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The Gucci Post [世界情勢・政治・経済金融 × プロフェッショナル]

2019/06/17 06:30  | by Konan |  コメント(3)

Vol.23: 2000万円問題


先月3回執筆したので、今月は1回にとどめようと思っていました。ただ、私の知人も巻き込む形で金融庁2000万円問題が世間を騒がせました。本件消費税との関連もあるので、時差ボケで頭が働きませんが取り上げることとしました。

事の発端は、金融庁が設置する金融審議会の下部組織に当たる市場ワーキング・グループが「高齢社会における資産形成・管理」という報告書を6月3日に公表したことです。高齢化は日本が抱える最大の問題のひとつであるだけでなく、欧州諸国や中国等アジア諸国においても深刻な問題となり始めています。このため、日本が議長国を務めるG20(まもなく大阪サミットが開催され、トランプ-習会談が実現するか否か注目されています)でも、高齢化問題が議題のひとつに掲げられているほどです。こうした点からみると、市場ワーキング・グループがこの問題を取り上げたこと自体、とても時宜を得たものです。

また、目次だけ紹介すると(報告書のURLは下に掲げます)、下記の通り大事な問題を一通り網羅した形となっています。

1.現状整理(高齢化社会を取り巻く環境変化)
(詳細略)
2.基本的な視点及び考え方
(1)長寿化に伴い、資産寿命を延ばすことが必要
(2)ライフスタイル等の多様化により個々人のニーズは様々
(3)公的年金の受給に加えた生活水準を上げるための行動
(4)認知・判断能力の低下は誰にでも起こりうる
3.考えられる対応
(1)個々人にとっての資産の形成・管理での心構え
(2)金融サービスのあり方
(3)環境整備
ア.資産形成・資産承継制度の充実 イ.金融リテラシーの向上 ウ.アドバイザーの充実 エ.高齢顧客保護のあり方

さて、各種報道でご存知の方も多いと思いますが、問題の記述は、1.現状整理(2)収入・支出の状況 ア.平均的収入・支出の部分にあります。市場ワーキング・グループの議論の過程で「厚生労働省が総務省家計調査に基づき提出した資料」を再掲したもので、高齢夫婦無職世帯(夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯)の平均的な実収入が月209,198円(うち年金等社会保障給付が191,880円)、実支出が263,718円とされています。要は支出が収入を54,520円上回っているのが「現状」です。この差額を貯蓄の取崩し等で対応しており、高齢夫婦無職世帯の平均純貯蓄額が2,484万円とされています。この資料の説明文が下記で、この「赤字」という表現が誤解や不安を招いたと、麻生大臣が批判した訳です。

「高齢夫婦無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円となっている。この毎月の赤字額は自身が保有する金融資産より補填することとなる。」

また、この約5万円を発射台として、「2.基本的な視点及び考え方(1)長寿化に伴い、資産寿命を延ばすことが必要」の冒頭、下記の記述がなされています。

「毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ20~30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純平均で1,300万円~2,000万円になる。(中略)これまでより長く生きる以上、いずれにせよ今までより多くのお金が必要となり、長く生きることに応じて資産寿命を延ばすことが必要になってくるものと考えられる。」

ここに2000万円との記述がなされており、2000万円問題と呼ばれることになった訳です。

さて、野党は「年金は大丈夫との従来の政府説明と異なる」と批判し、与党も「選挙前の大事な時期にこのような不適切な報告を出したことは怪しからん」と怒っています。しかし上記の通り、現時点でも実支出が年金等の実収入で全て賄われている訳ではなく、退職金の積み立て等による貯蓄を徐々に取り崩すことで、不足分が補われているのが「平均的」な姿です。またこの実支出の中には教養娯楽費25,077円なども含まれており、支出を節約する余地が無い訳でもありません。さらにこの報告書では年金について、

「公的年金制度が多くの人にとって老後の収入の柱であり続けることは間違いないが、少子高齢化により働く世代が中長期的に縮小していくことを踏まえて、年金制度の持続可能性を担保するためにマクロ経済スライドによる給付水準の調整が進められることとなっている。」

と政府の公式見解がそのまま記載されています。

この報告書が抱える最大の難しさは、「平均値」を使用した立論になっていることと思います。平均値を用いる以外手が無いことは否定できませんが、もっと不足額が大きな人も、ぐっちーの指導に従い悠々自適の人もおられるのが現実です。高齢夫婦無職世帯の平均貯蓄額が2,484万円とされていますが、これを上回る人も、はるかに届かない人もおられると思います。あるいは現役世代の中で「退職時にここまで貯蓄できているか」不安に感じられた方もおられると思います。また、国民の真の不安は「年金の持続可能性」にあると思います。しかし政府の一部である金融庁がこの点に踏み込むことはあり得ません。

