2016/05/27 00:49 | 日本 | コメント(6)
伊藤聡 『神道とは何か』
■G7首脳ら伊勢神宮訪問 伊勢志摩サミット(5月26日付ロイター記事)
G7伊勢志摩サミットですが、伊勢神宮訪問をアレンジしたとのこと。ということで、今回はちょっと趣向を変えて、伊勢神宮の歴史的背景が分かる本をご紹介しようと思います。
日本の「カミ」とは何なのか。「無宗教」とも言われる日本人の「宗教」観は、自然との融和を求める感性(というナイーブな、実は仏教的な言説)、融通無碍(丸山真男のいう「無構造」)、現世利益、政治性(国家主義のイデオロギー)など様々な要素を含んでいる。
その理解の鍵となるのは「カミ」という概念です。本書は、神道の歴史を実証的に描くことで、「カミ」の概念を明らかにしています。また、これにより、思想を軸としながら分野を横断する日本史を描き出します。
●古代
「神道」の語自体は日本書紀に見られるが、その意味は「神祇(カミ)信仰」とは異なるものであり、古代において在来神(くにつかみ)信仰は仏教や漢神信仰と質的な差はなかった。神道が古代から一貫して存在するという言説は、日本書紀の「惟神(かんながら)」の語を利用して国学者が創造したフィクションである。
古代における最大の呪術宗教は仏教であったが、神祇令による祭祀(呪術による共同体統治)が律令国家において整備される中で(「天孫」(皇祖神=天照大神、現人神)、「神国」の独自性による王権の正当化)、「神仏習合」という古代思想の中核が誕生する(神身離脱、神宮寺、法楽、山岳信仰と密教)。
これにより、本地垂迹説、すなわち八幡神(もう一つの皇祖神(応神天皇)、大自在天、シヴァ神)をはじめとする神と菩薩の一体化(アマテラス=観世音菩薩からの大日如来(密教の隆盛、「大日本国」国家主義につながる)、スサノオ=牛頭天王)の理論が成立する。同時に、仏の神に対する優位も確立する。
芸術面での表れ(神像、示現・陰向)と陰陽道・修験道に与えた影響(天台・真言の基盤)もあわせて紹介される。
●中世
仏教による鎮護国家(王法仏法相衣論)、本地垂迹思想の発展を通じ、伊勢神宮が、神仏隔離の独自性を維持しながら、神祇の頂点と仏法の聖地としての地位を獲得する(橘諸兄、行基、重源の参宮)。
本地垂迹の三国世界観(天竺・震旦・本朝)は、粟散辺土観に代表される自己卑下的な「神国」思想を導く(辺境にある「小国」の日本には「神」が必要)。
しかし、その後、「本朝」の優位性の強調から日本の優越性を説く「神国」思想に転化し(決定的契機は元寇)、密教化した「神国」思想に帰結する(神道書、両部神道(真言系、伊勢神宮の内宮(アマテラス・胎蔵界)・外宮(トヨウケヒメ・金剛界))、山王神道(天台系)、伊勢神道などの神道諸流))。
中世神道は、「中世日本紀」(信西、卜部兼方、一条兼良、太平記)の影響を受けながら、心神一体観(ちはやぶる、仏・神(垂迹)・人(受胎)の一体的把握、近世神道の源泉)など独特の世界観を発展させる。
そして、大日印文・第六天魔王の国土創世神話=伊勢神宮の仏教忌避の由来譚)、朝鮮蔑視思想としての神功皇后説話、人神信仰(御霊信仰(御霊会、祇園祭)、モノノケといった新たな中世神話を生む。
家康が東照大権現として祀られたのは、もともと吉田神道の崇伝らが明神として久能山に葬る予定だったものを、山王神道の天海が逆転して日光山に祀った結果だったという(豊国大明神として祀られた秀吉が吉田神道式であったことも影響)。
インド系天部の毘沙門天、大黒天、摩利支天、歓喜天、第六天(魔王、仏教障碍)、朝鮮系の神の土着化、ニュータイプの習合神(蔵王権現、牛頭天王(祇園))も整理される。
●近世
「唯一神道」たる吉田神道が、吉田兼倶の権謀術数もあって時の権力と結びつき、支配的地位を確立する。吉田神道は祭祀の対象を皇祖神(伊勢神宮)から大元尊神という抽象的存在に転回させ、これが国学の「天道」観念を生む。「天道」は、王権の正当性を超越する論理を必要とした武家に用いられる。文化的には、五山禅林、心学に影響を与える。
儒家神道(林羅山)、吉川神道、垂加神道(山崎闇斎)、伊勢神道もこの流れで説明され、陽明学、古学、国学に至る。本居宣長のイデオロギー性は平田篤胤に継承され、国学の宗教化と近代国家神道(明治国家)に帰結する。近世に起こる廃仏論は儒学、国学から提起される。
以下は参考図書です。
本書と同様、宗教・精神の歴史という切り口から政治・文化を含む日本の通史を俯瞰している本です。神道部分は本書と立場が近く、良い補完になる上、仏教、儒教、キリスト教、近代宗教の記述も厚い。
神仏習合を掘り下げるならこの本もお勧めです。応用編としてのキリスト教とケルト・ゲルマン信仰、インド(仏教とヒンドゥー教)、中国(三教)との対比も趣深いです。
ちなみに私は美江教授の授業を大学時代に受講しました。その頃の授業の様子も本書には出てきます。
■ 小林秀雄 『本居宣長』
■ 丸山真男 「歴史意識の古層」(『忠誠と反逆』所収)
これらの古典も、この流れを意識してあらためて読むとまた違う味わいがあります。
仏教思想を包括的に理解するのに便利な本です。関連部分をあわせて読めば一層本書の理解が深まるでしょう。
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6 comments on “伊藤聡 『神道とは何か』”
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明治維新後に作れらたストーリーをなぞっている感じの本ですね
日本の1%が書くとどうもいけない。 変な論理だては不要
頭を空にして、自分の身の回りの神社などまわられたほうが
宜しいようで
伊勢いくと、”男オバマの後ろを、3歩下がって女メルケルが歩く”
雰囲気になっちゃうんですね。 ぃやだ、ぃやだ!
