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2015/04/27 00:00  | 東南アジア |  コメント(7)

リー・クアンユー 『リー・クアンユー回顧録』①


先月23日、シンガポールのリー・クアンユー元首相が亡くなりました。「建国の父」としてシンガポールの発展を導いた巨星の逝去は、東南アジアの一つの時代の終わりを感じさせるものでした。

本日は、そのメモワールである『リー・クアンユー回顧録』を取り上げます。

リー逝去の直後にアップしようと思っていたのですが、イラン核協議のことを書いたため、だいぶ遅れてしまいました。しかし、アジアの歴史とシンガポールの今後を知る上で、引き続き重要な文献になると考えられますので、ご紹介することにします。

●シンガポールの青春の物語

この本のハイライトは、35歳にして国家を背負うことになったリー・クアンユーという青年が、いかに苦難を乗り越え、国作りを成し遂げたかという創業のドラマにある。同時に、それは、シンガポールという突然に誕生した国家が、ゼロの地点から、いかに成長を遂げたかという「国家の青春」の物語にそのまま重なる。まさに原題の「ザ・シンガポール・ヒストリー」のとおりである。

リー・クアンユーというと、シンガポールの経済発展を導いた業績が強調されるので、経済政策の面から語られることが多い。しかし、個人的にはむしろ独立前の植民地時代から独立、そして安定に至るまでの激動の時代における振る舞いに惹かれる。

戦後史を東南アジアの視角から読み解く面白さもあり、また、シンガポールという国家のシステムが完成する前にこそ、人間としてのリー・クアンユーの個性が強烈に現れるからである。今後、シンガポールのシステムがどう変わっていくのかを考える上でも示唆に富む。

●独立前の植民地教育と日本軍占領

植民地時代のエリート教育(ラッフルズ学院、LSE、ケンブリッジ)がいかに近代的合理人としてのリー・クアンユーの人格・能力を基礎付けたかが分かる。

まず華人(客家)のバックグラウンドは、リーの人格形成に対してほとんど影響を及ぼさなかった。たとえばリーは、英語教育を受けたため、中国語ができなかった。戦後、政治活動を開始すると、華人を惹きつけるために猛烈な勉強で中国語を身につける。ちなみにネルーもヒンディー語がうまく話せず泣くほど苦労したという。

なお、リーは華人4世だが、東南アジアの華僑・華人と英国の植民地支配との深い関係は、英国が東インド・東アジアに「インフォーマルな帝国」を築く上で彼らのネットワークを最大限に活用したことに由来する。この点は別稿で扱う。

そして、ラッフルズ(英国人)と日本軍という、自分たちを支配した人々に対し、拒絶・屈折した感情を持つことなく、そのビジョンと統治術を吸収し、実行に移す。日本軍の3年8ヶ月間の統治はシンガポールにとって悪夢だった。日本軍は恐怖による支配を実現するため、華人の大粛清、拷問、斬首・梟首といった手段を採った。

リーは、粛清から偶然に逃れ、家を占拠され、梟首を目の当たりするなど壮絶な経験をしながらも、日本軍の恐怖政策から統治の手法を学んだ。すなわち、日本軍の恐怖政策こそが人間を支配する手段である、日本軍の統治が長く続いたら台湾のようにシンガポールやマラヤも精神的に服従したかもしれない、犯罪は刑罰でなければ減らせないという、おそろしいほどに冷静な結論を導く。

その冷徹な精神には、誤解を恐れず言えば、英国の合理化された近代システムが産んだ、脱民族的・人工的な知性と人間性を感じさせる。これは、シンガポールのシステムの特徴である極限まで高められた功利主義的合理性につながる。

後に人民行動党の盟友となるゴー・ケンスイシナサンビー・ラジャラトナムトー・チンチャイケニー・バーンリム・キムサン、それに夫人のクワ・ギョクチューも同様の教育を受けた人々だった(彼らとリーとの交流は序盤から詳しく描かれる)。リーが同じ世界観を共有する人々をいかに信頼したかが分かる。

そして、こういった人たちが権力闘争に勝利し、権力を集中して、シンガポールという国を建設する。この過程において、華人の中でも中国に愛着をもつ人々はシンガポールを離れた。

