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The Gucci Post [世界情勢・政治・経済金融 × プロフェッショナル]

2013/06/03 09:00  | by Konan |  コメント(1)

Vol.195: 待機児童ゼロ


横浜市の林市長が「待機児童ゼロ」宣言を行ったことは記憶に新しいところです。当初いまいちだった彼女の横浜での人気も急上昇だそうです。安倍総理も「横浜方式の横展開」といった言い方で、横浜市の取り組みを絶賛しています。私もこれまでの努力と成果に敬意を表したいと思います。

待機児童問題は、個々の家庭にとって深刻であるとともに、今後の日本経済の成長・復活を占ううえでも、重要なポイントとなります。抽象的な言い方をすると、日本経済の最大の問題は、少子高齢化に伴う労働人口の減少です。少子高齢化が進んできた背景は、「家族」に対する価値観の大きな変化と、日本経済の長期にわたる衰退により、結婚して子供を育てることを嫌に思う、あるいはとても難しく思う層が増えたためと考えられます。仮に待機児童問題が解決されれば、子育てと仕事の両立が少なくとも現在より容易になります。そうなると、短期的に見ても、M字型と揶揄される女性の労働参加率の落ち込みが緩和され、また、保育士の雇用や保育所設置投資のような形で、日本経済に貢献する可能性があります。また、長い目で見ると、出生率の改善に結び付く可能性が出てきます。

以前このコーナーで保育所問題について触れたことがあります(2010年3月、Vol.26です)。保育所に対する需要に対し供給が追いつかないという、経済学の常識からみるとおかしな事象が生じているのは、供給面の規制が原因と考えざるを得ないといった趣旨でした。実際に、保育所を経営されている知人の方に話しを聞くと、保育所の設備、陣容から保育士の給与に至るまで、様々な制約があるそうです。

規制緩和は質の低下を招くとの議論もあります。典型的には、株式会社が参入し、商売がうまくいかず撤退する事態は困るとの議論です。あるいは、コストカットのためサービスレベルが低下するとの批判もあります。他方で、情報技術も駆使しながら、従来よりきめ細かいサービスを提供するケースもあり、規制緩和批判は当たらないとの意見もあります。

私も子供を保育園に通わせた経験があります。親はとても身勝手で、待機中は「どんなサービスでも良いから預かってほしい」と思い、一度場所を確保できると「良い保育」を求めます。良い保育には、保育士のレベルの高さ、子供1人当たりの保育士の数、施設の環境や安全性、清潔さなどがポイントになります。これらを求めれば求めるほど、他の条件一定の下ではコストが上がり、保育料が上がり、多くの親にとり「払えない」事態となります。言い方を変えると、保育のような労働集約的な産業は、人件費比率が必然的に高くなる構造です。良い保育士を安定的に確保するには、人件費を引き上げる必要があり、しかしそうした高人件費の保育園を維持しようとすると、保育料引上げか公的補助が不可避です。

以前、民主党政権が「コンクリートから人へ」とのマニフェストを掲げ、子供手当を導入しました。私は、そうした財政支出は、個人にばら撒くより保育園の助成に充てる方が効果的との意見でした。日本にとって少子高齢化対応が最大の課題とすれば、高速道路や新幹線以前の問題として、公的投資を行うべき分野は育児分野と思います。

また、「高い保育料を払っても構わない」という高所得家庭向けに、そうした保育所を認めてもよいと思います。両親が大企業に働くような「払える」層には払ってもらい、公的支援を受けた保育料が低い保育所は相対的に所得が低い層に使ってもらう形の二極化は、正義に反するとは思いません。

そして保育士の確保。介護の世界ではアジアからの受け入れが常に話題となり、しかし頓挫してきています。私は留学時代のホームステイ先で、5歳の男の子と仲良く遊んだ経験があります。つたない英語の日本人にとってとても良い先生でした。中国包囲戦略の一環としてもASEAN諸国との関係構築は重要な課題です。国粋的な安倍内閣のフレーバーには合いませんが、介護、保育両面で外国人の受け入れを今度こそ真剣に考えるべきとも思います。

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One comment on “Vol.195: 待機児童ゼロ
  1. Audley End より
    コミュニティのあり方自体を

    再考する時代になりつつあるような気がします。 日本は超高齢社会になりましたが、元気なお年寄りを増やせば、高齢者の方々が蓄積されている体験や知恵を社会で共有することができますし、いってみれば、新しいコミュニティは「疑似大家族」のようなイメージです。 介護や保育の問題も、そのコミュニティの中でサポートする方法を模索していくことも、日本のように民度が高いと、可能性としてはあるように思います。

    日本はもともと、それぞれの地域において、隣組等による実質的なボランティア活動が昔からとても盛んな国ですよね。 海外では、隣に住んでいる人とまったく交流がなかったりするケースもありますので、日本の地域活動は、大きな社会資本の一つであるようにも思います。 そういった、これまでのコミュニティのあり方を、将来に対応できる方向に変化させていくことが大事であるように感じています。

    それと、巨大インフラも、現代には合わなくなっているのではないでしょうか。 というのも、地球の活動が既に災害の世紀に入っているような気がしているからです。 巨大インフラで一元管理すると、イザ災害に直面したとき、対応がかなり難しくなります。 生命線である「水」「食糧」「エネルギー」の確保をどうするか。。。 これまでの考え方と方法論を切り替えるタイミングに来ているように思います。

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