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2015/06/01 00:00  | 東南アジア |  コメント(2)

フィリピン・アキノ政権①:ミンダナオ和平


6月2日から、フィリピンのベニグノ・アキノ3世大統領が来日します(4月24日付外務省報道発表)。今回は、アキノ政権にとって最大の課題の一つであるミンダナオ和平について説明します。

アキノ政権

アキノ大統領は、マルコス政権時代に暗殺されたベニグノ・アキノ・ジュニアとその夫人で第11代大統領となったコラソン・アキノの息子です。2010年の大統領選では、もともとアキノが所属する自由党の候補者はマル・ロハスでしたが、2009年にコラソン・アキノが死去したことで、アキノ大統領に対する国民の支持が高まり、ロハスは立候補を辞退。代わって出馬したアキノは、「ノイノイ」(アキノの愛称)旋風を起こして、2位のエストラーダ元大統領に大差をつけて勝利し、大統領に就任しました。

なお、ロハスは副大統領戦に出馬しましたが、ジェジョマール・ビナイに敗れ、内務自治大臣に就任します(フィリピンでは大統領選とは別に副大統領選を行うため、大統領と副大統領が異なる政党に所属する結果となることがある)。次回の記事で述べますが、16年の大統領選ではこの2人が本命と対抗になるとみられています。

ちなみに、アキノに限らず、フィリピンは非常に世襲政治家が多い国です。ロハスの祖父はマニュエル・ロハス第5代大統領(独立後の初代大統領、父も上院議員)。前大統領のグロリア・アロヨの父はマカパガル第9代大統領。2013年の中間選挙では、新人として、アキノ大統領、ビナイ副大統領、エストラーダ元大統領らの一族が当選しました。また、多くの議員は地方の名望家であり、その背景は「白石隆『海の帝国』」で述べたとおりです。

このように、ある意味偶然と勢いに乗って大統領に就任することになったアキノですが、優れた手腕を発揮して、汚職の撲滅、財政再建、経済発展において成果を挙げます。特に、経済については、就任以来、11年を除き、毎年6~7%台の経済成長を実現。経済成長が鈍化している東南アジアの中で突出して高い成長率を維持しています。抜群の知名度と高い成果の実現により、アキノ大統領の支持率は、就任以来一貫して高く、昨年までほぼ70%台を維持してきました。

ママサパノ事件

しかし15年に入ると、アキノ政権は政権発足以来最大の危機を迎えることになります。危機の発端となったのは、1月にミンダナオ島のママサパノで起きたイスラム系武装組織「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」と国家警察の特殊部隊との衝突事件です。

この事件は、警察の特殊部隊がテロリスト容疑者を捜索中、MILFの支配領域に事前通告なく立ち入ったことで、偶発的に起こったと言われています(事件後に調査委員会が検証)。フィリピン政府とMILFは、後述のとおり、14年に包括和平合意に署名しており、警察がMILFの支配領域に入る場合には、MILFに対して事前に通告を行うことが定められていたのですが、今回はその通告が行われなかったため、混乱が生じ、交戦状態に至ったということです。

この衝突により、警察の特殊部隊44名が死亡しました。事件の背景には、ミンダナオ島のイスラム教徒の独立運動と武装組織と政府との間で進展していた和平プロセスがあります。

●ミンダナオ島の独立運動

フィリピンは、国民の8割がカトリックを締めていますが、ミンダナオ島には、全人口の5%を占めるイスラム教徒が集中して居住しています。1960年代後半、マルコス政権において、大規模な開発事業とそれに伴うキリスト教移住民により、イスラム居住民の土地権が侵害されたことで、両教徒間の対立が激化しました。

70年、急進的なイスラム教青年は、「モロ民族解放戦線(MNLF)」 を結成し、フィリピン南部の分離独立を目指して武装闘争を開始します。76年、フィリピン政府とMNLFは、南部13州に自治を認めることを内容とする和平協定(トリポリ協定)を締結しました。しかし、協定を不服とするグループは、あらたに「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」と「アブ・サヤフ・グループ(ASG)」を結成し、武装闘争を継続します。

●和平プロセス

政府はMNLFとの協議を進め、コラソン・アキノ政権下で、90年、ムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)が発足します。96年、ラモス政権下で、新たな和平協定(ジャカルタ協定)が締結され、MNLFの指導者ヌル・ミスアリがARMM長官に選出されます。これによりMNLFの武装解除、社会復帰、政治参加が進展しました。

しかし、MILFとの関係では戦闘が継続し、2000年にはエストラーダ政権下で国軍との間で激しい戦闘が行わます。アロヨ政権は、MILFとの和平交渉を進め、03年にMILF設立者のサラマト・ハシムが死亡し、指導者となったムラド・イブラヒムが和平路線を採ったこともあり、09年、停戦合意が成立します。

