2015/05/04 00:00 | 東南アジア | コメント(1)
リー・クアンユー 『リー・クアンユー回顧録』②
前回の記事では、『リー・クアンユー回顧録』のハイライトである「シンガポールの青春の物語」について書きました。
今回は、他の文献や最近の状況にも依拠しながら、①「CEO」としてのリー・クアンユーと②シンガポールの将来について述べます。
●シンガポールの「CEO」
リー・クアンユーは、その現実主義、プラグマティズムから、政治家というより企業のCEOのような人物である、と言われる。
リーの世界観は、本書のほか、『One Man’s View of the World』、『リー・クアンユー、世界を語る』などで見ることができるが、その語り口は正確で明晰、ビジネスマンか社会科学者のようである。特に、中国とイスラム原理主義の考察は、非常に冷静でバランスがとれたものであり、今読んでも示唆に富む。
一方で、その明晰性と合理性は、傍観者のように突き放した視点を感じさせる。これだけ特定の政治理念やイデオロギー、熱気を感じさせないリーダーも珍しい。
リーの意思を体現する人民行動党(PAP)もまた固定したイデオロギーをもたないことに特徴がある政党だった。そして、リーの突き詰めた合理主義は、多様な価値観を認めず、政府の方針に基づき、全国民を会社員のように働かせるシステムにつながっている。
シンガポールを語るキーワードの一つは「パターナリズム」である。リーは国民に対して、自らのグループが築くシステムに盲従することを求め、見返りとして経済的充足を与えた。被治者である国民に自分の頭で物を考えることは期待せず、むしろ有害とすら考えていた節もある。
このシステムに必要とされたのは、絶対的な独裁体制だった。
自由選挙を行いながら、一つの政党が第一回の選挙から1981年の選挙まで全議席を独占したのは、世界的に見ても異例である。野党によるわずかな議席獲得すら問題視され、政府は公然と野党への抑圧を行う。選挙区制度の恣意的な改正、裁判を経ることなく行われる投獄、厳格な言論統制は常套手段であった。
余談ながら、こういったアジア的な強権のスタイルは、米欧では批判の対象になりがちだが、リーに対しては例外的に高い評価を与える知識人が多い。キッシンジャーもそうしたリー・クアンユー礼賛者の一人であり、ワシントンポストの追悼記事や『One Man’s View of the World』などにおいて、リーに対する思い入れを語っている。
英国教育、会社経営者のようなスタイル、清廉潔白が共感を呼ぶのだろう。加えて、アジアを成功に導いた哲人としてのイメージも寄与しているのかもしれない。欧米の知識人(特に伝統的なアジア研究者)の中には、東洋の哲人的知性に非常に強い魅力を感じる者がいる。キッシンジャーは、アジア専門家ではなかったが、毛沢東にも強いカリスマ性を感じていたようである。
このように、リーの世界観、合理主義、統治スタイルは、たしかに会社経営に通じるものがある。その背景にあったのは、前回の記事で述べたとおり、植民地時代の教育、独立後のシンガポールを取り巻く環境だった。
さらに言えば、シンガポールの文化の発展に対して、リーはまったく関心をもたなかった。精神的充足よりも物理的繁栄をもたらすことを使命とする、近代国家理性の純粋な体現者といえるのかもしれない。
また、プライベートの生活や趣味など、仕事以外の人間的な面が語られることが非常に少ない。たとえば、『回顧録』にはゴルフをしている写真が沢山掲載されているが、ロイターに掲載されたリー語録には、ゴルフは1.5~2時間もかかるが、20分でも走った方がよほど体力がつく、だから自分はゴルフをやめた、とある。若い頃ゴルフに励んだのは英国の統治者との社交に利用するためだったのかもしれない。
夫人のクワ・ギョクチューも、リーを支えた賢妻として有名だが、リーの同夫人に対する賛辞は、自分と同じエリート教育を受けた弁護士であったこと、自分より頭が良いこと、仕事上信頼できるパートナーであったことが大部分を占める。ちなみに、リー・シェンロン夫人のホー・チンは、テマセク・ホールディングスのCEOであり、やはり夫の仕事を支える役割を担っている。
