2015/10/07 00:00 | 日本 | コメント(3)
安保法制
「安保法制と法学者の役割③」へのコメントに対する回答です。
大変考えさせられるコメントが多々あり、言葉が足りていないかもしれませんが、まずは最初のお答えということで、これからより深い意見交換をさせていただければと思っています。
【コメント】
我が意を得たりと言いたいのに
その筈なのに、筈なのに、なぜか関東軍は暴走しました。
【回答】
関東軍は独立王国になっていました。三谷太一郎は関東軍の暴走の理由を「体制の遠心化」としていましたが、そもそも実行部隊(プロ)としての役割をはるかに超えた権限をもっていたところに問題があったのだろうと思います。
また、現代においては、自衛隊も米軍も人民解放軍も、生命の危険に対しては怖ろしいほどに慎重な姿勢が見られます。良かれ悪しかれ、人が死ぬことで政権・組織の正当性がゆらぐことを痛いほど感じる時代になっているのでしょう。
【回答】
テロ対策の重要性はおっしゃるとおりです。ただ、ご指摘下さった事態は、集団的自衛権の行使と関係なく想定して然るべきものであるように思います。これまでの対策が不十分である点には(私も内閣官房でテロ対策に従事した経験があるのですが)異論ありません。
【回答】
たしかにそのような考え方は十分にあり得ると思います。しかし、これほどの法案を成立させるチャンスはこれから先そうはない(おそらく今回がワンチャンス)でしょうから、この機会をとらえて是が非でも「集団的自衛権が行使できる」という点をクリアーにしたかったのではないかと思います。実務の事情をふまえた政治判断という面もあると思います。
【回答】
私は政府に肩入れする立場にはないのですが(笑)、耳が痛くなるコメントをいただきました。
誤解を招くかもしれませんが、あえて言えば、「餅は餅屋」の領域があるのは、ある程度仕方ないところと思います。外交、特に安保は部外秘の情報が多すぎますし、関わっている人間も限定され固定化しており、ある意味「密教化」しています。この部外者には分からないという感覚は、外務省や防衛省の内部においてさえ存在します。
ただ、それは、現実に動いている安全保障のプロセスを含む部分(安全保障環境も含まれる)の分析・認定です。ある政策の当否に必要な材料が提供されれば、どのような判断を下すかは、専門家ではなく政治家すなわち有権者の役割になります。
そして、判断するにあたり、必要な考え方、議論を提供するのは、たしかに政府の役割でもありますが、それ以上にマスメディアや有識者が果たすべき領分ではないかと私は思います。政府がどのように説明しようとも、世論を誘導する意図があるものと受け止められてしまうからです。
びぃじぃさんのおっしゃる民主主義の限界は、こうした「熟議(deliberation)」によって克服されるべきものです。この点で、マスメディアと有識者の振る舞いに対して私が疑問を感じるのは、なぜこの論争を選挙の前に大きく展開して、国民の理解を深めることをしなかったのか、という点です。
憲法学者は、この問題で最も活躍すべき立場にあると思います。期待されるだけの役割を果たしているのかは「安保法制と法学者の役割②」で述べたとおり個人的には疑問があるとはいえ、それでも問題点を明らかにして、国民を啓発した点は評価できると思います。
しかし、行動を起こしたタイミングには疑問があります。なぜ今になって、採決の直前のタイミングで必死になったのか。最後にデモなどに参加してしまうくらいなら、最初から、選挙の時点で声を上げればよかったでしょう。
他の有識者も何をしていたのかなと思います。もちろん、マスメディアの責任も重大です。
びぃじぃさんの問題意識は、ある部分(政策決定の基礎となる情報の分析)では的を得ています。しかし、最終的な判断の段階では、マスメディアや有識者の尽力でかなりの部分カバーできるし、そうあるべきだと思います。これは日本の言論界の問題なのかもしれません。
安保法制に関しては、来週、最高裁の憲法判断の歴史について少し述べたいと思っていましたので、もう少し続けます。またコメントがありましたら遠慮なくお願いします。
当社に無断で複製または転送することは、著作権の侵害にあたります。民法の損害賠償責任に問われ、著作権法第119条により罰せられますのでご注意ください。
3 comments on “安保法制”
コメントを書く
いただいたコメントは、チェックしたのち公開されますので、すぐには表示されません。
ご了承のうえ、ご利用ください。
深く感謝いたします。
> また、現代においては、自衛隊も米軍も人民解放軍も、生命の危険に対し
> ては怖ろしいほどに慎重な姿勢が見られます。良かれ悪しかれ、人が死ぬ
> ことで政権・組織の正当性がゆらぐことを痛いほど感じる時代になってい
> るのでしょう。
私は割と血の気が多い方なので、なぜ痛いほど感じる時代となったのか、それは変わり得るのかと考えてしまいます。
自然淘汰は文明化の中で、我慢強く、損して得を取ることが出来る人間を選択してきたという説があります。淘汰圧は稀に1世代でもかなりの変化をもたらし得ます、可能性はあるでしょう。しかし、定説というには道遥かのようです。生命の危険に対しても同様の議論が成立する可能性を考えますが、よく分かりません。そう簡単に証明できるとも思えません。ならば生物学的制約の可能性は当面除外すべきだろうと思っています。社会的条件が変われば元に戻るということです。
丁寧な回答ありがとうございます。
JDさんもグッチーさんもペルドンさんも、皆さま文筆力が凄いですよね。
ただ単に頭が良い人や口達者な人はまわりにもいますが、文筆力があるのは本当に出来る方だと思うので、尊敬しています。
お礼が遅くなりすいません。
メディアの役割として、権力に対するチェック機能がよく言われますが、今回の記事を通して現状認識とその解釈を政権側に立って行う機能も同時に重要なんだなと思いました。
ただ過去にはヒトラーの独裁を支えた要素としてのメディアもあるので、大手報道局の当事者になるとなかなか難しいんだと想像しますが…
ともあれメディアには相反する2つの意見をバランス良く汲み上げて整理する能力が求められていると思うのですが、大手報道局においてもバランス良い印象は無かったのが確かに悲しいですね。
またタイミングも大手報道局が重要だと認識するまで専門家の声が聞こえて来なかったのは、仕方なかった事のようにも思えます。
社会構造が複雑になっている中で、民主主義を支える為にはメディアのバランス良い発達の必要性が高まっているんだなと思いました。
ありがとうございました。