2010/06/21 00:00 | by Konan | コメント(2)
Vol.41: スポーツと経済
ワールドカップ真っ最中。応援中のイングランドの不調が気になります。日本は、決勝トーナメント進出の可能性を残しているだけでも上出来と思います。そうした中、今回はスポーツについて書いてみたいと思います。
個人的に懇意にして頂いているあるサッカー関係者の言葉の中に、大変気に入っているものがあります。彼は「サッカーは、1つのボールを使って皆でお話しをする競技」とよく話します。何となく夢を感じませんか?
ただ、この言葉は奥が深い言葉です。「ボールを使ったお話し」が出来るためには、「文法」を習得する必要があります。サッカーは「個」から成り立ちますが、個が何人かのグループに、そしてグループが11人のチームに発展していく中で、あるいは敵の11人が加わる中で、ボールを使ったお話しはどんどん難しさを増します。例えば「あるパスの仕方は何を意味するか」といったことが共有されないと、グループ、チームは成り立ちません。強いチームはそうした文法が共有されていると彼は言います。「普段別々のクラブチームに属すメンバーが集まり素晴らしいサッカーが出来るのは何故か」「様々な国籍のメンバーが集まるクラブチームが何故凄いプレーを出来るのか」、その答えは「一流選手は皆この文法を身に付けているから」ということになります。逆に言えば、「そういう文法が身についていないメンバーを集めて長期間練習しても無意味」ということにもなります。
サッカーは体を用いる競技ですが、文法を身に付けるうえでは「知」が不可欠です。全体の状況を見極め、最適なプレーを咄嗟に判断し、それを的確に行う前提として、「状況の理解」と「状況に応じた様々な対応」という知と体の融合が必要になる訳です。そしてそれは、どんなビジネスにも共通する要素とも言えます。
以上、知人の言葉を若干の意訳を交えつつ受け売り的に記してみました。今回どこが優勝するか分かりませんが、優勝するチームはきっと上記のことを最も完璧にでき、かつ運に恵まれたチームなのでしょう。
ところで、これだけでは(元々金融経済ブログである)Gucci Postに相応しくないのかもしれません。知人のサッカー関係者は、「中学生前後の子供にサッカーを指導する」ことに加え「サッカーチームの指導者を集めて指導する」ことをビジネスとして運営しています。上記のような考え方を日本に浸透させるためには、子供に教え込むことも大事ですが、それだけでは非効率なので、指導者に指導するという手法を重視している訳です。さらに、「いくつかの中高生チームが同時に合宿し、交流できる場」を作ることも夢のひとつのようです。そうした場に集まったいくつかのチームの指導者やチームメンバーを指導することが出来れば、効率性も上がります。ただ、そのためには、ある程度の広さの土地を安価で借りられることが必要で、なかなか難しいようです。前回の音楽と同じ話になってしまいますが、利用度の低い県有地をそうした事業に提供し、教育=まさに知育、体育の双方を行う場となる訳です=熱心な県(都、道、府でも勿論よいです)として名を売ろうと考えることは、あながち無駄遣いではないのかもしれません。この結論はしまさんに怒られてしまうかもしれませんが、そもそも利用されずに困っているなら、若干使用料を取るだけでもベターオフと思うところです。
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2 comments on “Vol.41: スポーツと経済”
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1つのボールを使って皆でお話しをする競技・・
それはサッカーだけだろうか・?・・バスケット・・ラグビー・・あらゆる球技が続くのでは・・
が
文法・・ねぇ・・その前に言語がある・・あるはず・・論理的には・・サッカー語とラグビー語と・・通訳なしに通じるのか・・と疑問が湧く・・
球蹴りは古代エジプトを先頭に・・世界中で行われ・・
紀元前三世紀・・中国の宮廷人のお遊びも・・十四世紀の英国では・・百姓のスポーツとなり・・死人さえ出た・・
北米・東部ではイロクォイ族も・・夫々五百人の戦士が参加・・チームを間違えないように・・黒と明るい色を全身に塗り・・ユニホームを着て・・乱闘した・・が得点は極めて困難だった・・
何しろ・・ゴールポストは魔術師であり・・ゴールポストは呪文を唱えながら・・フィルドを精霊のように飛び回った・・
得点する難しさは・・昔も今も変わらない・・文法ねぇ・・・
CRUさま。
いつも拝読させて頂いております。
地方が独自に魅力を創ることは本来必要であると思いますし、すばらしいことと考えております。
問題なのは、地方の現状を見る限りでは、「横並びの行動」「経済的な自立性・自律性を検証しない」、ということだと感じております。
サッカーでいえば、大小全て後先考えずバルサを目指すという感じでしょうか。
国が一定の形を示すのも問題ですが、自分でしっかり考えて目指す方向が決められない現状も問題だと思います。
何もしないよりは良いというのも事実ですが、「過ぎたるは及ばざるが如し」で一方方向に振れ過ぎることが今の地方の実情では懸念される点です。
何もしないのもいけないが、オリジナリティもなければならず、無理をしてもいけない、という状況の中で、実践出来るのは、まだ極わずかです。その中であまり手放しにすることはかえって問題を引き起こすことを恐れます。
世界にはイングランド、スペインのような国も、スロベニア、メキシコ、ニュージーランドといった国も、自分を把握してそれぞれ個性のあるサッカーをやってます。クラブレベルではもっといろいろ。小さくとも光るものを自分で見つけ出そう!という気持ちは同じではないかと思います。