しかし個人的には、今後の人生を考える上で良い情報を提供してくれた報告書と感じています。また麻生大臣が受け取らないと本報告書は政策立案に活用できません。しかし認知症対策を始め高齢化対策は喫緊の課題です。今回の事件にかかわらず、こうした必要な政策立案が進んでいくことを祈ります。更に言えば「2000万円の貯蓄無しでも大丈夫なように年金支給額を引き上げよう」など、実現不可能な方向に議論が迷走していかないことを願っています。

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3 comments on “Vol.23: 2000万円問題
  1. 健太 より
    変わらない

     貧乏人がお金を得ても金持ち(?)になることは基本的にはない。それが当たりまえで、明治以降それができるようになったと思われているが、内実は大きく違う。社会自体は変わらない。ごく普通の人はわが国においては、できるような錯覚を持っている。
     確か堺屋太一が人生において<子供に教育をつけること><老後を安泰にすること><家を建てること>この三つのうち普通の人にできることは一つだけであると書いていた。しかし例外の時期があった、高度経済成長時代で、1968年後ごろから1988年ごろまでだろうか?たったの20年くらいだった。

     ごく普通のことといっても両親から教えられたことに過ぎないが<お金は蓋を閉めないとわからない。お金があるかは外からはわからない。借金は10年で返せる計画を立てて、5年で返せないのは無理が来る。また借金する金額の半分は用意せよ。給料の7割で生活せよ。>などだったが、難しかったのは7割で生活することでした。経済が成長している時代を生きたからそれができた時代とできなくなった時代が生じた。

     ただ株はするなと言われた。しかし親はやっていた。ある時それを知り、咎めると笑って<捨ててもいい金ができたらそれでやれ>だった。今つくずくおもうのは我々が生きている世界は資本主義の世界でこの仕組みに沿って生きないと、生きずらい。では資本主義とは何か?マルクスであるとはまあ仕方がないとして、そんなことはどうでもいいことに過ぎない。

     会社を閉めた知人は<資産運用をするというがその前の運用する資産の作り方を教えよ>と笑って言う。その知人はよその知り合いから<あれは金を持っているのか、これから困るのではないか>と聞かれるのでそれを彼に言うと<俺が老後に困ったら金がないことになるがそれは事実で示す。金に困ったらなかったことがわかるさ>

     儲かった時も在庫の山が崩れてくる夢を見た時も同じ服装をしていた。やり方がそのようだったので他の人は判断ができないようで、別の知人はあれは一万円もないから、宴会に来れないということがあった。

     そこでなけなしの頭でかんがえ。資本主義とは、はたらかないで、お金が入るものを持っている人が楽に生きていく世界だとようやく認識した。一流大学を出ても金は得られない。確かに日本国憲法に<国民は勤労の義務がある>とうたっているが、それは正しい。
     考えるに、仮に一年働いて500万得たとする。では仮に1億持つ人が年5パーセントの利子を受け取るとしたらその人は500万得る。この落差は埋まらない。

     この事実にきずいたのは50をとっくに過ぎていた。<俺ってなんてバカなんだろう>と思った。それを両親に言うと<そんなことは考えない、健康で働ければそれでいい>だった。戦前戦中戦後を生きた両親は何となく金を信頼していないようだった。本家に蔵があり、両親はまだ農業を少し持っていたが、私は文字通りお金がないと生きられない。

     2000萬円貯めるにはどのような方法があるか?仮に年収300萬として65歳まで同じとして、仮に30歳から始めるとして35年で2000萬,一年60万月5万です。これが可能か?

     町内会長をしたがそれから見ると、どうもねえ。空想に付き合わずに、手にした金を慎重に使うことだが、ことは働かないで、お金が得られるものを持つことで、現代社会では私が知る範囲では株しかなく、しかもだれでも自由に参加できる。この事実はおもい。平等といえばこれほど平等な世界はない。学校教育で教えることの一つではないか? あきらめず、見栄を張らずに、することでしょう。

     しかし資本主義の世界に生きていることの意味は経済学など知らなくても<働かなくてもお金が得られるものを持つ人が生きる世界だ>とあっさり認識して、できる行動をすることしか道はないと思う。

     >しかし個人的には、今後の人生を考える上で良い情報を提供してくれた報告書と感じています。
     >
     更に言えば「2000万円の貯蓄無しでも大丈夫なように年金支給額を引き上げよう」など、実現不可能な方向に議論が迷走していかないことを願っています。

