2019/06/03 06:30 | by Konan | コメント(3)
Vol.22: 消費税 その1
今回と来月初回の2回にわたり、消費税を話題に取り上げます。旧CRUのひとり言でも取り上げたことがありました。また新ひとり言に頂くコメントを拝見しても、ご関心の高いテーマと感じます。一方、とても難しいテーマです。経済学的に割り切ることが難しく、かつ各人の価値観に大きく左右されるからです。今回もクリアカットに結論を出そうと思いませんし、その力もありません。問題の難しさを感じて頂ければ幸いです。
さてこの問題。少なくとも以下の3つの切り口に分けて考える必要があると思います。これを混同するとおかしな議論になる恐れがあります。消費税率引上げを巡る様々な論調をご覧になる際、どの切り口に焦点を当てた議論なのか、注意されると良いと思います。
1.この10月に消費税率を8%から10%に引き上げるべきか。
2.この10月に引き上げないとして、ずっと引き上げなくて良いのか。我が国の財政は持つのか。
3.財政再建を図る際、どのような手法が適切か。消費税率引上げか、法人税率や所得税率の引上げか、歳出カットか、その組み合わせか。
一つ目は目先の景気判断に関わる問題、かつ政治的な問題です。二つ目は神学的かつ論証の難しい問題です。三つ目はまさに価値観にかかわり合意が難しい問題です。今回は一つ目と二つ目を、次回は三つ目を取り上げます。今回は炎上しないと思いますが、次回は炎上覚悟のテーマです(笑)。
さて、4月半ばに安倍総理側近の萩生田自民党幹事長代行の不規則発言がありました(彼は恐らく意図的に同様の発信を続けています)。また野党は消費税率引上げ中止を見据えた衆参同日選挙がある前提で、選挙協力の話しを進めようとしています(上手くいくかどうかさて置き)。ただ、公式には今のところ予定通り消費税率が引き上げられる情勢が続いています。政権にとって不幸だったのは、明らかに今景気が減速していることです。ぐっちーがカバーする米国は独り勝ちですが、中国、欧州、新興国、そして日本と昨年末頃から減速が顕著です。もともとあった中国経済の減速基調に加え、貿易問題が企業のマインドを冷やしていること、トルコを始めとする個別国問題などが背景です。
無論、今年後半の回復期待は根強くあります。しかし、そうであったとしても、こんな時期に消費税率を引き上げるのは自殺行為です。一つ目の論点については、「上げるべきでない」というのが私の意見です。ただ、この問題を余計に難しくしていることがあります。今回は前回のニノ轍を踏まないということで、ポイント還元や軽減税率など様々な施策が用意されました。そしてその予算手当が平成31年度(令和元年度)予算で行われました。こうした対策を取ったから大丈夫というのが政府見解、ここまで金を使ってまで引上げの影響を軽減しようとするのは本末転倒というのが野党の意見であることは、ご存知の通りと思います。問題なのは、予算に計上され、かつ支出も始まった後に消費税率引上げを止めることは最早出来ないのではとの点です。こうした見方を複数の方に聞きました。財務省主計局や主税局幹部に直接聞けば分かることですが、そこまでせずに論点を挙げただけで申し訳ありません。ただ、仮に引上げを強行し、その後に景気が酷いことになれば、安倍総理、そして何と言っても消費税の責任官庁の長である麻生財務大臣の立場は極めて苦しくなります。逆に引上げを止める場合も、予算措置等を無駄にした責任を問われかねません。板挟みの苦しい状況にあると考えざるを得ません。
そのうえで、与党にとっての救いは、相変わらず野党への支持が上向かないこと。令和祝賀ムードも手伝い、安倍一強、自民党一強の状況はなかなか揺るぎません。繰り返しになりますが、本来は消費税率を引き上げても引き上げなくても、責任が問われておかしくない状況のはずですが、上手くやり過ごしてしまうのかもしれません。
次に二つ目のいつまでも上げなくて良いのかという問題。言い換えると日本の財政問題をどう考えるべきか。上の方で神学問題と書いた論点です。
