2011/12/19 00:00 | by Konan | コメント(2)
Vol.119: 民主主義について(3)
前々回紹介した京極純一さんではないですが、民主主義(頭を数える)は人類の到達点のひとつと思いますし、私を含めその価値を認める人は多いと思います。しかし、民主主義には、意思決定の遅さ、あるいは民意が変わることに伴う深刻な後戻りの可能性など、コストを伴うことも事実です。その両者の上手い妥協点はあるのでしょうか。私は「立法と行政」の分離あるいは「中央銀行の独立」のような仕組みは、そうした妥協点を狙ったものと捉えています。
中央銀行は各国において法律に基づき設立されます。その意味で民主主義の産物です。しかし、例えば日銀が1990年代に何度も実行した「特融」のように、政府の関与(認可、要請)を得られれば、国家財政に損失をもたらし得る行為を、国会の同意無しで中央銀行の判断で行うことができます。国家財政の根幹である予算が国会の議決事項であることとの対比で言えば、特融の実施は厳密には民主主義下にあるとは言えません。欧州危機で話題のIMFも、その融資決定プロセスは中央銀行の意思決定と似た側面を持つ–IMF加盟国の議会承認を一々経る必要がない点で–と思います。
では、政省令の制定や中央銀行の行動に民主主義プロセスを噛ませることが出来るかと言えば、それでは何も動かず国家機能が麻痺してしまいます。やや別のある意味で究極の例を挙げると、軍隊は憲法等に基づき設置され、シビリアンコントロールの下にあるべきですが、実際の戦争時に軍事行動に一々議会承認が必要とすれば、その間に甚大な被害を被りかねません。
大江さんが提起された原発の問題について言えば、今回の事故を契機に、今後の原子力政策について民意を問う必要があると思います。そしてその際、コスト、代替エネルギーの可能性、環境への影響、そして潜在的抑止力の観点など、判断に必要な要素を透明にする必要もあると思います。ただ、一旦決まった政策の再変更は極めて難しく、その枠を数十年単位で維持する必要があること、あるいは従来の原子力政策を短期に変更することは難しく、数十年かけて徐々に修正していくしかないこと、すなわち数十年単位で民主主義ではなく専決により物事を進める必要があることも、同時に明らかにすべきと思います。
とても月並みな終わり方になりました。3回もお付き合い頂き申し訳ありませんでした。
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2 comments on “Vol.119: 民主主義について(3)”
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民主主義の基盤は・・
これにある・・
と思われるが・・
風化の気配・・
ただ狼狽のみ・・
敬愛する阿部泰隆先生・・
濱秀和弁護士(1担当)と共に・・
『最高裁不受理事件の諸相2」
世に問われた・・
先生の名を出版社に示せば・・有難いお札の如く・・
一万円二千円が・・一万円になる・・
さりながら・・
アマゾン中古本・・今なら・・八千円・・
名札より・・効き目がある・・最高裁の名を出しても・・ここまでは値引きしてくれない・・
資本主義の謳歌であります・・引き続き・・民主主義に・・
御贔屓の程を・・・切に願い申し上げます・・・
いつも楽しく読ませてもらっています。来年もよろしくお願いいたします。