2012年2月、アキノ政権は、和平に向けた予備交渉を開始し、10月、両者は最終和平への道筋を示した「枠組み合意」に署名した上、14年3月、最終的な合意として、「バンサモロ包括合意」に署名しました。バンサモロ包括合意は、半世紀以上にわたるミンダナオにおける独立闘争を終了させる歴史的な合意であり、アキノ政権にとって大きなレガシーとなる成果といえます。

これにより、和平プロセスは「バンサモロ自治政府」の創設に向けた移行プロセスに入りました。具体的には、①バンサモロ包括合意を基礎とする「バンサモロ基本法」の制定、②管轄領域を画定するための住民投票、③ARMMの廃止と暫定移行機関の設置、④新自治政府の選挙を経て、16年の自治政府発足を目指すことになりました。

●ママサパノ事件

しかし、MILFとの和平プロセスが進行する一方で、MNLFのミスアリ派は、13年9月、ミンダナオ島西部のサンボアンガに侵攻し、国軍や警察との間で交戦におよび、双方に死傷者を出すとともに10万人を超える避難民が発生する事態となります。その背景には、MILFとの和平プロセスに参加できないMNLFが和平プロセスに反発していることがありました。また、MILF強硬派の司令官アメリル・ウンブラ・カトは、11年、MILFの和平交渉に反対して脱退し、武装組織「バンサモロ・イスラム自由戦士(BIFF)」を結成し、武装闘争を継続します。

14年9月、アキノ大統領は、「バンサモロ基本法案」を議会に提出しました。バンサモロ基本法の成立は、もともと、14年末または本年初めに行われることが目指されていました。これは、新自治政府の選挙を大統領選と同時期である16年5月に実施するためです。しかし、国会の審議に遅れが生じ、日程がずれ込んでいました。

ここで、15年1月、ママサパノ事件が発生しました。事件の発生を受けて、バンサモロ基本法案の審議が中断されたため、審議に更なる遅れが生じています。国会の審議日程を考慮すると、バンサモロ基本法の成立が本年6月までに完了しなければ、新自治政府の選挙を16年5月に実施することは困難になると言われています。

また、前述のとおり、MNLF、BIFF、ASGといったMILF以外のグループは以前武装闘争を継続しており(ママサパノ事件にはBIFFも戦闘に加わっていたと言われています)、これらの組織が和平プロセスを妨害する可能性も否定できません。

新自治政府の選挙の実施が大統領選より遅れる場合、和平プロセスは、新大統領とMILFが主導する暫定移行機関に委ねられることになります。ミンダナオ和平プロセスは、アキノ大統領の強いイニシアチブによって進められたのですが、新大統領がアキノ路線を継承しない場合には白紙に戻るおそれがあります。

ミンダナオ島には高い農業ポテンシャルがあり、治安が安定すれば、開発が進むことが期待されています。フィリピンの更なる経済発展のためにも、ミンダナオ和平プロセスを進展させることは重要な意味があります。

●アキノ政権に与える影響

ママサパノ事件は、アキノ政権において発生した最悪の失態でした。しかもその原因が、アキノと近い関係にあるプリシマ警察長官が、汚職容疑により停職中であったにもかかわらず、独断で実行したことにあると言われ、また、事件発生後、アキノが責任逃れをしようとする答弁をしたことから、国民の印象は極めて悪く、3月の世論調査では、大統領の信任率が就任以来最悪の36%まで低下しました。

大統領が弾劾される事態は回避されましたが、アキノ政権に深い傷を残しました。これは、来年予定される大統領選において、アキノ大統領の後継者として出馬が予定されているロハス内務自治大臣の支持にも影響を与えることになります。

大統領選については、次回「フィリピン・アキノ政権と大統領選」で述べます。

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2 comments on “フィリピン・アキノ政権①:ミンダナオ和平
  1. ペルドン より
    アキノ大統領の誤算

    それだけではなく・・
    津波が襲った際の狼狽ぶり・・責任転嫁・・
    外国人の目から見ても・・問題がある・・と感じさせられた一件も・・
    深いトラウマを・・国民は抱いているのでは・・・???

  2. JD より
    狼狽

    遡れば、最も非難を浴びたのは2010年のバスジャック事件ですね。これも警察の特殊部隊絡みの事件でした。
    責任逃れは今回の事件でもありましたね。まあ、基本的にボンボンなんでしょう。調子いいときはイケイケだけど、逆境に弱い、いい人なんだけど、脇が甘い。ナジブもそうですが。

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