2021/01/04 06:30 | by Konan | コメント(1)
Vol.87: 今年のこと(1)コロナと五輪
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
2021年も様々ななニュースが飛び込んでくると思います。展望を書いているうちに展開が変わってしまうかもしれませんが、毎年の恒例として今年の展望を記したいと思います。今回はコロナと五輪、次回は政治、次々回は経済を予定します。
昨年はコロナ禍に振り回された1年でした。現在、日本をはじめ世界で感染が再拡大し、変異種も見つかっています。都知事・3県知事が緊急事態宣言発動を要請したとのニュースも飛び込みました。他方でワクチンも実用化され始め、日本でも数か月のうちに接種が始まると思います。そうした中で、菅総理はオリンピック・パラリンピックを実施するか否か判断を迫られます。その帰趨が今年の政治や経済を規定します。
コロナ禍については、感染症の専門家でもないのにこのコーナーで何度も取り上げました。その中で繰り返し書いた通り、海外に比べ感染者数が少ないにも拘わらず医療崩壊が心配されているのが、日本の現状です。なぜそうなのか、日本の医療体制が脆弱だからか、感染症の捌き方に問題があるのか、私に真相は分かりません。ただ、少なくとも短期のうちに「医療は大丈夫」となりそうもないことは確かと思います。
言われ尽くされた感はありますが、感染症対策と経済の間にはトレードオフの関係が存在します。ロックダウンを行えば感染症は早期に収束しますが、経済活動は壊滅的影響を受けます。放置すると経済活動への影響は抑制されますが、感染症が爆発します。爆発により命が奪われるだけでなく、そこまで来ると人々が自衛し始め、経済活動が収縮していきます。ロックダウンと放置の間にoptimal(最適)な点があると考えることは不自然でなく、このコーナーでドイツのある研究で実効再生産数0.75が最適と試算されたと紹介したこともあります。0.75の精度はさて置き、最適の発想は感染症と経済の均衡を中期的に達成しようとの考え方と言えます。言い換えれば、経済活動も感染症もある程度抑制された状況を長く続ける発想です。真逆の考え方は、放置とロックダウンの繰り返しです。アリとキリギリスの譬えを使えば、一定期間キリギリス的に生活を謳歌し、持たなくなるとアリ的な緊縮生活に戻ります。
中央銀行の世界でもFed viewとBIS viewの対立があります。前者は、金融政策でバブルを防ぐことは難しく、いざバブルが崩壊した時点で対応するしかないと割り切ります。後者は、バブルが発生しないよう普段から非緩和的政策を取ることを勧めます。黒田派と白川派の対立と言い換えることも出来ます。
このどちらが良いかの判断も難しいところです。しかしワクチンの登場がゲームチェンジャーとなる可能性があります。
ワクチンについても様々なことが言われます。「有効か」「副作用はどの程度か」「有効として有効性がどの程度続くか」「国民全全体に行き渡らせることが出来るか」など。この点について専門外の私に発言権はありません。ただ、恐らく日本のように慎重な国で接種が始まるとすれば、有効性や副作用の小ささに相応の納得感が得られたうえでのことであると想像できます。そうであるが故に、1億2千万人に行き渡らせるには時間を要すると思います。オリンピック・パラリンピックは正にそうした過渡期にやってきます。
仮定として、ワクチンは有効で副作用も小さいが、日本国民の半数しか接種できず、海外でも一部先進国等に接種が限られているとしましょう。そうした中で開催を決断できるか?
昨年秋、まさに菅政権が誕生したころ、私が会う政治家、官僚、マスコミ、それらと関係深い財界人は口を揃えて「開催する」と話していました。政権発足の高揚感、夏場の第2波が落ち着き始めていたこと、そしてオリンピック・パラリンピック成功が菅政権長期化の弾みになること、などが理由だったと思います。
世論が開催反対に大きく傾けば、開催の判断は難しくなると思います。ただ、国民の大多数が中止を望むようにも思いません。「出来ることなら開催して欲しい」「開催しないと選手が可哀想」と思う人が多いのではないでしょうか。論点は、開催の可否というより、どこまで規模を小さくし安全性を確保するかに帰着するように思います。
何といっても選手確保が肝心なので、ワクチン接種やPCR検査を前提に受け入れ、選手村での交流を極小化し、選手間での感染を防ぐことが大前提です。観客は昨年のプロ野球的に人数制限を行うしかないと思います。ワクチン接種まで義務付けることは難しいと思いますが、体温測定やマスク着用は必須です。海外からの観客については、日本でワクチンが行き渡らない状況下では受け入れへの抵抗感が極めて強いと思います。受け入れるにしても、PCR検査やワクチン接種を条件にすることが考えられるかもしれません。そうすることで必然的に人数が絞られます。
こうなると財源に穴が開きますが、何せ国の予算には巨額の予備費が置かれています。開催と引き換えの大盤振る舞いは十分あり得ると思います。
この「読み」が当たるか否か、数か月後に結果が出て恥をかくかもしれません。ただ、私が開催説に傾くのは、曲がりなりにもワクチンが登場したことに加え、菅政権の浮沈や存亡がこの一点にかかる状況になってきたからです。昨年末にかけての支持率低下は目を覆うばかり。何かを変えられるとすれば、オリンピック・パラリンピックをたとえ小規模であっても開催し、無事に開催し終えることしか考えられません。また、こうした環境下での開催なら、メダル獲得面でも日本有利となる可能性があります。そうした高揚感を背景に、秋の自民党総裁選や衆議院議員選挙を乗り切る以外に道が開けないのが、菅政権の現状と思います。
次回取り上げる政治のテーマに踏み込んでしまいましたが、ワクチンの話しに戻ると、「接種半数」の状況がオリンピック・パラリンピック以外の面でどのような影響を持つか、読みが難しい面があります。例えば「海外渡航」のような側面では、ワクチンとPCRが切り札となり渡航の自由度が増す可能性があります。それは飛行機搭乗やパスポートコントロールでの管理が容易だからです。他方、例えば居酒屋で「ワクチン接種者のみOK」とすることが出来るか?実効性確保面を含め難しいように思います。
そうなると、以下の2つの可能性が考えられます。ひとつは今と変わらない生活。マスク、手洗い、密回避から解放されません。もうひとつはフリーライド的な状況。ワクチン接種者は自信をもって飲み会やカラオケや旅行をします。飲食店や旅館もそれを受け入れます。当然気が緩みます。そうした中での非接種者の飲食等はかえって危険で、感染を一段と広げるリスクがあります。そのうえで更に心配なのは、ワクチン接種率が上がっていくと、昨今の日本の風潮から「非接種者叩き」が起きることです。「非接種者は飲むな歌うな」くらいならまだマシで、「非接種者のせいで行動制限が続く」との虐めが起こり、「非接種者が感染し重症化しても自己責任」との雰囲気に一気に傾くことを危惧します。
今回はこの辺で。
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One comment on “Vol.87: 今年のこと(1)コロナと五輪”
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Konanさん、さすがと言いますか、深い読みですね。←浅いコメント(自虐)笑
オリンピック、要注目ですね。興味深く読ませていただきました。