2010/02/08 00:00 | by Konan | コメント(0)
Vol.22: 新年特集(その6、外交・防衛)
新年特集(と言っても新年気分はもう無くなりましたが)の最終回は、外交・防衛を取り上げたいと思います。普天間問題は現政権のアキレス腱のひとつで、多くの方が興味を持たれるテーマと思います。残念ながら、私は外務・防衛官僚ではないので、専門的・個別具体的な話しは出来ませんが、過去の経歴上、このテーマにずっと興味を持ってきており、今回思い切って取り上げることにしました。今回は、ある意味で大変初歩的な、しかし根源的な問いかけを行いたいと思います。
外交・防衛の問題を考える場合の立ち位置をどうとるか。大別すると、4つの考え方があると思います。
A:日本を攻めてくる国は無いという楽観論。あるいは、攻めてこられたら、抵抗しないという徹底した非暴力主義。
B:Aのように楽観はしないが、非軍事的な努力により、攻められる可能性をゼロ近傍まで低下させる。
C:攻められる可能性を意識しつつ、防衛は米国に委ねる。
D:攻められる可能性を意識し、かつ防衛は自力で行う。
それぞれの中間系もあり得ますが、大きく言えばこの4つの立場を取りうると思います。私が学生の頃、憲法を学んだ際の雰囲気(1980年代初頭の雰囲気)は、恐らくAだったと感じます。Dのようなことを言うと、軽蔑されたとも言えます。ただ、旧社会党が一時政権に加わり、村山総理が実現した頃からAは廃れ、恐らく今日的に余り現実的な選択肢とは思えません。そういう人たちが乗り換えたい選択肢はBと思います。しかし、覚めた目で見たときに、日本にそこまでの外交力があるのかという点に立ち至ります。外交面は、政府(外務省)の専管というより、民間の努力、あるいは文化のようなソフトパワーが重要になりつつあり、そこまで悲観的になる必要もないと信じたいところですが、それも楽観的過ぎるのかもしれません。
他方、Dへの嫌悪感は引続き根強いと思います。極論として「国を守るため徴兵制を」などと言えば、袋叩きに合うことは間違いありません。そうなると、Cしか選択肢として残らないということになってしまいます。そうした発想の下、前政権は、普天間基地周辺住民の負担を軽減するため、移設を考え、しかし、本土への移転は無理と思い、県内移設案を組成し、米国と合意しました。Cの発想に立つ以上、米軍の都合との兼ね合いは不可欠であり、また、抑止力と言う意味でも、日本国内に基地を置く方がよいということにもなります。
こうした議論は夢がありません。ただ、仮にCを批判する場合、あるいはCであっても現在の移設案に反対する場合、A、B、Dという他の選択肢の実現に向け現実的な提案を行い、国民の理解を得て実現していくか、本土で米軍基地を受け入れるか、いずれかの道を探ることが不可欠です。無論、米軍関係者が事件を起こしても処罰されないなど、米軍との関係上改善すべき点は多くあると思いますが、そのうえで、何が現実的な選択肢なのでしょうか?
オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説は、日本では余り評判が良くなかった印象があります。「平和賞の受賞の際、戦争の正当性を説くなんて」という感覚と思います。私は、この演説にとても感銘を受けました。初の黒人大統領として、キング牧師のことも何度か引用しつつ、夢と現実の狭間で「これしかない」という考え方を示したものです。同じような意味で、私はCしかないと思いますし、その中で現在の移設案が最も現実的と感じています。ただ、付け加えるとすれば、Bの方向で現実的なアプローチがとられていくよう、地道な努力(5月までに間に合わせることはとても不可能ですが)が必要とも感じていますし、自分の仕事の中で努めて行きたいと思います。そして、その際のポイントは、アジア(中国も無視し得ませんが、むしろ韓国、東南アジア、インドなど中国以外のアジア諸国)の中での日本の立ち位置と感じています。
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