●マラヤ連邦からの追放

日本軍の撤退後、シンガポールとマラヤの人々は独立運動を開始する。リーが率いる人民行動党は、1957年に独立したマラヤ連邦との合併を主張し、これに反対する共産主義勢力との激突を乗り越え、63年、合併を実現させた(マレーシアの成立)。

しかし、華人とマレー人の民族対立の溝は深く、マラヤ連邦の初代首相であるアブドゥル・ラーマンの一方的な決断により、わずか2年で合併は終了。65年、シンガポールはマラヤ連邦から追放されてしまう。結果としてシンガポールは単独国家として独立した。

この突然の独立は、合併に国家の命運を賭けたリーにとっては最悪の事態であり、あまりの衝撃に独立の記者会見でリーは泣き崩れた。その様子はyoutubeで見ることができる。

なお、シンガポールが追放される経緯について、ラーマンは、民族対立をことさらに煽ったリーに責任があるとしている(トゥンク・アブドゥル・ラーマン・プトラ『ラーマン回想録』参照)。

●独立国家を守るための戦い

独立後のシンガポールは、マレーシアとインドネシアとの間に緊張関係があり、英軍の撤退後を見据えた国防体制の整備が課題となる。腹心のゴー・ケンスイを国防大臣に任命して対応を急ぐが、ゴーの軍事経験は十分なものではなかった。ここでリー・クアンユーが参考としたモデルがイスラエルである。

1965年当時にイスラエルと組むことは、イスラムを国教とするマレーシアを刺激する懸念があったため、秘密裏に行われる。なお、リーはインドとエジプトにも軍事協力を打診していたが、マレーシアとの関係配慮から断られた。

結果として、イスラエルとよく似た環境にあったイスラエルをモデルとしたことは、国防意識を全国民にもたせることを含め、合理的な選択といえた。そして、イスラエルと同様に、シンガポールは国軍で軍事訓練を受けた者を国家のリーダーとして期待するようになる。そのことは現首相であるリー・シェンロンが、国軍ナンバー3(准将)まで務めてから首相に就任したことにも示されている。

さらに目を引くのは、リーの外交手腕である。1959年に首相に就任してから、リーは、インド、エジプト、アフリカなどを回って積極的にリーダーとの信頼関係を築く。それは、数年ももたないと軽んじられた小国のプレゼンスを高めるための一つの戦いだった。

非同盟諸国との連携でプレゼンスを高めつつ、この時期のリーにとって最大の敵であった共産主義勢力に対抗する技術は卓越していた。中国共産党に対しては、華語教育を受けた自国民のもつ畏敬の念は理解しつつも、自身はかなり醒めた目で見ている。

もちろん反共の立場から対立関係にあったこともあるが、国交を正常化し、北京を訪問した際も、毛沢東ら共産党幹部に対して驚くほど厳しい評価を下している。もっとも、鄧小平(同じ客家出身)の合理主義には共鳴し、深い尊敬の念を寄せた。会談の際、鄧小平のために痰壷を用意したエピソードは有名である。

続いて、「『CEO』としてのリー・クアンユー」と「ポスト・リー時代のシンガポール」について述べる予定でしたが、長くなってしまったので、次回に回します。

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7 comments on “リー・クアンユー 『リー・クアンユー回顧録』①
  1. volcano より:
    600万円のTOYOTAカローラには?

    シンガポール…いまだに情報統制されてる「明るい北朝鮮、豊かなキューバ」
    リー・クアンユーは、これまでの米中指導者が助言を求めただけの洞察力を持ってる。その言葉の明瞭な所が好きです。
    「インドと中国を同列に語ってはいけない。インドは本当の意味で1つの国家ではない。英国がつくった鉄道で結ばれた32の別々の国々だ。ネルーの時代はインドの未来について楽観的だったが、窮屈な官僚主義、硬直したカースト制度、リーダーシップの欠如に引きずられている」

    しかし、東南アジア中華については、先住民を幸せにしているかという視点で見ると、かなり疑問。植民地支配した白人の後釜にちゃっかり座り搾取を繰り返してるんじゃないの、と。