核廃絶でなくて、戦争廃絶って言って~~~~(笑)
たしか丸山真男は、日本は原住縄文が2回大陸から征服され、舶来と内向きを融通無碍に交互に繰り返すと言っていた気がする。トランプの言動は3回目を予言している?(笑)。稲作を持ち込んだ中国南方からの弥生人、今の言語を持ち込んだ半島経由の中国北方騎馬民族の大和朝廷。そして天皇は天武・持統が本当の始まりで、それ以前は不比等の古事記・日本書記により書き換えられた。天武は壬申の乱をやったので土着か傍流か。持統が最後の本流征服者である天孫系か。この時仏教も伝来していたが、豪族は夫々氏神を持ち、天孫系は天照大神となった。だが島国に入れば皇紀2600年という、原住にしたいのが人情だ。これを形あるものにするのが神道だろう。だから最初はこの在来神から出発したが、本文にある通り初期の仏教や漢神信仰と変わりはなかっただろう。しかし融通無碍の素質で、本来は自然との融和が本分だったが、世界宗教の格を持つ仏教の養分を吸い取り、神仏習合の八幡神などを台頭させ、果ては天照大神=大日如来とまで武装し神格化させてしまう。伊勢神道・吉田神道はさらに天照大神を超えるものを求めている。これが明治維新で天皇を担いで近代国家を創るとき、統帥権不可侵を招いた気もするし、欧米の一神教からすれば、あまりに融通無碍すぎると思うだろう。たしかに丸山の言うように本源的に無構造だ。キッシンジャーはこういう日本をどう出るか読めない国民として中国より恐れていたのでは。
そう言えば、大本教ってあったったなあ。
皇祖神の天照大神のような別格な存在って、他にあるんだろうか。
しかし、下克上に代表されるようにもっともダイナミックな実力主義だった中世って、神様の動きもバラエティーですね。
赤福は岩手でも通販で食べられるけど、生きている間に一回はお伊勢参り行ってみたいなあ。
The Economistの「Rebuilding bridges
As the G7 gathers in Japan, religion, politics and the bomb will all help Shinzo Abe」という記事。
そして、theguardian.comの「G7 in Japan: concern over world leaders’ tour of nationalistic shrine」という記事。これはMcCurryですね。
エコノミストの記事もMcCurryと歩調をあわせていることから、David McNeillが書いたのではないか?という疑いを抱きますが・・。
どちらも「歴史修正主義者で国家主義者の安倍は戦後体制をひっくり返すための企みを着々と進めており、G7首脳の伊勢神宮への訪問は、国家主義と結びついた神道が政治的に台頭する重要なステップであるから、G6の首脳は利用されないように気をつけろ」といった感じの論調ですが、宗教に価値を認めない極左グループか、土着の宗教を認めない偏狭な宣教師の態度のように思えます。
そして毎度毎度のごとくKoichi Nakano, a politics professor at Sophia University in Tokyoのコメントが引用されています。
“Shinto is not a universal religion, and it’s inherently nationalistic,” said Koichi Nakano, a politics professor at Sophia University in Tokyo. “I already felt rather uncomfortable when Barack Obama was taken to Meiji Shrine last time he visited Japan, and it would be no less disturbing to see the G7 leaders being used to legitimise Shinto, given its reactionary and nationalistic positions on so many issues.”
ずっと、東京、下北沢の方かと思ってました(笑) 下北でとおってます。
路地にいる猫を愛されているのかと。
まあ、歴史書も思い込みありで、こんな事なんでしょうね
気楽にいきましょう
パードゥンさん、レス、「カムサハムニダ!!」です。≧(´▽`)≦
まさか、東京の文化芸術の発信地「下北沢」と思ってくださるなんて、
もしかしたら、文化的な教養がにじみ出てるのかな?(ノ´▽`)ノ
というのは完全に冗談ですが、私のは半島の方です。
(ちなみに下北サンデーズは好きだけれど、演劇は苦手。昔「夢の遊眠社」という劇団のバカ高いチケット買って、私のありの脳みそでは、なんで笑うのか、全く意味がわからなかったことがあります。高いチケットの芸術はサギだというのがそれ以来私の信念になってます。)
野良猫は意外に多いです。漁港にのんびりしてます。
猫さんに北限は無いのかもしれませんね。