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The Gucci Post [世界情勢・政治・経済金融 × プロフェッショナル]

2013/01/28 00:00  | by Konan |  コメント(2)

Vol.177: 中央銀行小槌再論(その1)


近年で最も注目された日銀の金融政策決定会合が終わりました(念のため公表資料のURLを下記に掲げました)。昨年4月、このコーナーで「中央銀行は打ち出の小づちか」との題名で何度か書いたことがありました。その際は日銀よりもFRBやECBのような欧米の中央銀行に焦点を当てながら、一般的な記述に努めました。日銀には知人も少なくなく書きづらい気持ちもありますが、ここまで注目されるとさすがに避けることが出来ないテーマと思いました。この再論では、何回かにわたり、日銀に主に焦点を当てて書いてみようと思います。まだ頭が十分整理できていませんが、なぜ日銀は独立したのか、アベノミクスと白川理論のどちらが正しいのか、日銀はなぜ安倍さんに追い込まれたのかなどについて、個人的な感想を書いてみます。

日銀が独立したのは1998年4月。その直前の職員逮捕の責任を取り松下総裁が辞任し、速水総裁を迎えてのまさに苦難の船出でした。その速水総裁はぐっちー同様の円高論者で、とくにゼロ金利政策解除直後のITバブル崩壊という間の悪さで強く批判され、一時は辞任観測報道が新聞の1面を飾る事態となりました。その次の福井総裁時代は、日本経済が回復し、政策面でも速水総裁後期に取られた量的緩和政策の解除に漕ぎ着けることができましたが、村上ファンド問題で世間を大きく騒がせました。衆参ねじれの結果誕生した白川総裁は、リーマン危機、欧州危機などの国際的な危機対応面で手腕を発揮したものの、「デフレを克服できない」との強い批判を受け、安倍政権誕生の原動力のひとつになったことは記憶に新しいところです。そしてこの4月には新総裁が誕生します。

さて、中央銀行の独立は今や世界の常識です。総選挙の際の安倍総裁の日銀批判に対しても、少なからぬ数の政治家や主要紙は、デフレを克服できない日銀を批判しつつも、「中央銀行の独立性を余りに損なう言動はよろしくない」「軽々に日銀法改正を口にするべきでない」といった論調で、この14年の間に、日本でも中央銀行の独立性を巡る認識がかなり深まった感想を持ちました。ちなみに、ぐっちーは何度となく日銀や白川総裁を擁護するブログを掲げる親日銀・白川派なので、Gucci Post読者の中でも中央銀行の独立性について認知度は高いのではないかと推測します。

しかし、なぜ1998年の段階で日銀に独立性を付与する法律改正が行われたのか、当時余りその理由を実感できなかったというのが、私の正直な記憶です。実は同じ年、英国の中央銀行であるBOE(Bank of England)も労働党政権誕生とともに独立を獲得するなど、世界の潮流は中央銀行への独立性付与に流れていました。また、国内でも、バブルの元凶となったプラザ合意後の(後からみれば過剰なまでの)金融緩和に関し、当時日銀に独立性が無く政治主導で行われたことへの反省もありました。ただ、そうは言ってもわが国に「日銀に独立性を付与すべき」という強い世論があったようには思いません。そうした中で日銀法改正が行われたのは、むしろ大蔵省解体の文脈での方が理解しやすいように感じます。

考えてみると、大蔵省の銀行局や証券局が分離され、金融監督庁(現在の金融庁)が誕生したのも同じ1998年のことでした。分離前の大蔵省は、予算、税、金融行政、為替介入等の極めて強大な権限を一手に握り、長きにわたり自民党政権を支えた、官庁の中の官庁でした。その大蔵省も、不祥事により次官候補者が辞職を余儀なくされるなど下半身の問題で攻められ、「行政改革」の掛け声の中、組織にまで手を入れられました。今でも金融政策に関し「金融行政」という言葉を使う年配の方がおられますが、大蔵省は各種許認可権を通じ実質的に日銀の金融政策運営に強い影響力を持っていました。その力を奪うことが当時の最大の関心事だったのではないかというのが、私の印象です。また、現在でも次期総裁人事を巡りいくつかの政党が「財務省出身者はよろしくない」と主張するのは、未だにこの大蔵省解体のモティーフが流れ続けている証左と感じます。

そうして付与された独立性。上記のように速水総裁時代はゼロ金利解除のような政策への政治の口出しも多く、定着した概念とは言い難い状況でした。14年が経過した今、その認知度は高まったように思います。その一方で、日銀の政策への評価が高いようには思いません。そうしたギャップはなぜ生じるのか。無論、日銀への独立性付与が国民の総意に基づくものでなかったことが、尾を引いているのかもしれません。しかし、その他にも理由があるようにも感じます。次回もこの話題を続けたいと思います。

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2 comments on “Vol.177: 中央銀行小槌再論(その1)
  1. ペルドン より
    打出の小槌か・?

    花咲爺さん・・
    ハイを・・
    ばら撒き・・
    枯れ木に・・花を・・

    花咲爺さんには・・
    誰が・・
    選ばれるのでしょうか・?

    悪い爺様達・・
    集まって・・互いのスネ蹴り合いながら・・御相談中・・・(笑)

  2. ばすがずばくはつ より
    デフレ脱却って政治マターの

    ハズなんですよね。

    政治的にデフレ脱却の道筋をつけて(財政支出)でその原資を借金にするのか。税金で集めるのか。もし借金の場合、市場で引受させるのかどうか。市場で引き受けることができない場合に日銀登場ではないのでしょうか。

    財務省だって、予算つくっても、財源の調達能力(増税)権は持ってませんから、「官僚ガー」と言っても、借金減ることはない。

    どうあがいても「日銀がー」「官僚ガー」になるはずがないのですが、小泉からの政治家の劣化は加速度をましているような気がします。

    選ばれる政治家をみるに「この人民ありてこの政治あるなり」の局地なのでしょうね。

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