2010/08/30 00:00 | by Konan | コメント(3)
Vol.51: 育児放棄事件を巡って
もう8月も終わりですね。今回は、1ヶ月ほど前、大阪で若い母親が育児を放棄し、3才と1才のお子様が亡くなられたという、大変痛ましい事件について触れたいと思います。まず、お2人のご冥福をお祈りします。
そのうえで。本件は一見Gucci Postに相応しくない題材ですが、その後の報道をみていて、いくつか感想を記したいと思った次第です。
各種報道では、当然この母親の酷さに批判が集中し、そして「どうして見抜けなかったのか」「救えなかったのか」が問われました。「育児放棄の兆候が少しでもあれば、強権的に家庭に介入できるようにすべき」というのが典型的な意見と思います。
この意見はある意味で正論です。ただ、仮にそうした仕組みを導入・強化する場合、「コストがかかる」「官による監視強化という代償を払う」といったデメリットを見過すことも出来ないと思います。論点を今流に表現すると、「事業仕分け」において、家族の問題に介入する仕組みについて、「強化、現状維持、縮小、廃止」のいずれを選択するか、問われていると思います。
私は、官に相当な権限を与えない限り、自信を持って介入できない(責任を回避しようとする)、しかしそこまで強力な権限を与えることには、官の人間である私ですら恐さを感じるという感覚です。また、どの程度増強すれば効果が上がるか、イメージもつかめません。
他方、報道の中では「この母親は酷い。しかし普通のお母さん達も育児で悩み疲れている。短時間でも子供を預けられるような施設を増強することが問題解決の鍵ではないか」という意見もありました。私自身はこの方向にひかれています。
成長戦略を考えるうえでは、「女性の労働参加率を更に引き上げつつ、子供を産み育てやすい環境を整える」という極めて難しい問題に取り組むことが不可避です。そのために最低限必要なことは、子供をフルタイム、あるいは1日数時間であっても預けることが出来る環境です。また、それは「預かる」側の仕事を創出することにもなります。しかし、こうした仕組みは不十分で、待機児童問題は解消されません。何故なのか?
残念ながらまだ真相をみつけていません。ただ、文科省と厚労省の縄張り争いを含む規制の問題が鍵を握ること、財政の配分の問題として相対的にお年寄りに手厚く子供に薄くなっていること、の2点がポイントであることは間違いなさそうです。業界関係の知人等から情報収集しながら、考えていきたいと思います。
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3 comments on “Vol.51: 育児放棄事件を巡って”
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二日も!!
更に・・九月になっても・・同じ暑さ・・
暑さの中で・・狂った・・事件・・
コメント出来る程・・
情報がない・・
にしても・・
母親が・・精神鑑定を受ける・・記事・・
同じ日・・派遣でピンハネに・・抗議した少年が・・殺され・・裸で・・河原に・・
少しづつ・・我等日本人は・・心を・・失いつつあるか・・
何処で・・止まるのだろう・・・
施設を作らないと駄目ですよ、廃校を改造し寮のようにして高校卒業まで面倒見ればいいんですよ、宗教界は心に係わる問題にはもっと積極的に係わって貰いたいものです、やはり人間には絆、支えあい、助け合いが大切なんですよ。
人と人との関わり方が、ゆがんでいる社会になりつつあるかもしれないですね。
(では正常な社会がどこの国にあるのか?なんて、私にはわかりません)
必要とされない、認められない、愛されない、労わられることのない人は、気持ちが弱くなるし、まず自分の心を守ることが一番になってしまって、他人を思いやることができなくなってしまうと思います。享楽に逃げるかもしれないし、他人を傷つけることで気を紛らわすかもしれません。
私はこの事件のこと、ほとんど知りませんけど、根底にあるのは、いまの社会は人間関係が希薄になりすぎて、人間が孤立しやすいことなのだということですよね。きっと。
荒っぽい話と思われるかもしれないですけど、これからの社会のことを考えたら、老人施設と保育園(というか学童みたいな施設)が一体化したものがいいのではないですかね。
一人暮らしになってしまう、あまり裕福でない高齢者にある程度プライベートを守れる住宅施設を提供し、その施設に保育師などの有資格者も置いた子供を預かれる施設を用意して、高齢者も子供も子供の親も互いに関わることが可能な状況をつくっておくみたいな。
お役所が強制みたいなことにするのではなくて、箱物と環境だけ用意して、人間同士の交流の程度はそこの人たちに好きにしてもらうとか。
血縁だけに頼るのは、もう今の時代、無理なのだと思います。
かといって、お役所にすべてをゆだねるのもむずかしいと思います。