過去を振り返ると、我が国の財政について「このままでは破綻する」「財政再建が必要」との見解が財務省は素より学界等から繰り返し出されました。しかし現時点までは破綻しておらず、こうした論者はまさに狼少年でした。ところで財政破綻とは何でしょうか?ぐっちーが何度も言うように、発行している国債の満期到来時、その借り換えが困難になり金利が急騰する事態、更には必要額を調達出来ず満期が来た国債を償還出来ない事態(即ちデフォルトに陥る事態)を財政破綻と呼ぶことが適当と思います。過去南米等で起き、記憶に新しいところではギリシャで起きました。しかし、GDP対比国債残高が世界的に見ても群を抜く我が国で、償還が円滑に進んでいるだけでなく、国債金利は世界一低いマイナス水準です。要は破綻から極めて遠い状況です。
これには諸説ありますが、代表的な議論は以下の4つと思います。
第一に、日本の民間部門が大きな貯蓄を溜め込んでいること。発行される国債はこの貯蓄に支えられ国内消化されます。民間部門としても他に良い運用手段が無いので、国債を買わざるを得ません。海外からの投資に依存しないので、変な攻撃を受けることもありません。恐らくこの説が最も有力と思います。この説に関連して、高齢化が進むと貯蓄が取り崩されるので、先々事情が変わると言われてきました。旧CRUのひとり言でもそう書いた記憶があります。ただ最近、高齢者の貯蓄選好がなかなか落ちないと言われ始めています。長生きリスクを意識し、少しでも節約したいとのモードが広まっているとの見方です。まだ実証的な研究を見たことはありませんが、第一の説が正しく、かつ高齢者の行動が変化しているとすれば、かなり長い将来にわたり日本国債は安泰ということになります。
第二に、日本国債残高の対GDP比率は世界でも群を抜いて高いが、これをネット、すなわち政府部門の資産を差し引いてみると大したことが無いという説です。この点について資料を探したところ、財務省のホームページでみつかりました。財務省なので「ネットでみると大したことは無いという議論は間違い」という学者のコメント付きですが、グロスでみた対GDP比率(200%台)に比べ100%ほど低く(100%台)、ギリシャの方が上、イタリアとほぼ同じ、その他国との差もかなり縮まります。決定的ではないが相応の説得性を持つ説という感じでしょうか。
第三に、かつて白川前日銀総裁が主張されていた説です。白川さんは基本的に財政悲観論者ですが、この立場に立ち逆説的に「日本国債への信認が失われないのは、日本が財政再建の意思と能力を持っていると市場に信頼されているから。この信頼を失ったら状況は急変する」という趣旨の発言をされていました。これは検証不能の説です。
第四に、最近はやりのMMT(Modern Monetary Theory)的な考え方があります。先日のメルマガでぐっちーも紹介していました。中央銀行、あるいは日銀嫌いの論者が「国債は日銀に引き受けさせれば問題は解消する」と発言されるのも根は似た議論です。要は、自国通貨建ての国債について、国(中央銀行)が自国通貨を無制限に発行できる以上、デフォルトはあり得ないとの考え方で、財政赤字は基本的に問題ないとします。基本的に財政は国債で賄えばよく、税金は例えばインフレ時に景気を冷やすために用いればよいと割り切ります。ギリシャの場合、ギリシャ一国で自由にユーロを発行することは出来ないので破綻したとの説明です。新興国がドル建て国債を発行することも同様にMMTでは許されません。
さて「神学」と書いたのは、まさに第四の論点に関し、「そんなことをしたら通貨は信認を失う」との見方が根強く定着しているからです。私自身もMMTに鞍替えする自信はありません。信頼は壊れやすいもので、何をきっかけに突然壊れるか、事前には予測できないからです。30年間大丈夫だったものが31年目も大丈夫と確実に保証できないとすれば、何らかの保険が必要と考えてしまいます。この考えは古く誤ったものかもしれません。ただ二つ目の問題に対し、日本の貯蓄構造を踏まえればかなり長きにわたり大丈夫とは思いますが、それでも「財政再建は未来永劫不要」と答える自信は今日現在ありません。
