2012/04/23 00:00 | by Konan | コメント(2)
Vol.137: 中央銀行は打ち出の小づちか(その4)
この点に関し最近とても象徴的な出来事がありました。ギリシア債務カットの際、欧州の中央銀行であるECB保有分は債務カットの対象から外され、債務カットによる直接的な損失を被りませんでした。なぜECBはこうした特権を享受したのでしょうか?
中央銀行は政府から独立し金融政策を行う主体です。世界のほぼ全ての国に中央銀行が存在し、政府から独立して金融政策を行っています。これは「中央銀行が政府の言いなりになると、国の金融や経済が崩壊する」という歴史の教訓を踏まえた枠組みで、日本でも14年前に実現しました。しかし考えてみると、金融政策のように極めて重要な政策を、政府から独立した数人(日本の場合、政策委員会のメンバーは9名<現在は2名欠け7名>)で決めてしまうのは、とても恐ろしいことです。他の政府の重要政策は選挙で選ばれた国会議員による議決を経て行われることと比べ、極めて特異なことです。
国の歳入・歳出を定める予算は、国会の最も重要な決定事項であり、民主主義の重要なツールです。そうした決議も経ずに少人数の決定で歳入を減らすことは許されない、従って金融政策を決める際、あらかじめ損失が予想される手段は択ばないというのが、世界の中央銀行に共通の規律です。ECBの例をとると、金融市場の安定のため、信用が低下したギリシア国債を担保として取り続けた訳ですが、仮に債務カットに伴い損失を被ると、「損失が予想される手段は選ばない」との前提が崩れ去ってしまいます。そして、ドイツ国債のように損失可能性が無い国債しか担保に取れない立場に追い込まれ、欧州市場が壊滅するリスクに直面します。こうした事態を避けるため、ギリシア債務カットの対象から外れることにECBは拘り続けたと解釈しています。
この点からみると、前回取り上げた「ヘリコプターからお金をばら撒く」ことは勿論のこと、前々回説明した「質の悪い資産の購入」は問題含みです。この政策は対象資産市場に直接プラスの効果をもたらす強力な手段ですが、中央銀行本来の哲学を考えると、踏み込み過ぎは禁物となります。実際、例えば日銀も、こうした施策の実施に当たり、資産購入額の上限を定めています。このことの延長線として、「中央銀行の政策は少人数で決定することが許容されるいわば常識の範囲内におさめるべき」と言うこともできるかもしれません。
こうした箍が外れると、政府と中央銀行の境界が失われ、「中央銀行の独立」という過去の歴史に基づく人類の知恵に背くことになります。ただ、こうした考え方は所謂リフレ派の人には受け入れ難いかもしれません。「デフレ克服のためには何でもやれ」との主張を縛ることになるからです。
この話しはお札の信用の話しに帰着します。シリーズ初回に書いたように「お札の信用の失墜=インフレ」です。デフレ克服最優先論者は、お札の信用が失墜するほど思い切った政策を行えと主張しており、この主張は「中央銀行の独立などどうでもよい」との考え方につながります。長い人類の歴史を経た知恵が正しいか、それとも非常時には過去の知恵に背くことがよいか。
中央銀行に関しては、先日の審議委員人事否決などまだ書きたい題材が残っていますが、皆さんもそろそろ飽きがきたと思いますので、取り敢えずここで打ち止めにし、またいつか戻ってきたいと思います。
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2 comments on “Vol.137: 中央銀行は打ち出の小づちか(その4)”
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総裁や・・
理事者は・・哲学者か・・?
でないなら・・
今回は・・
哲学の話にはならない・・
鉄の処女・・の話になる・・・
昨今の経済事情を含め、皆が知りたいことを非常に分かりやすく解説した素晴らしい記事だったと思います。
また機会がありましたら続編をお願いします。