2013/02/11 00:00 | by Konan | コメント(1)
Vol.179: 中央銀行小槌再論(その3)
白川総裁の早期退任など話題に事欠かない日銀について続けます。今回は、日銀に対する相反する2つの批判についての感想です。ひとつは「日銀の政策は不十分である」「分かりにくい」という根っこからの日銀批判。もうひとつは、元々の日銀シンパからの「安倍さんに屈したことは情けない」との批判について。
日銀のデフレ対応は不十分、too little too late(小さ過ぎるし遅過ぎる)、サプライズ効果が無いなどの批判は、マスコミ、政治家、市場関係者、実業界を問わずよく聞かれます。前回の最後に書いた麻生大臣の言葉も、「日銀はバブル経済崩壊後20年にわたりデフレ克服に失敗し続けている」との根源的批判と受け止めることが出来ます。結果責任の観点からは、麻生大臣への反論が難しいことも事実です。ただ、こうした批判はやや可哀想な印象も持ちます。理由は2つです。ひとつは、さすがに金融政策だけにデフレの責任を負わせるのは不公平で、少子高齢化問題への対応など、経済構造に関する有効な対応無しでのデフレ克服は容易ではないことです。
もうひとつは、ぐっちーも1度ブログで取り上げたように、実際には日銀の政策は世界的にみても遜色が無いことです。これは、白川総裁が選挙前の昨年11月12日「物価安定のもとでの持続的成長に向けて」という講演などで強調した点ですが、
(1)量的緩和政策(中央銀行のバランスシートを膨らませる政策)、時間軸効果(例えば物価上昇率前年比プラス達成など一定の政策効果が実現するまで緩和政策を継続するとのコミット)、信用力の劣る資産(株式や資産担保証券など)の買い入れなど、現在欧米の中央銀行で危機対応やデフレ防止のため取られているいわゆる非伝統的な金融政策は、全て日銀が他国に先駆けて実施したものであること、
(2)中央銀行のバランスシートやマネタリーベース(単純に言えば世の中に流通する貨幣の量)の対GDPでみた大きさは欧米を凌駕し、リーマン危機後の増え方も欧米に遜色無いこと。因みに、2000年代半ばまで取られた日銀の量的緩和の際の目標当座預金残高は30〜35兆円でしたが、この1月末段階で既に40兆円台前半に達し、本年末までには更に50兆円程度増え、100兆円近くに達することも見込まれています、
の2点は間違いの無い事実です。因みにこの講演の図表のURLを下記に掲げましたが、その図表18だけでもご覧頂ければと思います。
このうち、金融政策だけの責任で無いとの点は、産業界も規制緩和やTPPを強く求め、また政府自体も金融、財政、成長が「三本の矢」と認めるなど、日銀への一定の理解はあるように感じますが、日銀の政策が欧米対比遜色無い点は、殆ど理解されていないように思います。無論、この点については「日本の方がデフレが深刻なのだから、バランスシートやマネタリーベースが単に欧米を凌駕しているだけでは、日銀の政策が十分との証拠にはならない」との有力な反論がありますが、それ以前の問題として、日銀の政策に関する基本的な事実すら知られていないのが現実と思います。
このように、日銀が情報戦で負けてしまっている背景について、何人かの日銀ウォッチャーやマスコミ関係者に意見を聞くと、以下のような答えが返ってきます。
(1)日銀は、単なる物価下落と、物価下落が経済の縮小をもたらす悪循環(=真のデフレ)とは異なるという理由で、数年前まで日本の現状を「デフレ」という言葉で呼ぶことを避けてきました。また、物価上昇率に関し「目標」という言葉を使わず、「理解」「目途」という言葉にこだわり続けました。こうした物言いの背後には、他国の中央銀行関係者や経済学者のようなプロを意識し、論理的に正しい表現を求め続ける気持ちがあったのだと思います。ただ、一般人に対する「分かりやすさ」の面では失格と言わざるを得ないと思います。
(2)バランスシートやマネタリーベースの規模の面でこれだけ思い切った政策を行ってきたのに、その説明では、どちらかと言うと通貨の信認の失墜のリスクの面が強調され、前回も書いたようにどこか自己抑制して政策を行っている(従ってその十分さが伝わらない)印象を与えてきたことは否定できないと思います。また「円高は緩和不足のため」との批判に「円相場への介入は財務省の管轄・権限」とすれ違う説明を常用したことも、金融政策の効果についての理解をかえって難しくしてしまった、すなわち金融緩和が通貨安をもたらし得ることを否定し責任逃れしている印象を与えてしまった気がします。
(3)政策の裏付けである経済や市場の見方がどこか楽観的に見えます。展望レポートなども長過ぎ、かつバランス良く書かれ過ぎているため、「長い目で見れば物価安定のもとでの持続的成長の姿は失われていない」という結論部分がかえって目立ち(多くの人は最初か最後しか読みません)、危機感が欠けている印象を与えているように感じます。
前回の繰り返しですが、中央銀行はもともと非民主主義的な性格を帯びています。しかし、民主主義国家でそうした存在が許される前提は、主権者である国民やその代表である国会、あるいは媒体であるマスコミに「長い目で見れば間違い無く正しいことをしているのです」と説得出来ることにあると思います。国民の立場からみると、そうした説得性が無ければ、そしてその大前提として説明が分かりやすくなければ、円相場がどうなるか、景気がどうなるかなど目先の「結果」だけでしか、金融政策の是非を判断できなくなります。元々中央銀行の政策の効果は中長期的にしか表れないとすると、「結果」だけによる政策の評価は、短期的な効果の評価に注目を集めてしまう点で、中央銀行にとって極めて不利です。そうした意味で、分かりやすい説明を怠ったことで自らを窮地に追い込んでしまったというのが、安倍さんに追い込まれた背景と感じます。
さて、「安倍さんに屈した」とのもうひとつの批判について。今回の決定の真相は窺い知れないところですが、むしろ中央銀行はどこまで非民主主義的であることが許されるかという点に興味を持ちます。何度も繰り返して申し訳ありませんが、中央銀行の独立性は選挙で選ばれた政権への対峙を意味し得ます。それでは、仮に選挙で+3%のインフレ目標が多数に支持される一方、中央銀行は+2%が許容範囲の上限と信じる場合、中央銀行はどう行動するべきなのでしょうか?
今回の解散直後、当時の安倍総裁は+3%の物価目標との言葉を口にしていました。いつからか+3%が消え、現在の+2%との物言いに統一されて行きました。この変化は日銀の働きかけによるのか、別のメカニズムによるのか、とても興味深く思いますが、実は、日銀は以前から「中長期的な物価安定の目途は消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域」という表現で、+2%までを認めていました。従って今回は日銀にとり真の意味で踏み絵を踏むことを回避できたわけです。歴史にifは禁物とよく言われますが、もし安倍総裁が+3%の物言いを維持し続け、そして選挙で大勝していたとしたら。。。その時は白川総裁に辞任覚悟で戦って欲しかったと思います。そうした修羅場を避けられたことが吉と出るか凶と出るか。
次回はアベノミクスについて取り上げ、日銀シリーズを終えます。
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