受け継いだシェイク・ハシナとカレダ・ジアという二人の女性指導者によって動かされています。
バングラデシュは1971年にパキスタンから独立しましたが、当初は世俗国家として成立しました。独立を導いた政党であるALが世俗主義を掲げたからです。
バングラデシュは、パキスタンから独立したことからも分かるとおり、国民の9割がイスラム教徒です。しかし、バングラデシュのイスラム教は、開明的で穏健な性質を備えており、国民のアイデンティティも「ベンガル人」という民族に依るところが大きく、元来イスラム原理主義からは遠い性格をもっていました。このため、世俗国家として独立したことは、ある意味で自然な流れでした。
しかし、この国では次第にイスラム過激主義が横行します。その背景にあったのは二大政党の権力闘争です。
ALのリーダーで初代首相となったムジブル・ラーマンは、1975年、軍のクーデターにより暗殺されます。ムジブル・ラーマンの死後、ALのリーダーとなったのが、彼の娘であり、現首相のシェイク・ハシナです。
クーデター後に権力を握った軍部は、政権を安定させるためにイスラム保守主義勢力と手を結びました。そして、憲法を改正し、バングラデシュはイスラム国家に政体を変更します。
BNPは、ムジブル・ラフマンの暗殺後、大統領になった軍人ジアウル・ラーマンが結成した政党です。すなわち、元々はALに対抗するための官製政党でした。
ところが、ジアウル・ラフマンも軍内部の対立から暗殺されます。ジアウル・ラーマンの死後、BNPのリーダーとなったのが彼の妻であったカレダ・ジアです。
ジアは、1991年の民主化後の総選挙でBNPがALに勝利したことにより、軍事クーデター以降初の文民首相に就任します。ここから、BNPとALという、二大政党が交互に権力を握る時代に入ります。
BNPとALは、選挙を通じて権力を争いながらも、お互いに凄まじい妨害活動を展開し、選挙のたびに死者を出す結果になりました。
その暴力的な政治闘争の中で、世俗主義を掲げるALに対抗し、BNPはイスラム主義政党と結びついてイスラム主義を強調し、イスラム過激主義に融和的な姿勢をとります。これが、結果として、イスラム過激主義によるテロの拡大を生みました。
これに対し、ALは、政権を獲得すると、イスラム過激主義によるテロの背後にいるのはBNPであると主張し、徹底的に弾圧します。
このように、二大政党がお互いを牽制し合う中で、イスラム過激主義は、それぞれの政党にとって都合の良いツールとして利用されることになりました。政治闘争がイスラム過激主義によるテロを助長する結果となったわけです。
●「イスラム国」の侵食
しかし、イスラム過激主義によるテロは、冒頭に述べたとおり、2004年に起きた同時多発テロが鎮圧されて以来、勢いを失います。背景には、BNPも、政権を担うと、行き過ぎたテロの激化を問題視し、テロ鎮圧に舵を切ったことがあります。
その後もALとBNPの激しい政争は続きますが、08年の選挙でALが勝利。14年の選挙ではBNPが選挙をボイコットしてALが議席をほぼ独占し、政党間の対立という火種は残しつつも、治安情勢は安定に向かいました。
しかし、新たな脅威として浮上したのが、「イスラム国」に代表される国際テロネットワークです。15年以降、「イスラム国」が犯行声明を出したテロが頻発するようになります。それでも、組織力と規模は限定されており、そこまで深刻な危機感はありませんでした。
その中で起こったのが今回の人質テロです。その外国人を狙い撃ちした凶悪性、20人もの犠牲者を出した規模の大きさは、近年例をみないものでした。
●バングラデシュの問題
今回のテロが発生する前から、ハシナ首相率いるバングラデシュ政府は、「イスラム国」はバングラデシュ国内で活動していないと述べてきましたが、テロ後もこの立場は変わっていません。
政府は、イスラム過激派はBNPを中心とする反政府派と結託しており、したがって反政府派を厳しく取り締まる必要がある、と主張しています。つまり、イスラム過激派対策が政治闘争のために利用されるという従来の構図が維持されているわけです。
こうした政府の方針は、国際的なテロネットワークへの対策に必要なリソースの投入や各国との連携を妨げ、「イスラム国」につけいる隙を与えることになっています。これがバングラデシュの抱える問題です。
バングラデシュは、情勢の安定もあり、投資ブームが来ていたところだったので残念です。亡くなった方たちには心からご冥福をお祈りします。
次回は、東南アジアにおけるテロの脅威について述べます。
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6 comments on “バングラデシュ人質テロ事件”
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ご了承のうえ、ご利用ください。
パキスタン情勢が・・
抜け落ちている。勿論・・インドも。
これが・・
バングラデシュを更に複雑怪奇にしている。
この辺りは・・JDが詳しい。
是非ぐっちーの説明を補完してもらわねば・・・(笑
ぐっちーのコラムと思いこんでいたら・・JDでした。失礼・!
でも・・序だから・・
説明して下さい・・・(笑
インド、パキスタンのISIとの関係はとても複雑です。
でも、そこまで書くと、話が拡散して、誰も読んでくれないのでしょう(苦笑)。いずれ時がきたら書きます。
ありがとうございます。
パキスタン情勢を含めた続編を是非よろしくお願いします。
こういう国家権力の怠慢で非常に優秀な同胞が亡くなる。
無念です。
*5分で読めるインドネシア近代史、素晴らしいです。
メガトン級のボケにはメガトン級のツッコミが必要も、一晩かけても思い浮かばず…
Wikipediaからの引用でお笑いのお茶を沸かします?わ…(笑)
>5,110kmと東西に非常に長く、また世界最多の島嶼を抱える国である。赤道にまたがる1万3,466もの大小の島により構成される[2]。人口は2億3000万人を超える世界第4位の規模であり、また世界最大のイスラム人口国としても知られる。