2010/03/22 00:00 | by Konan | コメント(1)
Vol.28: 時効
今回は、金融経済と無縁な話です。時効の延長・廃止についての感想をお話ししたいと思います。
大学2年の時、刑法を学び、時効のことをはじめて知りました(民事法でも同様の概念があります)。刑事法では、単純に言えば、「罪を犯しても、一定期間経過後は、罰せられない」という仕組みが時効です。その延長、すなわち罰せられなくなるまでの期間を延ばす、ないし重い犯罪については廃止する方向で法案が提出され、成立する方向が固まりつつあります。
初めて時効のことを聞き、違和感を感じない人は少ないと思います。「罪を犯しても許されるなんて」という感覚は自然と思いますし、私もとても不思議に思いました。しかし、その後30年近く経ち、時効は人類の良き知恵のひとつと感じるようになってきました。
時効制度の背景には、「逃亡生活は実は辛いもので、それが長く続けば処罰を受けたことと同じ意味を持ってくる。だから許してあげよう」という、一種倫理的な発想もありますし、警察の資源制約のような問題もありますが、「時間が経つにつれ、犯罪を立証する証拠が散逸してくる(典型的には証言を行い得る人が亡くなっていく)ので、裁判の正確性を確保できなくなり、冤罪を生みやすい」という考え方が重要なポイントと思います。最近の例で言えば、足利事件のような事例の再発を防ぐための知恵と言うことも出来ます。
時効延長・廃止論の背景に被害者家族の強い希望があることは承知していますし、各種世論調査でも時効延長は圧倒的に支持されることからみても、日本国民の気持ちに沿うものです。また、DNA鑑定のような技術の向上により、犯人に関するある種の証拠が確保される場合には、冤罪の問題も回避できます。
しかし、時効廃止・延長の考え方のどこかに、警察や検察は間違えないという意識、あるいはデュープロセスより結果が大事という意識があるような気がしてなりません。一歩間違うと、(官の一員が言うのも変ですが)「お上は正しい」「プロセスの公正さはさほど重要ではない」という危ない方向に行きかねない可能性を孕んでいると言い換えることもできます。経済の場に置き換えれば、「市場メカニズムではなく官の統制」「会計基準や透明な開示の軽視」と根が同じような気もしています。
ということで、少数派であることを覚悟で、また、もともとGucci Postは金融・経済に関するブログであるとの性格も踏まえ、反対論を述べた次第です。なお、(必ずしも論理必然的ではありませんが)死刑廃止論と時効延長・廃止への反対論はどこかつながりがあるように思えます。(大変意外なことに)死刑廃止論の急先鋒である亀井大臣が、時効延長についてどうお考えか、いつか聞いてみたい気もします。
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One comment on “Vol.28: 時効”
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学ばせて頂くことが多く、自分の理解力の限界に挑戦しながら拝読しています。
特に今回は、「足利事件のような事例」についての前後の文章を如何に解釈すべきかおおいに頭を悩ましております。足利事件を「時間が経つにつれ・・・冤罪を生みやすい」の例として挙げておられるのか、それとも「DNA鑑定のような技術の向上により冤罪の問題も回避できます」の例としてなのか戸惑っています。
しかしそのいずれであったとしても、足利事件が冤罪であったことの理由はどちらでもありません。従来からの「プロセスの公正さはさほど重要ではない」という「危ない方向」の行き着く先であったのです。
冤罪の背景には、裁判官による検面調書(自白調書)=「お上は正しい」の偏重と検察・警察による証拠隠し=「会計基準や透明な開示の軽視」があるということは最近認識されていることではないでしょうか。冤罪防止のためには取り調べの可視化だけでなく、公判に使用されなかった証拠物件も全て開示するような法改正が必要だといわれています。
私は警察や検察は間違えるからこそ時効は廃止した方がいいと思います。また、死刑廃止論に与します。