    キンペイはAIIBで条件を付けずに融資するという。「条件を付けず」とは、環境アセスクリアしてるか、人権状況は、政治の腐敗は…これ等を審査しないという意味です。これ等に目をつぶると、どうなるか?日本のphiliへの累積ODA2兆円でもインフラなど整備されず中華Pの懐へ。
    キンペイさん、他人の金で自分のことしか考えてないんやろなあ。

  2. 二宮 より:
    高騰中

    現在この本は供給不足なのか高騰しているのでレビューがとてもありがたいです。
    英語版なら電子書籍ですぐ読めますが、敷居高いですね(笑)

  3. volcano より:
    イギリスは、インド人や華僑を移民させて現地人の反感が 直接、イギリスに向かないようにした

    中華を追い出したマレーシアは、正解だったと思う。世界中どこに住んでいても、どれだけ長い間住んでいても中国人は中国人のままだからです。貧困に落ちた土着民を高笑いしながら見ていられるのが、中国人。
    日本のシンガポール占領でイギリスに付いた華僑はゲリラ組織を結成して抵抗しており、民間人のふりをして襲ってくる卑劣な便衣兵は、中国人の得意技だった時代。虐殺と言えるか。

    高山正之

    ここでその華僑を少し解説すると、華僑の「華」は華人、即ち中国人を意味し、「僑」の方は宿無しとか、根無し草とかいう意味をもつ。彼らはカネの臭いを追ってどこかの国に流れ、カネを稼いではまたどこかに流れる。「僑」たるゆえんだ。

    シンガポールの初代首相リー・クワンユー(李光耀)もそう。
    客家出身の父はベトナムのベンハイでフランス殖民地政府の下働きをやり、そこで生まれたリーを伴ってマレー半島に流れ、今度は英国植民地政府に取り入って口を糊していた。
    なかには成功して、英国人並みにプランテーションのオーナーに納まる者もいる。
    マレー人を働かせては阿片を売りつけ、さらにあくどくカネを稼ぐ。
    シンガポールの元駐日大使リー・クンチョイ氏のファミリーもその成功組の1人で、
    「子供の頃の思い出といえば、真っ赤な夕焼けとマレー人労働者がくゆらす阿片の煙の臭いだった」と語っていた。
    そんな華僑連中がやっと独立を果たしたマレー人の国まで盗ろうとしている。マレー人は怒り、華僑に出て行けといった。
    そうしてできた国がシンガポールである。

  4. sissi より:
    ありがとうございます

    素晴らしい講義を聴いているようです。
    次の配信が待ちきれないです!

  5. MJO より:
    シンガポール

    人口が540万人程のこの国は、ASEANのなかではというか東南アジアで最も成功した国であり、それを導いたのが初代首相のリー・クワンユーといってもいいでしょう。しかし、シンガポールという国は不思議な体制の国でもあります。朝日新聞あたりは「明るい北朝鮮」とも揶揄しているほどです。
    建国以来、一貫して人民行動党が議会議席の大多数を占めており一党優位である。このため、シンガポールは開発独裁国家であるといわれ、典型的な国家資本主義体制であるともいわれる。つまり知らない人が多いと思うが、ほぼ独裁国家なのである。中国ともちょっと違う体制ですね。初代がクワンユー、2代がゴー・チョクトン、そして今の3代目がクワンユーの息子のリー・シェンロンと北朝鮮に似ていなくもない。

  6. みんみん より:
    企業国家

    シンガポール建国の父について多くの事を学びました。
    ありがとうございます。
    シンガポールは国家というより企業じゃないの?
    21世紀のモデル国家かも・・と私は思います。
    シンガポールの話ももっと知りたいのですが・・

    やはり安倍総理の米国議会演説についてJDさんの意見を伺いたいです。

  7. JD より:
    御礼

    コメントと暖かいお言葉、ありがとうございます。大変励みになります。
    シンガポールの体制については、今回現地に行ったこともあり、次の記事でもう少し掘り下げたいと思っていますので、少しお待ち下さい。
    安倍総理の演説は、スピーチライターの谷口さんのおかげで、優れたテキストになっていたと思います。一方で、戦後の国際秩序を守る日米、これに挑戦しようとする中ロ等という構図が形成されつつあり、米国での演説もバンドン会議も何かその構図に埋め込まれようとされているのが、興味深くもあり、懸念をおぼえるところでもありますね。

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