次回(7月1日予定)は、三つ目の問題、即ち増税するなら直接税か間接税か、という問題を取り上げます。なお、前回も書きましたが、今月は今回一度だけの執筆予定です。
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物事をややこしくするのは、人口動態ですかね。日本の年金制度も公共事業費用の返済も人口増、生産年齢人口が非生産年齢人口よりも多いことを前提とした制度設計のような気がします。
続編記事楽しみにしています。
夜、機械の修理に行くと、そこの親父とまあ仲良くなる。その昔は小遣いやタバコ、ビール券などをくれたが二世になると其れがなくなった。何度も行くと親父といろいろなことを話した。その時聞いた話で印象に残っている話がある。それを紹介して、消費税とは何かの一助としたい。
親父は大東亜戦争で支那戦線へ派遣されて苦労したが。負けてはいなかったという、然しアメリカに負けた結果支那に負けた。そして捕虜収容所へ入った。
と言う。将校はいい目をしたが兵隊はということでしょう。
あるとき自民党が金を集めよときたがダレも音頭とりをしない。そこで彼がして集めて、渡したと言う。あの人が来るなら、と言う人だったようです。
帰るときふんどし、一丁だけになって帰ってきたと言う。そのわけは収容所でばくちをして負けて、ふんどしひとつが自分のものだったということでした。
収容所は何もすることがなく使役が在るだけで、ほかにない。そこでばくちとなった。<何で掛けたのですか>と聞くとと答えた。何でも一週にいちど全員にタバコが配られ、そのタバコを掛けたという。最初は現物があるだけだったが、やがて貸し借りができ、いろいろなことが起きた。<貸し借りと言っても皆頭の中にあるだけで、証書があるわけではない。しかも一週にいちど全員に配られるからチップは必ず入ってくる。給料が繰るようなもの。
色々聞くとやがてタバコが通過のような役目を担うようになったと言う。担保を何か出して、タバコを借りたり、口約束だけで借りたり、とにかく色々あった。タバコをすって消費する人もいた。
収容所ないで、タバコと言うものが通貨として機能して、貸借ができた、いろいろ聞いたが、その時は面白い話を聞いたと思ったが妙に記憶に残り、経済についてなけなしの頭で考えたとき、思いだし、その後色々考えた。
その世界は帰国となって胡散霧消したと言う。
収容所は生活に必要なものは外部から供給されるがわれわれの生きているいる世界は違う、この落差を考慮していろいろなパターンを考えると妙なものが見えてくる。それより見ると消費税はその収容所においてどのようにつくり、機能させるかを考えると、結論はできないとなる。
では消費税を機能させるにはいかなる条件が必要か?また通貨として機能したタバコはいかなる物になるか?
タバコが皆に配られるということは年金のようなもので其れがつずくのは外部からタバコの供給があることが必要だが、年金においてはいかなるものが外部となり、それはあるのか?
タバコの配給を収容所の外からではなく、内部で供給するにはタバコ農場が必要で、其れが仮にできたとして、いかなる形で構成できるか?
などなど。
いずれにしてもタバコによる経済は収容所がなくなると消えた。では収容所にいた人々はその後どのように行動ができたか?
少なくとも国へ帰ったときは働かなくてはならず、働かなくてもいい人もいたがそれはどのような人々だったか?
国とはその人にとって何だったのか?現代ではそれに相当するものを人は持ているか。そもそも収容所(会社)が国そのものの中に合ったとして、何がその時国になるのか?
そもそも国という頭の中にあるものは実際には何を意味するか?
収容所が壊れるということは何を意味するか?
色々あります。
事実上、黒田さんはMMTを採用しているのでは??