2015/09/23 00:00 | 日本 | コメント(17)
安保法制と法学者の役割③
「安保法制と法学者の役割②」の続きです。
合憲性の話とは別に、そもそも今回の安保法制は、日本の安保政策の観点から見ても必要ないのではないか、という議論があります。
長谷部恭男教授が、自分が安全保障のアマチュアだから安保法案の必要性を判断できないとするのはおかしい、安保法制が必要な程度に安全保障の環境が厳しくなっているという主張は理解できない、という趣旨のことを述べていました。
「安保法制の合憲性をめぐる議論」で述べたとおり、私は長谷部教授から直接教わったことがありますし、日本を代表する憲法学者として尊敬しています。
しかし、こと安保情勢に関して、専門家・担当者の判断に疑問を投げかけるのは、大いに疑問があります。これは、実務を担当している者にしか分からない領域です。
私自身、外務省の北米局、アジア大洋州局、在米国日本大使館、内閣官房の安全保障・危機管理チームで勤務したことがありますが、その私ですら、北東アジアに存在する脅威の現状に関する情報は共有されず、直接に担当しているチームの知見に頼らざるを得ませんでした。
安全保障を現実に担当する者と部外者との間では、情報量に圧倒的な開きがあります。この差は、どんなに外部でアカデミックに勉強しても、絶対に埋めることはできません。
議論としてフェアではないと言われるかもしれませんが、国家の安全保障とはそういうものなのです。私は、在野の人が議論を挑むポイントはここではないと思います。
そして、担当者が身をおく現場の切迫感は、現場にいて、責任を負う者にしか分かりません。これは、私でも、自分の経験から分かることです。
しかも、実際に軍事力を発動する判断において、誰よりも慎重になるのは、その実行者である防衛当局、特に実力部隊です。そうしたプロの知見を尊重することは、たとえば米国では何の疑問もなく受け入れられており、世界的に見ても常識です。
また、こうした脅威認識に関する判断は、前述の法学者の役割にも含まれません。こういう主張は、すること自体はもちろん自由ですが、政党の党員、デモの参加者といったイデオローグ、あるいは門外漢のジャーナリストなどの素人の主張とまったく同列に扱われます。プロの意見として尊重されることはないでしょう。
さらに言えば、「安保法制の採決をめぐる議論」で述べたとおり、本来、安保法制の必要性を問う上で重要なのは、抑止力とか北東アジアの不安定にとどまらず、世界の安全保障という大きな文脈の中で、米国との関係を含め、日本がどういう役割を果たすことが、究極的に日本の将来にとって望ましいのかという国家の方針に関わる議論です。
ここは政府から強い立場を打ち出すのが政治的に難しいところですから、むしろ法学者を含め、在野の知性が大いに議論を深めて欲しいところなのです。ここからあえて目を背けることは、逆に知的に不誠実に思えます。
長くなりましたが、私は、国家の政策に関わったこともあり、また、同時に、プロの法律家でもあります。だからこそ、法律家が政治・経済・社会のあらゆる面で活躍して欲しいと思うし、その可能性も十分にあると思っています。
しかし、今回の安保法案において法学者がとっている行動を見ると、これが法学者が果たすべき役割なのか、疑問を感じます。
まして、デモに参加するなど、サルトルのアンガージュマンを意識しているのか分かりませんが、まったく共感をおぼえません。もっと他にできることがあるのではないかと、残念に思います。
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17 comments on “安保法制と法学者の役割③”
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ご了承のうえ、ご利用ください。
友人が外務省の情報室長していたので・・
そこの処・・よくわかります・・・(笑
> しかも、実際に軍事力を発動する判断において、誰よりも慎重になるの
> は、その実行者である防衛当局、特に実力部隊です。
その筈なのに、筈なのに、なぜか関東軍は暴走しました。
山本五十六にフリーハンドを与えたら、対米開戦など絶対にしなかったとは思います。でも現実には彼は真珠湾攻撃を立案してしまった。
それがトラウマとなっている日本において「世界の常識」の一言で片づけるのは言葉が軽すぎると感じます。
仮に集団的自衛権によって日本が参戦した場合、敵国は日本にどう対処するかを考えて、それが日本の将来にどう作用するかを考えればよいのでは?
ゲリラ兵ないし正規軍特殊部隊が日本に潜入して工作を行うことが可能であることは北朝鮮が再三の拉致によって証明している。
つまり、「どこか遠い国で国際貢献として自衛隊が参戦し、他の日本国民はテレビでそれを眺めている」という絵ではなく、「本土もいきなりミサイルないし特殊部隊の攻撃を受ける」という状態を想定するべきではないか?
