2021/06/07 06:30 | by Konan | コメント(0)
Vol.108: 日銀漂流?!
今回は再び日銀について。日銀に関心の薄い方、あるいはETF買入れなど実務面に興味のある方にとっては、つまらない内容かもしれません。
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ドキュメント日銀漂流
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昨年11月、岩波書店から「ドキュメント日銀漂流 試練と苦悩の四半世紀」というタイトルの本が出版されました。筆者は検証三部作や平成金融史などの著書を持つ西野智彦氏。1998年に施行された改正日銀法の制定過程に始まり、松下、速水、福井、白川、黒田の5人の総裁を扱っています。
この本は金融関係者中心に話題を呼びましたが、その後異例の展開がありました。岩波書店の月刊誌である「世界」4月号に、白川前総裁が「中央銀行は漂流しているのか?」と題する原稿を載せました。白川前総裁は退任後「中央銀行」という途轍もなく分厚い本を公表しましたが、それ以外は黒田総裁への気遣いか、余り表舞台に出ることはありません。その彼が雑誌に記事を載せたことはやや驚きでした。そして「世界」6月号に、西野智彦氏が「日銀はどこに漂着しようとしているのか」と題する原稿を載せました。連歌のような流れです。
「連歌」と書きましたが、実際には白川前総裁の原稿では西野氏の著作へ短い言及しかなく(かつやや批判的にも読めます(苦笑))、西野氏の原稿にも白川前総裁の原稿への言及は殆どありません。それぞれが「日銀」をお題に思いを述べた体裁となっています。
第1章 「松下時代」日銀法改正と金融危機 1996~1998
第2章 「速水時代」独立性という陥穽 1998~2003
第3章 「福井時代」反転攻勢、量の膨張と収縮 2003~2008
第4章 「白川時代」危機の再来、政治との確執 2008~2013
第5章 「黒田時代」ゴール未達、そして漂流 2013~
白川前総裁は「日銀を扱った過去の多くの著作や論評を目にする度に、日本銀行が何に悩んできたのかが実感を持って理解されていないことにもどかしさを覚えることも多かった」と西野氏を含め過去の日銀関連の著作への不満を述べた後、日銀論に感じてきたもどかしさとして、以下の3点に触れています。
第1 グローバルな視点で日本経済や日銀を捉える姿勢が全般に乏しいこと
第2 金融政策を評価する際の基準が主流派マクロ経済学というレンズに偏っていること
第3 民主主義社会における中央銀行のあり方という本質的な論点があまり意識されていないこと
因みに、この第3の点に関しては西野氏の著作を誉めています。
西野氏の6月号の原稿は、主に3月の日銀による「点検」に焦点を当てています。日銀漂流の刊行が昨年11月だったので、その後の展開を追った形です。点検に関し以下の章立てで批判を展開します。
・国民が理解できない金融政策
・「異形の姿」になった理由
・日本で起きた通貨膨張の誘惑
・「政府機関化」の道を歩む?
・異次元緩和からの脱出ポッド
・黒田総裁の「レガシー」とは
西野氏の著書は、第2章以降の「独立性」「反転攻勢」「政治との確執」「ゴール未達」の言葉に象徴されるように、速水時代の政治からの厳しい独立性批判、福井時代の政治との融和、白川時代の速水時代をも上回る政治からの圧力、黒田時代の華々しいデビュー・目標未達成の8年間を語っています。
白川前総裁の原稿は、「世界が日本化の道を歩みつつあることをどう考えるか」「中央銀行は本当に物価上昇率を自在に決めることが出来るのか」「潜在成長率低下への対応に金融政策は寄与できるのか」「協調・連携論、日銀毅然たるべし論、いずれも一面的ではないか」などを問いかけつつ、「中央銀行はどこに行くのか」中央銀行だけで答えを見出すことの難しさ、そうは言っても中央銀行が取り組むべき課題も多いこと、などを語っています。
西野氏の原稿は、かなり直截に黒田総裁の政策が袋小路に入ってしまったことを指摘しつつ、黒田総裁の「レガシー」として、「2%物価上昇目標の見直し」「出口問題を誠実に語ること」「中央銀行のあり方(白川前総裁の言葉で言えば「中央銀行はどこに行くのか」)について発信すること」を求めています。
日銀あるいは中央銀行について語ることは容易ではありません。旧新ひとり言を通じ何度かトライしましたが、なかなか上手くいきません。今回はここで終えますが、今後も折を見て書いていこうと思います。
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