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2015/05/25 00:00  | 東南アジア |  コメント(4)

白石隆『海の帝国』


白石隆 『海の帝国-アジアをどう考えるか』

19世紀に大英帝国が東アジアに築いた「海の帝国」という世界の秩序をベースにして、いかにして現代の「東南アジア」が形成されたかを論じた一冊です。東南アジアと華僑の歴史的なつながりを知る上でも有益な文献です。

英国の「海の帝国」

「海の帝国」とは、領土の実効的支配という「公式」な帝国ではなく、交易ネットワークを通じて経済的権益を確保するという「非公式」な帝国秩序であり、大英帝国が構築した統治システムです。この「帝国」の繁栄の核心部分は自由貿易にありました。

英国は、19世紀において、マレーの王が支配する王国の港市であったペナン、マラッカ、シンガポールを貿易拠点として、ここから中国市場(香港、上海)にアヘンを輸出するというシステムを作ります。これは、オランダ東インド会社がジャワ島という広大な国土を実効的に支配して(「公式」の帝国)、貿易を独占し、関税により収入を得るアプローチと異なり、関税をとることなく自由な貿易を実現し、植民地国家の収入は胡椒とガンビルの栽培でまかなうというアプローチでした。

ペナン、マラッカ、シンガポールの3つの植民地は「海峡植民地(Straits Settlements)」として統合されます。シンガポールは、もともとは中国人が住み着いた小さな漁村でしたが、海峡植民地の中心的地位を占めることになり、1819年、東インド会社社員のトーマス・スタンフォード・ラッフルズにより近代的な都市に作りかえられます。ラッフルズが「シンガポールの建設者」とされる所以です。

なお、ラッフルズは、当初、オランダからジャワを奪い、インド(カルカッタ)からペナン、マラッカを経由し、マラッカ海峡を抜け、ジャワを経由してオーストラリアに至る「新帝国」を構想していましたが、ナポレオン戦争終結後、ジャワがオランダに返還されたことで、この構想は潰えました。そこで、上記のとおり、シンガポールなどから中国に至る貿易ルートが追求されることになりました。

ここで注目すべきは、①自由貿易と②胡椒・ガンビルの栽培という海峡植民地の二つの経済のうち、①自由貿易を支えたのは中国人の商人であり、②胡椒・ガンビルの栽培を支えたのは華僑の秘密結社だったことです。すなわち、東南アジア最大の市場は歴史的に中国にあり、対中貿易は、王朝が元気なときは朝貢貿易、衰えたときには私貿易が主体となっていたのですが、これらの貿易を支えたのは、いずれも中国人の商人が築いた交易ネットワークでした。

もともとは港市の王がこのネットワークを利用していたのですが、英国が海峡植民地を築いてからは、このネットワークは大英帝国の「海の帝国」に組み込まれます。また、海峡植民地は、胡椒とガンビルの栽培を支配していた華僑の秘密結社にアヘンの国内独占販売権を与え、徴税請負をさせることで収入を確保しました。

このように、中国人・華僑のネットワークは、大英帝国の植民地秩序にべったりと張り付いて、その発展に必要不可欠な役割を果たしました。これが現代東南アジアにおける華人のプレゼンスに帰結します。

オランダ(ジャワ)とスペイン(フィリピン)

大英帝国がシンガポール、マラッカ、ペナンという海峡植民地を核として「海の帝国」を築いたのに対し、オランダは東インド会社にジャワを統治させ、スペインはフィリピンを支配します。オランダ東インド会社は、前述のとおり、「公式の帝国」を展開し、①貿易の独占(関税収入)と②ジャワ農民の支配(アヘンが農民に販売される)によって富を得て、強力な中央集権体制を築きます。

一方、スペインのフィリピン国家は、自由貿易アプローチを採用して、大英帝国の「海の帝国」の貿易秩序に組み込まれます。フィリピンでは、カトリックとメスティーソの地方支配の力が強かったため、中央集権体制をとることができませんでした。その経済は地方商人に支配されたため、地方商人は大土地所有者として力を強め、地方分権的な体制が築かれます。

国民国家の建設

英領マラヤ(海峡植民地から発展)、②オランダ領東インド、③スペイン領フィリピン(米西戦争後は米国領フィリピン)という3つの植民地世界は、第二次大戦後、それぞれ、①マラヤ連邦、②インドネシア、③フィリピンという国民国家として独立します。

マラヤ連邦はマレーシアになりますが、その中でシンガポールでは、大英帝国の植民地教育を受けた華人が中心となり、分離独立を果たすことになります。この経緯については本書では述べられていませんが、本HPの「リークアンユー『リークアンユー回顧録』①」を参照下さい。

インドネシアは、オランダ東会社が築いていた官僚国家のシステムをそのまま引き継ぎます。このため、もともと強度な権力の集中が実現していました。スハルトは、この強力な機構を利用して独裁を続けますが、ファミリービジネスの台頭と軍の勢力拡大により権力の分散が進み、97年アジア経済危機後の体制崩壊に至ります。

フィリピンでは、地方の大土地所有者が権力を得て、さらにスペインに代わって宗主国となった米国が議会制の伝統を持ち込んだことにより、これらの地方のボスが中央政界に乗り込むという、権力分散的な利益誘導の政治構造が形成されました。