相手が国家形態ではなくテロ組織であれば、ますますその可能性は高まる。現在の日本の警備体制であれば、「ほぼ毎月、サリン事件、原発メルトダウン事件、自爆テロ事件が発生し、しかもそれらに有効に対処できない」というのが、参戦後もっともありそうなストーリーではないかな?
敵国ないし敵組織にしてみれば、もっとも切り崩しやすい「集団的自衛権参加国」になるだろう。
こちらには初めて投稿いたします。
JDさんの安保法制に関する一連のコメントで、だいぶ理解が深まりました。
なぜ今なのか?について、今法案を通せる環境にあるからという意味のコメントは成る程と思います。
ただ、全ての法案をいま必要なのかについては、いまだに疑問を持っています。PKOの駆けつけ警護や朝鮮半島有事に備えた法案整備だけでも良かったのではないでしょうか?
政府として外交カードの選択肢が増えるわけですが、そのための準備には結局お金つまり税金と人員が必要なわけで、もっと子育て支援などに使ってもらいたいと思います。
もっと書きたいことがあるのですが、うまく纏められないので、これにて失礼いたします。
追伸
国会の論戦は、与野党ともに失望しました
上で述べたように、今世紀に入ってからの戦争は、必ずしも「正々堂々とした」ものとはならない。
敵から見れば、米国や日本の電子兵器は「卑怯な」もので「我々をゲームの敵役ぐらいにしか見ていない」と逆上させるものである。かつて日本が米国の物量を「卑怯」と言っていたのと同じように。当然、旧日本軍が行った「白旗による欺瞞」「民間人に対するスパイ容疑での虐殺」なんてあって当たり前になる。
FBIの防諜活動がどんなものであったか、米国国内線のチェックは911後どうなったか、それらの施策を甘受した上で参戦する覚悟はできているのか?
米国は軍の意見だけを聞いて決断しているわけではない。
上ずった国際貢献の美名で事を進めようとしても、いざ現在の世界で起こっている戦闘の形に直面すれば、たちまち腰砕け、同盟国のお荷物となるのではないか?
今の自衛隊に「敵による国内破壊工作への対処は?」と尋ねたところで「さあ?米国ではFBIがなんかやってるみたいですけど」でしょうが。プロの知見を尊重する以前の問題です。
日本の敗戦を最初から確信し、かえって望んでいたのは吉田茂と山本五十六等だと思いますが、戦後も悪口を言われていたと思います。米国の調停のおかげでの日露戦争の決着で、満州の利権をロシアから奪った時、当然米国も係ることを望みましたが拒否しました。この時すでに米国の標的にされてしまったようですが、明治維新をなした元勲は米国の参加を望んだにもかかわらず、下の世代は分を知らず拒否し統帥権の独立を盾に関東軍は暴走しました。このトラウマが現在の北東アジアにおいて安保条約での集団的自衛権の行使を阻害するのであれば、またも現世代は分を知らなかったというトラウマを抱えることになるのでは。戦前の列強の帝国主義時代では侵攻は防衛と言い換えられましたが、今回の想定事態は完全に防衛でしょう。しかもJDさんは通常の安全保障における自衛権の発動にもこれだけの情報と知見が必要だという話をしているだけのことです。憲法学者の事実認識に対する注意でしょう。関東軍の暴走は列強の対立の中、お互い認め合った(当然逸脱も含む)利権の実行であり、さらには米国との最終戦争に備えるという現在からみれば常軌を逸した戦略の第一歩でした。現在は遅れてきた帝国主義国、中国、これが全てです。日本もこれで叩きつぶされましたが、国民も熱狂してましたからね。PKO活動を一番こなしているのは中国らしいですが、日本もやってますし時代は変わりましたが、戦争は起こさないものではなく起きるものです。
はじめてコメントします。よろしくお願いします。
書いてる内容を追従して行けば、一通りは理解出来ると言うか、なぜ今この形の法案なのかようやく納得したのですが、専門的過ぎて想像の域を超えてました。
これほど深い事情を斟酌するしなければ一連の流れを説明出来ない状況を鑑みると、専門家の中で共通認識を得るのと、それ以外の国民の共通認識を得るのとでは、全く違う説明がなされなければならないという状況にあるのでは無いでしょうか?
