2020/10/26 06:30 | by Konan | コメント(0)
Vol.77: 日銀の金融システムレポート
今回は22日に公表された日銀の金融システムレポートを取り上げます。内閣府月例経済報告も23日に公表されましたが、日銀金融政策決定会合・展望レポートと合わせ次回紹介します。
この金融システムレポート、旧ひとり言の頃から毎回紹介してきました。当時は金融庁が金融行政方針を公表していなかったので、日本の当局が公表する唯一の金融システムに関するレポートの位置付けでした。金融行政方針公表後も、金融庁対比の分析能力の高さが示される内容です。なお、毎年4月、10月と2回公表されます。
今回は何といってもコロナ禍の影響に注目が集まりました。日銀に先立ち、英米欧やIMFもコロナ禍の影響を探るレポートやストレステスト結果を既に公表し、コロナ禍に伴う信用コスト増加に伴い、銀行の自己資本比率が数%程度低下する可能性があること、その場合でも金融システムの安定性は揺らがないこと、などが示されてきました。まず、日銀の結論を紹介し、その後で信用コスト面の分析を少し詳しく紹介します。なお、信用コストは業界用語ですが、端的には借り手の信用度が低下し、貸し倒れが生じるリスクと考えて下さい。
結論は以下です。
・コロナ禍の影響は大きいが、日本の金融システムは全体として安定性を維持している。
・政府・日銀の大規模な財政・金融政策や規制面の柔軟な対応に加え、コロナ禍前の段階で金融システムが資本・流動性両面で相応に充実した財務基盤を備えてきたことが、その背景。
・そして、景気改善がかなり緩やかなものにとどまると想定しても、金融システムは相応の頑健性を備えている(要は金融システム不安は生じない)。
・ただ、不確実性は大きい。仮に、景気が長期にわたり停滞し、そのことを受けて金融市場も大きく調整する極めて厳しいストレス事象が発生する場合には、金融機関の経営体力が低下し、金融仲介機能の円滑な発揮が妨げられ、実体経済のさらなる下押し圧力として作用するリスクがある。
・今後注意すべきリスクは、(1)国内外における信用コストの上昇、(2)金融市場の大幅な調整に伴う有価証券投資関連損益の悪化、(3)ドルを中心とする外貨資金市場のタイト化に伴う外貨調達の不安定化、の3点。
こんな感じです。「概ね大丈夫。ただリスクに気を付けてね」というメッセージでしょうか。
さて、やや専門的な領域に入りますが、今回のレポートでは様々な業種、場合により個社のデータに遡り、以下のような分析を行っています。
・政府・日銀の企業支援策が無かった場合、企業の短期資金不足がとの程度悪化していたか。
・・・URLの日銀資料12頁にあるように酷い状況が起きたとみられる。大企業と中小企業で様相は異なり、大企業はさほどではないが、中小企業の短期資金不足先は昨年度の8%程度から20%程度に上昇。
・企業支援策によりこの資金不足がどの程度抑制されているか。
・・・企業支援策は、給付金等により企業の資本毀損が穴埋めされるものと、実質無利子融資等により当面の資金繰りがつながるものに二分される。双方を合わせると短期資金不足額はかなり抑制される(資料15頁など)。
・・・なお、この分析結果はやや意外で、もう少し厳しい結果を予想していました。日銀も、資料16頁でこの分析結果がやや甘い可能性、あるいは企業が倒産前に廃業を選んでしまう可能性などを説明しています。
・この資金不足が抑制される前提に基づき、以下の4つのケースに分けてストレステストを実施すると、金融システムの状況はどうなるか。
(1)今後の経済が現時点で想定される標準シナリオ通り推移するケース(ベースライン)
(2)2020年後半のGDP成長率がベースラインの半分にとどまるケース(ダウンサイド)
(3)GDPがベースライン対比極めて低い水準にとどまるケース(厳しい実体経済ダウンサイド)
(4)市場が再び混乱するケース(厳しい市場ダウンサイド)
上記の結果は資料35頁に示されています。地銀に代表される国内基準行だけ紹介しておくと、自己資本比率の平均値は、ベースライン:9.8%、ダウンサイド:8.9%、厳しい市場ダウンサイド:8.3%、厳しい実体経済ダウンサイド:7.1%となります。ただ、自己資本比率の幅も示されていて、厳しい実体経済ダウンサイドになると最低基準の4%に接近する先が出てくることが示されます。
上記の分析手法は海外中銀と比べても高度で、日銀スタッフの能力の高さが示されています。他方、
・上記と重なりますが、支援策の効果がやや過大に見積もられていないか。また、コロナ禍の影響が予想より長引くが、支援策は打ち切らざるを得ないケースをどのように考えるか。
・低金利環境悪化に伴う金融機関収益への影響は、試算対象期間の2022年度までの先を考えると、よりきつくなるのではないか。
などが疑問として残ります。次回のレポートに期待します。
さて、先週のJDさんのメルマガで、認識論に関する重厚な記事が配信されました。とても興味深く読みました。Twitterでも少し書きましたが、私が大学生だった40年ほど前(私の勘違いでなければ、JDさんは私の14歳年下と思います)、廣松渉さんの著書が全く理解できなかったことを思い出します。
当時、シュレディンガーの猫、ハイゼンベルクの不確定性原理などの言葉をとても新鮮に感じたことを覚えています。深く立ち入りませんが、高校生の頃は、社会科学や人文科学はさて置くにしても、自然科学は真実に辿り着くことが出来ると普通に思っていました。猫や原理では、量子力学の領域に入ると事実を特定すること自体容易でないことが示されます。社会・人文科学は猶更となります。
やや別の角度ですが、最近AIや機械学習のバイアス・倫理問題が取り沙汰されます。「ビッグデータを用いた分析が正しいのか」という論点です。「正しさ」にも2面あります。
・ビッグデータと言っても、サンプルの偏りを完全に排除することはできない。また、質問の仕方により回答が左右される可能性もある。正しいデータ解析は可能なのか。
・米国や南アのように長く人種差別が行われた国では、データにそもそもバイアスがある。例えば黒人の方が所得が低い、貸倒率が高いなど。そのデータを用いた分析結果を活用することは、データ自体の解析上は正しいとしても、倫理的に問題ではないか。
誰も出口を見出していません。ただ、多くの人が「透明性」「説明可能性」の重要さを指摘します。どのようなデータを集めているのか、モデルにどのような特性があるのか(インプットを変えるとアウトプットがどう変わるかなど)、透明に説明し議論し納得を得ていくことの重要性の指摘です。
私がTwitterで「議論・対話重視派」と書いたのはこの意味合いです。やや古臭いですが、ヘーゲルの弁証法もこうした点の指摘ではないかと思っています。議論を確り出来る前提は、お互いの主張の根拠、エビデンス、ロジックが明示されること、主張が「意見」か「ファクトに関する表明」か峻別されること、などと思います。JDさんと遠くない立場と思います。
今回はこの辺で。
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