だからなのか、長期にわたり強権的な独裁を実現したリーダーにしては、深い精神性や神秘的なカリスマを感じさせることがない。先月、リーが亡くなったときもシンガポールの将来に大きな影響が及ぶことを心配した人はいなかった。
もちろん、リーがすでに現役を退いていたこともあるが、上級相を務めていた、ゴー・チョクトンの時代に亡くなったとしても、それほど深刻な影響が及ぶことはなかったと思われる。あたかも会社のCEOの座が承継されるように、同じ価値観を共有する他のリーダーたちが指導者の地位を承継して、そのままに国家を運営できるからである。
●ポスト・リー・クアンユー時代
上記のとおり、リー・クアンユーの死がシンガポールの将来に影響を及ぼすことはなかった。一方で、リーが築いたシステムが今後も存続するかどうかは、別の問題である。ポスト・リー時代のシンガポールはどこに向かうのか。
リー死去以前から、シンガポールは転換点を迎えていると言われてきた。言論統制と選挙制度操作により一党独裁を保ってきた体制に対しては、若い中産階級がインターネットを通じて疑問を投げかけるようになり、市民社会の影響力が無視できないレベルになりつつある。
外国人移民の増加は、生活環境の悪化を招き、市民の不満を高めているが、同時に、昨年のリトル・インディアでの暴動のように、社会の不安定化というかつてない問題にも直面するようになった。
これに対しシンガポールは夜間の飲酒・酒類販売の禁止という対応はいかにもこの国家らしい対策をとった。国内には監視カメラ網が張り巡らされており、治安の悪化の懸念はほとんどない。
このような状況を背景に、2011年の総選挙では人民行動党の得票率は60%と過去最低になった。その後も、大統領選では辛勝、補欠選挙で敗北と、事実上3回の「敗北」を喫し、人民行動党はかつてない批判にさらされた。
●次期総選挙
次期総選挙は、来年1月までに実施されることが予定されている。では、この選挙を契機に、シンガポールという国は変わるのか。
その答えはおそらくノーである。この国の基本的なシステムが変更されることは、少なくとも近い将来において想定しがたい。
まず、次の総選挙では、人民行動党が大勝する可能性が高い。なぜなら、2015年度予算案に現れているように、人民行動党は、社会保障の充実等について具体的なプランを提示し、国民の支持を得る政策を強化している。しかもリー逝去、建国50周年という追い風が吹いている。このまたとない好機を生かして本年中に選挙を実施する可能性が極めて高い。
では、選挙後のシンガポールはどうなるのか。問題を克服することはできるのか。
外国人労働者の問題は、たしかにこの国のシステム維持に関わる課題である。しかし、政権は、この課題に対して処方箋を示している。
そもそもシンガポールの経済モデルは、簡単に言えば、外国企業による輸出と消費に依存しており、その政策のポイントは、いかに外国企業を誘致し、気持ちよく活動させるかにある。具体的には、税制優遇を中心に制度を整備し、豊かな生活環境と優れた人材を提供して、外国企業に製造業、金融サービス業という二大産業を任せる。
実はシンガポールの国内企業の競争力はそれほど強いものではない。たとえば世界的な金融センターといっても、その主役は外資金融であり、国内金融の実力は比ぶべくもない。シンガポールが独自のノウハウをもって他国と競争できる分野はそれほど多くない。代表的な例はリグ製造(ケッペルとセムコープ)、不動産開発(特に工業団地)である。
このようなモデルに立っているがゆえに、シンガポールにとって、グローバル企業で活躍できる高度な人材を育成し続けることは死活的に重要である。外国企業にとって、現地で採用するシンガポール人のビジネス能力は大きな魅力である。シンガポールの教育制度は凄いと言われるが、その背景には、世界から集まる外国企業の期待に応えるだけの人材をそろえる必要に迫られているからである。
そして、現在、政府が最優先課題の一つとして掲げるのは、労働力の生産性の向上である。飲食業・建設業といった労働集約産業においては、ある程度の数の非熟練労働者が必要となることは避けられない。シンガポールでは外国人労働者がその役割を担っているが、こうした労働者にはビザではなくワーク・パーミットを与え、ニーズがなければいつでも追い出せるような制度の構築を進めている。
