2020/07/27 06:30 | by Konan | コメント(2)
Vol.65: 月例経済報告7月+α
4連休も終わりました。本来オリンピックが始まり日本中が沸き返っていただろうことを考えると、隔世の感があります。今回は恒例の内閣府月例経済報告(7月22日公表)の紹介です。その後、新型コロナウイルス感染症に関し少し書き足します。
さて月例経済報告、6月分の紹介を失念していました(恥)。以下6月分、7月分を並べます。
(現状)
・全体:「景気は、新型コロナウイルス感染症の影響により、極めて厳しい状況にあるが、下げ止まりつつある」(6月)「景気は、新型コロナウイルス感染症の影響により、依然として厳しい状況にあるが、このところ持ち直しの動きがみられる」(7月)
・個人消費:「緊急事態宣言の解除に伴い、このところ持ち直しの動きがみられる」(6月)「このところ持ち直している」(7月)
・設備投資:「このところ弱含んでいる」(6月)「不変」(7月)
・住宅建設(投資):「弱含んでいる」(6月)「不変」(7月)
・公共投資:「底堅く推移している」(6月)「堅調に推移している」(7月)
・輸出:「急速に減少している」(6月)「下げ止まりつつある」(7月)
・輸入:「このところ下げ止まりつつある」(6月)「このところ下げ止まっている」(7月)
(先行き)
・全体:「感染拡大の防止策を講じつつ、社会経済活動のレベルを段階的に引き上げていくなかで、各種政策の効果もあって、極めて厳しい状況から持ち直しに向かうことが期待される。ただし、国内外の感染症の動向や金融資本市場の変動等の影響を注視する必要がある」(6月)「感染拡大の防止策を講じつつ、社会経済活動のレベルを段階的に引き上げていくなかで、各種政策の効果もあって、持ち直しの動きが続くことが期待されるが、感染症が内外経済に与える影響に十分注意する必要がある。また、令和2年7月豪雨等の経済に与える影響や金融資本市場の変動に十分留意する必要がある」(7月)
・個人消費:「持ち直していくことが期待される」(6月)「持ち直しが続くことが期待される」(7月)
・設備投資:「当面、慎重な動きが続くと見込まれる」(6月)「不変」(7月)
・住宅建設(投資):「弱含みで推移していくと見込まれる」(6月)「不変」(7月)
・公共投資:「底堅く推移していくことが見込まれる」(6月)「堅調に推移していくことが見込まれる」(7月)
・輸出:「海外経済が持ち直しに向かうなかで下げ止まることが期待される。ただし、海外経済の更なる下振れリスクに十分注意する必要がある」(6月)「不変」(7月)
・輸入:「当面は感染症による供給制約の影響が残ることが見込まれる」(6月)「社会経済活動の再開が進められるなか、持ち直しに向かうことが期待される」(7月)
ということで、書き忘れた6月分でかなりのトーン変化があり、7月分でさらに前向き感が強まりました。根拠は、個人消費が緊急事態宣言解除後持ち直しつつあること、輸出も下げ止まりの兆候がみられることです。表現の仕方は別にして、緊急事態宣言解除により個人消費が5月に比べ持ち直していることは間違いありません。海外経済も、南北米州大陸で感染症拡大の勢いは止まりませんが、とくに中国は1~3月期が、欧州は4~6月期がボトムだった可能性が強まっています。日本の個人消費について言えば、銀座は再び閑散としてきた印象を受けますが、新橋はすごい人出で、場所によりかなり復活したようにみえます。ある横浜の方は「10から2に落ち込んだが、6に戻った」としていました。
Saltさんも触れているように、前月(期)比でみてプラスになる指標は増えると思います。そのうえでの留意点は、水準の高さ(低さ)と今後の感染症の影響です。以前「5割減後の5割増では元に戻らない」と書きました。100、50、75と変化するので、水準的には25%減に止まります。リーマン危機後の日本経済はこの「水準が元に戻らない」状況が長引きました。感染症の影響は言わずもがなと思います。
さて感染症。ぐっちーや私の高校同級生の政策研究大学院大学・土谷隆教授が最近続けて地上波TVに出演し、同級生一同ハラハラしてみていました。彼はお世辞にも口が上手いとは言えず、嘘も真にしてしまうぐっちーと正反対なので(笑)。土谷君は統計数理学の専門家で、感染症や経済学は専門外です。純粋に東京都や神奈川県の新規感染者数を統計数理的に追い、今後何も対策が取られなければ、新規感染者数が大幅に増加すると警鐘を鳴らします。6月半ばに作られた彼のモデルは、今日までの数字をほぼ完璧に捕捉していますが、緊急事態宣言解除後も人々の自制で以前に比べ行動が0.7に低下したことが前提となっています。別の言い方をすれば、これが0.8か0.6かなど数字を動かすことで無限に予測ができますが、現状は0.7程度であり、これをかなり下げないと感染が拡大してしまうとの主張です。また、ワクチン等が開発され定着するまで波(彼はオン、オフとの言葉を使っていました)が繰り返すことは避けられず、そのことを前提に経済活動を計画的に進めていくしかないとも主張しています。意訳すれば、例えば2か月の活動期と1か月の巣ごもり期を今後何度か繰り返すことを前提に行動を計画する感じでしょうか。
テレビではカンニング竹山に詰め寄られ言葉に詰まっていました。カンニング竹山の発言は「感染者が増えていると言っても軽症者が多いので、数の多さの割に大したことがないと言えないか」との趣旨と受け止めました。恐らく「それはそうだが、全体の数が急増すると重症者の数の増加も不可避で、医療崩壊を招く可能性が高まりまずい」との答えが反論になると思いますが、カンニング竹山の発言は今の世論のある部分を率直に反映したものと思います。