この構造は独立後もフィリピンの政治に根深く存続しており、たとえば「ポーク・バレル」という地方の政治家が自由に使える開発金が中央から分配される制度がフィリピン政治の代名詞的存在となっています。フェルディナンド・マルコスは、「中央からの革命」によって、この構造を変えて中央集権体制を築こうとしましたが、個人に権力を集中するやり方を追求したため、失敗しました。

タイについては、植民地として支配される時期がなかったため、チャクリ王朝の統治がそのまま存続しました。大戦後は、立憲革命が起こり、絶対王政から立憲君主制に移行して、国民国家が形成されます。

このように、それぞれの地域において植民地時代から形成された社会構造が、第二次大戦を経て、国民国家を形成する過程において、根底において存続しつつも、変容していく過程が描かれています。

陸の東南アジア・古代の東南アジア

本書は、東南アジアの主要な国々の成り立ちを「海の帝国」という視点を中心にして描いており、コンパクトながらスケールの大きい歴史書を読むような気分を味わえます。そして、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピンの現代における社会構造を理解するヒントを得ることができます。

たとえば、伝統的には、インドネシアでは、政治権力と財力(華人資本)が分離しており、フィリピンでは両者が一体化していると言われますが、本書の描くストーリーを意識すると、この言説が意味するところをより深く理解することができると思います。

ただし、東南アジア全体を理解するために必要な要素や視点が全てカバーされているわけではありません。

まず、タイトルから分かるとおり、この本の対象はあくまでも「海の東南アジア」です。東南アジアには、島嶼部(海の東南アジア)と大陸部(陸の東南アジア)に分けられますが、後者については、タイを取り上げるにとどまります。

次に、これもタイトルから分かるとおり、「海の帝国」以前の東南アジア世界は本書の対象となっていません。海の東南アジアにおいては、英国による植民地秩序の形成の前から、交易ネットワークが存在しており、それがインド文明イスラム教の伝播をもたらしました。この古代からの歴史の流れは、現代の海の東南アジアの国々の基層を提供しています。

また、エッセイ的な文章であり、文学的魅力はありますが、包括的・体系的な理解には少々不向きなところがあります。こういった点を補完するためには、やはり他の東南アジアの歴史を扱った文献、特に学術書・専門書にあたることが必要となります。

古代から、陸の東南アジアを含めて、東南アジア世界をどう見るべきかについては、また次の機会に述べたいと思います。その理解を深めた上で、また本書に戻ってくると、より深い味わいを見い出すことができます。

海洋史観

最後に、著者はインドネシア研究の大家ですが、コーネル大学で長く東南アジア史の教鞭をとっています。

ナショナリズムの歴史を説明した名著ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』の翻訳者でもあります。本書でも何度なく言及されるので、併せて読むと良いでしょう。

また、海の視点から描く歴史書といえば、フェルナン・ブローデル『地中海』があります。トマ・ピケティも賞賛するフランス歴史学の結晶ともいえる美しい作品です。本書もブローデルの仕事は強く意識されている印象を受けます。

日本人が書いた作品としては、川勝平太『文明の海洋史観』があります。唯物史観と梅棹忠夫の生態史観(『文明の生態史観』)に『地中海』の海洋からのアプローチを導入した論考で、「庭園の島」構想など、個人的には共感しにくい主張もありますが、ある意味日本人離れしたスケールの大きい歴史叙述を楽しむことができる作品と思います。

政策的には、海洋を全面に打ち出すアプローチが目を引くことがあります。戦前日本においては、大陸主義(アジア主義)と海洋主義(太平洋主義)が大きな対立軸となりました。最近の例としてはAPEC、TPP、インドネシアのジョコ・ウィドド政権の「海洋国家構想」などがこれに当たります。

現代外交は極めて機能主義的になっており、こうした政策思想・哲学が実際の政策にどこまで影響するか慎重にみる必要がありますが(むしろ個別の政策が集積した結果、大きな政策思想が見えてくる傾向が強い)、一つの視座としておさえておくと面白いと思います。

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4 comments on “白石隆『海の帝国』
  1. ぺルドン より
    JDさん

    アダム・スミスですね・・
    英国が20ポンド紙幣から、追放するそうですが・・(笑

    矢継ぎ早にコラム・・
    うーん・・報奨金目当てだな・・(笑

    「地中海」いい本ですね。
    西班牙も関係してるから、いつも車に何冊か放り込み、待ち時間が出来れば車内用に・・・(笑

  2. JD より
    ペルドンさん

    アダム・スミス、その慧眼に驚かされますね、今こうして考えてみると。

    『地中海』は、たしかに、置いてあるだけで安心感があります。笑

  3. ぺルドン より
    JDさん

    豪州・・
    いいのかなぁ・・?
    虎の子の新鋭潜水艦・・技術供与・・
    最初・・実物輸出でしょう・・
    政権変われば・・中国に・・怖いなぁ・・・

  4. JFKD より
    技術供与、確かに怖い

    中国礼賛のラッド政権だったら機密は筒抜けでしょう。機密はあの日本人より守れないですし、中国移民も受け入れ過ぎている。米豪は将来内部から中国系に食い破られるかもしれません。東シナ海は浅く対潜哨戒機の餌食で潜水艦の墓場となるでしょうがそこを突破されると困りますね。

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