2015/10/26 00:00 | 米国 | コメント(4)
リチャード・ホフスタッター 『アメリカの反知性主義』①
米国は複雑な国です。近代的合理主義の先端にあるかと思えば宗教性が強い。人道主義を掲げる一方で人種差別が根深い。国際的なようで内向的。
非常に多面的ですが、強いて言えば、二元的な対立(その中心にあるのは保守とリベラルの思想)が政治・経済・社会のあらゆる面で顔を出し、その対立の持続を常態をみなす(一つの秩序に固定することを必ずしも求めていない)風土があります。そうした二元性の一つの現れとして、「知識人(intellectual)」に対する尊敬と挑戦があります。
米国のエリートを見ると、非常に学歴が高く、実務能力・専門性と教養・学術性を兼ね備えたスーパーマンのような人たちがいます。政治経済社会どの分野においても見つけることができますが、政治についていえば、最近の政権を見ると、そういう知的エリートの登用が常態化しているといえます。
一方で、米国の実力者の中には、そうした知識人のイメージからは遠い、学術や教養ではなく、日々の生活の知恵や直感を強調するタイプも多く存在します。政治についていえば、フランクリン・ルーズベルト、ハーバート・フーヴァーより前の大統領、政治家のほとんどはそうしたタイプであり、最近は少ない傾向にありますが、ニクソン、レーガン、ジョージ・W・ブッシュらはこのイメージに近いです。
また、テレバンジェリストのような宗教界のスターやラッシュ・リンボーのような政治的発言を得意とするタレントもこれに近いかもしれません。ドナルド・トランプはどうでしょうか。この点は次回に述べます。
こうした人たちは、実際には学歴が高く、教養もある人たちが多いのですが、自分が学んできた権威に従うことを忌避し、自己の直接的な経験・学習により得た感覚を何よりも重視する傾向があります。
このような思想の系譜を追った古典的名著がリチャード・ホフスタッター『アメリカの反知性主義』です。
ホフスタッターは米国歴史学の大家です。その特徴は、米国の古典的歴史学者といえるルイス・ハーツ(米国には封建主義がないことを指摘)、チャールズ・ビアード(フロンティアを唯物史観から分析)らが築いた進歩的歴史観に縛られず、宗教、思想、個人の動きなどを丹念に拾って、米国の基層をなす同質性(consensus)を描写したことにあります。
『アメリカの反知性主義』は、知識人=権威への反逆という思想の潮流を「反知性主義(anti-intellectualism)」と構成します。そして、米国における具体的現れとして、執筆当時に吹き荒れたマッカーシズムから、ピルグリム・ファーザーの時代に始まる高度にして宗教と密接に結びついた教育(ハーバード大学はそもそも神学校だった)、大覚醒(米国における最初のリバイバル運動)、スター伝道師(現代のテレバンジェリストの祖先)、ジャクソニアン・デモクラシー、アイゼンハワー人気といった現象を解釈します。
ここで注意して欲しいのは、反知性主義は、「知的な活動」を否定するという「バカの壁」的なものではない、ということです。反知性主義のポイントは、自らが認識し、理解できたものでなければ信じないという懐疑的な態度であり、その根底にあるのは、民主主義・平等、権威に対する反抗、一般市民の知に対する信頼です。
反知性主義は米国に限った話ではありませんが、特に米国においては、欧州の旧世界に対する宗教・思想・政治面での対抗、「チャーチ型」とは異なる「セクト型」の宗教組織、フロンティアなどの要因によって、民主主義・平等、一般市民の知に対する信頼、権威に対する反抗が強く働いたといえます。アレクシス・ド・トクヴィルは、こういった米国思想の特徴を『アメリカの民主政治』でいち早く指摘していました。これが反知性主義の根強さにつながると分析されています。
反知性主義は、知的活動の否定ではなく、むしろ、常識を疑い、格式にこだわらず、個々人の経験を重視するという点で、科学的・客観的なアプローチといえます。そもそも、反知性主義は米国におけるキリスト教の伝統と深いつながりがありますが、キリスト教の知的探求は古くから高度に知的な営みでした。
カノン法は近代行政法理論の発展に貢献し(これは別の機会に紹介します)、カール・シュミットは『政治神学』で「すべての重要な近代国家理論上の概念は神学上の概念を世俗化したものである」と述べました。現代においても、ラインホルト・ニーバー、リチャード・ニーバー(『アメリカ型キリスト教の社会的起源』で上記の「チャーチ型」「セクト型」の分類を提唱)といった神学者の議論は、哲学的思索が深く、政治思想や政治家にも大きな影響を与えています。
現代社会においても、米国では、「バイブル・スタディー」という聖書の勉強会がよく行われています。私も留学時代に何度も参加しましたが、ここで実践されている手法は社会科学のアプローチであり、それだからこそ信仰をもたない私のような人間も迎える素地ができています。
このため、「反知性主義」としてとらえられる人たちの中には、極めて学識が深く、いわゆる「知識人」に加えられることはないかもしれないが、「知性」に対しては誠実な態度をとっている、という人は多く存在します。
ただ、直感と実践に依存し過ぎると神秘主義に陥り、大覚醒のような熱狂を生みます。政治に波及すればマッカーシズムのような排外思想にも発展します。これが反知性主義の負の側面といえます。
さて、政治についていえば、冒頭で、最近の政権を見ると、知的エリートの登用が常態化していると書きました。なぜこうなっているのか・・・長くなってしまったので、これは次回解説します。
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4 comments on “リチャード・ホフスタッター 『アメリカの反知性主義』①”
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今の山口組の組長さん・・
哲学好きで・・読破しているそうですよ・・
彼も反知性主義者かな・?・・・(笑
②以降の記事も楽しみにさせていただきます。
森本あんりICU教授の、「反知性主義 アメリカが生んだ熱病の正体」も私にはたいへん分かりやすく、目からウロコでした。
紛れもなく反知性主義者ですね。笑
ありがとうございます。実は森本氏の本は次回紹介するつもりでおりました。良書と思います。