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The Gucci Post [国際政治・経済・金融 × プロフェッショナル]

2019/12/16 06:30  | 経済 ZAP !! |  コメント(2)

第3号

街角ではクリスマスのイルミネーションが輝き、年末のご挨拶用のカレンダーを持ったビジネスマンに出くわします。そんなところで年の瀬を感じる今日この頃ですが、皆様はどのような師走をお過ごしでしょうか?

それでは、今週の「経済ZAP!!」です。

※ここから先はメルマガで解説します。アウトラインは以下のとおりです。

●今週のマーケット
●先週の米国経済統計(結果)
●経済統計分析
 ・FOMCステートメント
 ・FOMCプロジェクション
 ・パウエル議長記者会見
 ・FOMCまとめ
 ・失業保険申請者数
 ・小売売上高 11月
 ・コアロジック 住宅資産に関するレポート
 ・ボルカーの死去
●今週の米国経済統計(予想)
●あとがき

ではみなさま、今週も良い1週間をお過ごしください。

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2 comments on “第3号
  1. magnolia より:
    ボルカー元議長

    以前ボルカー氏についての評伝を読み、その仕事と人柄に感銘を受けていたため、メルマガでボルカー評を書いていただき嬉しいです。翻って日本のセントラルバンカーはどうなのか……。

  2. 健太 より:
    全くの素人

     ある時戦後の日銀総裁は有能だっただろうかと漠然と思った。それで多少は調べた。漠然とした感じだが、有能だったとは思えない。経済学も勉強したことはないが、公定歩合と買いオペと売りオペの理屈は中学で教えてもらった。驚くなかれ複式簿記もならって、試験があった。隣の友人がプラスマイナスを間違えて、試験終了後に、ちょっといって,換えたから覚えている。度胸のあるやつで、先生によく殴られていた。戦後の通貨切り替えでも何かしら変なことがあったなあと思う。
     父親があるとき、テレビで佐々木直元日銀総裁が<変動相場制とは何か知らなかった>といっていたぞというから<本当><本当だ>と会話したことを覚えている。田中角栄は知っていたと思う。彼が為替市場を開かせたというから。

     中曽根康弘がレーガン大統領と交渉できたのはいろいろな外部条件が良かったカラもあるが、夜遅くまで生産ラインの改善、製品の改良、それらの製品を外国に売り歩いた、中小の商社社員などの頑張りがもとで、私もよる11時過ぎにお客に呼び出されていった。その時<明日港に積まないと大変だから、とにかく、直してくれ、頼む。俺はこれから少し寝て、朝まで仕事だから>といって、生産設備のそばで寝たおやじたちの奮闘の結果が大きなものを言ったはずだが、それへの考慮はまったくなかったのではないか?
     個人的には政府上層部には強い不信感を持っている。
    政府支援の日の丸半導体会社をみればいい。あれが本当の姿で、発展した産業会社はほとんど自力ではなかったか?
     ただ知人に聞いたところによると、トヨタがつぶれそうになった時日銀は貸さないという判断だったが、日銀名古屋支店の支店長が頑張ってかしたという。
     そのためそれを知っている役員がいるうちはトヨタは謙虚だったがその人々がいなくなるとおかしくなったという。
     どうも我々は政府を信用しすぎているきがする。災害があったので予算がついて河川工事(多分全国で)をしているが、それは素人が見ても無駄ではないかという工事をしている。別の通行人も同じことを言った。
     どのような国民とその生活を政府は目安にしているかと考えると、想定している国民が見えない。例を挙げると確か東北で50歳と85歳の親子が餓死して死んだ。50歳が先に亡くなり、85歳がそのごなくなった。これとても85歳が早く亡くなれば、50歳の人はたぶんたすかった。共倒れになるが、85歳を早く死ぬような政策をとるべきで、その時の国民の姿をどのように想定するかだが、それが見えず、只流されているだけでしょう。

     昨日も知り合いのところへいって、話したが人口が4000から2700に減り、空き家が次から次へと出ている。若い子はもっとおおきな町へ引っ越ししている。クマが出るようになった。最初それを言ったが役所も警察も取り合ってくれない。仕事が増えるからだろうというとそうだという。たまりかねてスマホで写真を撮ってみせたという。鎌倉の末期からある村で、山間のある田んぼは自然に返っており、どうにもならないよという。
     彼は水田を親父と一緒になって、作ったという。地方が疲弊したのはコメの値段と木材の値段が下落したからだという、彼の計算によるとコメの値段は昭和30年の中ごろと比べると相対的に二十分の一だという。地方を復活させるにはコメの値段と木材の値段を上げないとないということです。
    果たして黒田氏はどのように見ているのか?

     

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