なんだか民主主義の矛盾と言うか限界を感じました。
長谷部教授に、知的に不誠実、ではなく、知的怠慢であると言ってあげたほうが恩返しになると思います(笑)。理論的に、<一見して明白に違憲>、キーワードとしてとても法律の含蓄がありそうもないフレーズですが、それでも傾聴に値するということは、条文も含めてどんな内容が含まれているのですか?同じく踏み込み過ぎの感なきにしもあらずの合憲限定解釈の場合の条文・内容もお願いします。司法が自制して具体的妥当性を示しているのに、学者が狭く現行憲法内に閉じこもり具体的妥当性を追究しようともしないのはまさに知的怠慢です。JDさんの初めての叫びを聞いた思いです。
中々・・
クレバーじゃないか・・
JDを最初から・・泣かすなよ・・
毛沢東の実戦矛盾論・・いい本だよ・・挑戦してみるか・・・(笑
JFKD様、
私が突っ込みましたのは、JD様の議論に「現実はこうなんだから、それが最良なのだ」的な、過剰な現状肯定の雰囲気を感じたからです。そしてそれは、優秀な高級官僚の皆様の中でも飛び切りの優秀な方々から感じる危なさです。
JD様の「現場の人間として、できる範囲でベストを尽くすのだ。泣き言を言う暇はない」に深い敬意と感謝を。しかしながら、この議論は子供に説明できません。これほどまでに基本的な事柄を、子供に説明できないとはどういうことなのでしょう。そして、それによって生じた絶望的なまでの澱み、腐臭、息苦しさ。福島。
沈黙は金か・・?!
悩むJD・・
だが・・相手は複数・・手練れ・・
死んだふりするか・・・(笑
悩んでいませんが、現在、ネコの世話に追われています。
コメントには私のペースで回答します。
今回のペルドンさんのコメントは、ちょっと品がないというか、礼儀がなっていないですね。
びぃじぃさんもそこまで解ってんだったら、専門家としてこの憲法がどういう代物か解説を始めてもらわないと。まあ法律の印象は昔から三百代言などと言われていましたが、この憲法ちょっとひどすぎますよね。JDさんも頑張っていたのに師匠があれでは。pollyさんのような主張は、昔の社会党のように国内でなくなっては困るものですね。でもこういう意見が増え吉田茂はこういう事態を生んだ自分の戦後政治を悔やみながら死んでいったと聞いたことがあります。私の祖父も日米開戦を聞き、ばかだなー、と嘆息したそうですが、戦後憲法はこれでいいのかと言っていました。国民の意識は戦争で180度変わったわけで、戦前だったらpollyさんのような方が雰囲気で非国民と言っていて、私が憲兵隊に逮捕されていたかも知れませんね(笑)。トラウマの反動は恐ろしい。確かに子供に説明できないような憲法なのでこれ程苦労しているわけです。雰囲気は誤解と思い込みの素、内容で判断しましょう。それにコメント最後の飛躍には絶望的に追いていけません。
結局、国民の戦意が不十分なまま戦闘に突入しても、敵国の破壊工作を阻止できない(国民の大多数が戦意と注意力を発揮しなければ阻止できない)のであるから、国会議員の2/3、国民の過半数の賛成が得られる程度の戦意高揚が必要だろう。
国民にそれだけの戦意が醸成できれば改憲できるのであり、改憲できるほどの賛同が得られないのであれば、日本は戦意において敗北する、という結論が得られるのではないか?
どれだけ・・
戦意があっても・・
完敗したのは・・
スコットランド戦・・
その前は・・
襤褸になって・・皇居広場で号泣したのじゃ・・・
東独国境まで15kmに住んでいた経験から言うと、日本には戦意どころか緊張感すらない。
法的理論も外交の現場もまずは国連憲章の民族自決を重く受け止め、民族の意思が薄弱なのに理屈だけで突っ走るのはやめるべきであろう。
唯一の被爆国、国連憲章の丸写しで作った憲法九条第一項、決して武力を用いない姿勢によって日本のグローバル企業やNGO、ジャーナリストが受けてきた恩恵といった戦後の流れの中で、日本民族の国際的な存在価値は何かを考えて議論をするべきだと思う。
アメリカ織田家、日本徳川家、中共武田家、ロシア北条家。
織田は徳川の窮地に際して、言い訳程度の救援しかしてくれないかもしれない。
しかし、だからといって、織田からの出陣要請を断って生き残れる徳川ではない。
織田との同盟を失えば、織田と武田に分割される危険性がある。
織田からの出陣要請に応じる見返りに、
情報・武器・技術・資金などの支援をもぎ取って将来の可能性につなげるしかないでしょう。
進んで中共武田と和睦すればいい?
中共武田に領土割譲して属国扱いされる上に、アメリカ織田を敵にしてしまいますがな!