事前に土谷君に送ったメールで以下のように書きました。
・最後は、医療崩壊と経済崩壊の選択を迫られる。言い換えると、病死者と自殺者の選択を迫られる。この選択はとても難しい。
・ひとつの答えは「バランス」を探ること。(以前このコーナーでも書いたように)例えばドイツのある研究では、徹底したロックダウンと自由放任の間で最適値を探り、「実効再生産数0.75程度」がoptimalとの説を出した。こうした方向での検討が出来ないか。因みに私が土谷君の説を正しく理解しているとすれば、ドイツの言う0.75の実現には今の0.7を半減させる必要があるように思います。
・もうひとつの答えは、経済崩壊は適切な財政政策(予算措置に止まらず実際に円滑に支出されること)により防ぐことが出来るが、病院建設や医師育成は短期には不可能なので、医療崩壊防止を経済崩壊防止に優先する考え方。
新型コロナウイルス感染症について何度も書いたので、これ以上繰り返しません。ただ、今の政権の考え方が余りに見えにくく、説得性にも乏しく、迷走を続けている印象を与えることは否めません。あえて政権を庇うとすれば、例えば「安全性に気を付けた旅行」のイメージが湧きにくい点にあるかもしれません。マスクを常に着用し、アルコール消毒をこまめに行い、熱を計り、大人数や密閉空間(列車がこれに当たるか否か問題ですが)を避ければ大丈夫かどうか。「大人なら自分で判断せよ」と本来言いたいところですが、その私ですらもう少し明確なスタンダードを求めたい気分です。
もうひとつは、このコーナーでも過去何度か取り上げた財政問題。「経済崩壊は財政政策で防ぐことが出来る」前提は財政崩壊が避けられることです。ぐっちーは典型的な楽観論者でした。私は英語でよく言う慎重な楽観派(cautiously optimistic)。この点は今後再び取り上げたいと思います。
今回はこの辺で。8月は夏休み期なので、毎週執筆に拘らず元々の週2回ペースに戻り充電しようと思います。8月7日にJDさん、Saltさん、編集部さんとの集まりがあるので、その際にアイディアも得ようと思います。8月最初は、積み残しの気候変動問題最終回を掲載します。今週は漸く梅雨明けでしょうか。
当社に無断で複製または転送することは、著作権の侵害にあたります。民法の損害賠償責任に問われ、著作権法第119条により罰せられますのでご注意ください。
2 comments on “Vol.65: 月例経済報告7月+α”
コメントを書く
いただいたコメントは、チェックしたのち公開されますので、すぐには表示されません。
ご了承のうえ、ご利用ください。
正に経済と感染のバランスを取る事が重要です。しかしそのためのKPIは実行再生産数ではなく、医療のキャパシティであるべきです。医療のキャパシティを超えないようピークカットすると言うのが、唯一実行可能性のある戦略です。ドイツは既に長期的な医療キャパシティをオーバーしているので、とにかく患者を減らす事が目標になるのは止むをえませんが。
長期と短期の医療のキャパシティはどの程度か?現状の感染者数から見た余力はどの程度か?タイムラグと現状の拡大速度から、どの時点でストップをかければ間に合うのか?を具体的な数値を使って論じる事が大事であり、具体的数値の無い議論、上記3つの観点の一つでも欠けた議論は無意味です。
医療のキャパシティを論じるには、当然どの程度の重傷者まで入院させ、どの程度の人を借り上げホテル等の隔離施設に隔離し、どの程度の人を自宅待機にするのか?や、重傷者に平均どの程度の医療者が必要になり、どの程度特定施設に集約できるのか?などの多くの仮定が必要になります。
しかし経済政策ならば70年代から、コンピュータ無しでは計算不可能な多くの変数と方程式、政策手段の割当を使ってシミュレーションして来たのですから、コロナ対策も最低限そのレベルに達するべきです。感染者数の予測と許容可能な超過死亡者数を制約条件とし、経済的被害の最小化を目標とした医療資源の最適配分計画問題として解かれるべき問題なのですが、現状は線形計画法が編み出された第二次世界大戦以前の原始的段階に留まっており、非常に残念です。
それができれば、医療のキャパシティを前提としたKPIが示されて、意味のある議論ができます。後はトライアンドエラーを繰り返して修正しながら、対策を実施する事ができるので、自粛弊害は大分軽減されるでしょう。
ウイルスと人との関係は、かかる人とかからない人、かかって発病する人と、しない人、発病した人で直る人と治らない人が生じて、そのウイルスと共存できた人のみが生き残て来た。これがウイルスと人との関係だとあった。
そこへ医療がどのように介入できるか?
非常に不思議に思うが医療は発病者のみに対応するものだから、感染者が問題になるかどうかは別問題で、感染者が問題になるのは、その人がほかに移す可能性があるときだけで、例えば結核がそれです。
結核は隔離されるから、同じように隔離することが必要となるが、このウイルスは隔離する必要があるウイルスだろうか?
ここがわからない。はしかは隔離しない。はしかと同じ程度の物なら、みな無駄騒ぎをしたことになる。
なぜこれまで、伝染病に対応してきた、その方式をとらないのか不思議だ。
どこかにおいて、間違えたと思う。