会社が一定の分野の業務においてアウトソースして柔軟な雇用を可能にしているように、シンガポールは、ブルーカラーの仕事をアウトソースするような措置をとって、柔軟で効率的な労働力の供給を可能にしようとしている。この意味で、シンガポールは、外国人労働者問題に対して一応の解決の方向性を打ち出している。実現には困難を伴うだろうが、さすがにリー・クアンユーが首相を務めた時代から、絶え間なく生存戦略を更新してきた国である。抜かりはない。
では、政治システムは変わらないのか。言論統制はインターネット時代にも正当性をもって機能し続けるのか。
前述のとおり、この国の核心は、パターナリズムに基づく企業経営的統治にある。経済的発展を続ける限り、そのシステムの根幹が揺らぐことはないように思える。しかし、スタートアップ、社会起業家、NGO等の活動に見られるように、リーの時代から市民社会は発展し、価値観も多様化しつつある。様々な意見を政治に反映させようとする要請は高まっている。
ポイントの一つは、多党制が実現するかである。この意味では、人民行動党の結束を象徴する唯一無二の存在であったリー・クアンユーの死去のインパクトは大きい。これは、リー・シェンロンが代替することが不可能な役割である。
現政権の閣僚には、ターマン・シャンムガラトナム副首相はじめ、リー・シェンロン以外にも優れた指導者がおり、将来、彼らが党を割る可能性は十分にあると見られる。なお、リー・シェンロンは2004年から首相に就任しており、前任のゴー・チョクトンが14年首相を務めたことからすればまだ先は長いように思えるが(本人は2020年までには引退すると述べている)、2月に前立腺ガンの手術を受けており、任期がどこまでになるかは定かではない。
●現実的な修正
以上のとおり、リー・クアンユーが築き上げたシステムは、特に経済面において盤石であり、近い将来これがゆらぐことは想像しがたい。
そして、リーが描いた国家像が、経済的発展の追求とその果実の国民へのパターナリスティクな提供であったことからすれば、シンガポールという国の根幹が変わることも想定しがたいだろう。
一方で、リーが描いた国民像が持続するかどうかは議論のあるところだろう。一元的な価値観をもって、会社員のように働き、国家に盲従する国民がどこまで存続するかは分からない。少なくとも、政府への批判を強権的に封じ、自助の精神に反するとして福祉政策の推進に消極的だったリーのスタイルは、すでに修正されつつある。
もっともリーほどの指導力をもったリーダーは登場しないだろうし、その修正は緩やかな形で進められるだろう。その意味では、変化が起こっていることは見えにくく、地道な観測が必要になる。
長くなってしまいました(苦笑)。シンガポールは、会社のような国であるが故に全体像や変化をとらえるのが難しいところですが、『回顧録』で語られる、リーの建国当初の苦闘とその過程での発言を見ながら現代の動きを眺めると、リーの思想がどのように継承され、どのように修正されるのかという観点からシンガポールの今後を検討することができます。理解の一助になるかと思います。
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シンガポールは水も食料も自給できない。リーは、どうやって生き残るか模索したに違いない。国民の幸せを生活水準の向上と定義するなら、一応の成功と言えるだろう。
中国は、太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河のほかに、大型タンカーが通行できる南米ニカラグアに運河を造っている。
海賊多発の浅いマラッカ海峡。
タイ南部に運河建設すれば、石油の輸送コストダウンになるが、華僑がシンガポールの地位低下を喜ばないことなどから阻止している。
中国は石油パイプラインを既に建設してるが、AIIBが軌道にのれば、中国は運河建設に着手するのだろうか。中国が着手すれば軍事的な意味も加味されてくる。
盗難アジア華僑の分析は、いつですか(笑)?