     同意します。われわれ日本人はいろいろな領域で何かしら大きな間違いをしていると思う。妙な教育が進んで、それが頭の中まで入って、気が狂ったような状態でいろいろなことをしている。そのため有効な手立てを考えることができない。そのため明快にしくじっているにもかかわらず、それをやめることができない。
     小学校にまで英語教育をするというのはその一つではないか。

  2. 健太 より
    誤解の落差

     年金については大きな誤解があると思う、普通の人は年金を積み立てたから、その積み立てたものから払ってもらうという理解で、賦課方式だろうが積み立て方式だろうが、それは間違いだと思う。

     多くの人は支払った年金の行く先を次のように考えている。積み立てた年金は例えばリスが冬に備えてドングリをためるように、お金(ドングリ)がどこかにあり、それをちびちびと年金(ドングリ)をもらっている。

     大体上記のような理解だと思う。

     それは現象面は正しいが内実は違う。貸借対照表で考えればわかると思う。
    健太は貸借対照表を理解しているとは思っていないが、上記のような理解は間違いで,自身の年金を貸借対照表で、表記すれば見えると思う。

     公的年金受給資格を借り方におき、貸方に年金保険料積み立てを置く。そのほかに公的な年金ではない例えば企業年金を借り方におき、貸方に積み立てを置く。
     政府など信用してはいけないのではなく信用していいところとないところがあるからそれを考えて、生きよで生きると 老年の資金については別の行動が必要となる。
     知人の一人は国民年金は一度も払ったことはなく、催促が来ると<お前たちなど信用していない。乞食なってもお前たちに頼らないから、支払う気はない>と叫んで、生きてきた。彼は年金問題などばかばかしいと言っている。

     <俺は健太のようにおかみには頼らない>というので<いや違うぞ、お前が信用して、積み立てた相手は、俺のように政府ではないにすぎず、俺はお上に頼っていない。以前計算したら、確か80歳でトントンだったから、80歳までは俺の金だ>といっても理解しない。
     その計算も間違いで単純に金の動きだけを追えば80歳までとなるが、近代経済においてはそれは間違い

     ではどのようなものが年金の経済か?
    これを社会的に考えるのはやはり政府の役人で、我々はいかに老後のお金を得るかに過ぎない。

     事は政府がすることと同じことを各個人が効率よくするに過ぎない。保険ということです。
     近代経済のいろいろな知識が必要でしょう。普通の人には無理です。それが現実でしょう。この無理をしていることを認識して、その後を考えることでしょう。

     大仕掛けで、確かなことは子供を多く持つことで、さらにその子供に教育をして、老人を養うのは子の役目、つまり親孝行をせよということが東アジアでは確かなことです。なぜなら欧米のように社会がないからです。個人がないからです。

     若いころといっても20歳になったころ偶然福田恒存の全集を本屋でみて、即座に買い、読んだ。なぜ買ったかわからないが其れも縁でしょう。

     多くの示唆を得た。例えば日本人が本気になって大東亜戦争をしはじめたのは昭和20年の三月十日の東京大空襲以降であると書いてあった。

     それから見ると日本社会はまだ年金問題を本気で考えていない。いつ頃それが起きるだろうか?

  3. 健太 より
    さらに、おせっかいとうぬぼれ。

     ふいに午前三時に目がさめて、寝られないから、起きてパソコンを見ている。ネットの記事はやはり、今起きていることに対して、その背景を考えることだと思う。
     我が国は国内事情より、外国の事情の影響を大きく受けるから、やはり外国の事情を知ることだ。そしてそれに対して、国内で対策が立てられるかを考えることだといつも思うが、実際の話、グッチー氏のように外国に基盤がないとできないがせいぜい外国株を買うことくらいでしょう。

     日常生活を夜間一人で考えると、浅い生活だなあと思う。事情を知れば知るほど、それを実感として思う人が大半ではないか。昼間の喧騒を排して、考えることだとは思うが、身過ぎ,世過ぎでそれにひきずられる。

     今問題は
    1)日韓関係、広くは朝鮮問題で、日清戦争前に戻ったとみている。
     先は戦争でその用意がわが国だけでしなければならないが、国内状況を見ると、まったく、その目を考えていない。その戦争は武器によるものではなく別なものだがそれを我が国の朝野は自覚していない。やがて武力衝突となるが、平安時代だったと思うが,対馬が占領されている。今形を変えて、対馬に韓国人が跋扈している。

    2)大東亜戦争の記録を読むと、前線での行動と上層部の指示の大きな落差がある。前線で戦っている部隊への補給ができないか、しないか不明だが、退却していくときあちこちにあった、軍事物資を破棄している。結局は無駄になったから、初めから前線に送ればいいものを、妙な考えでそこに保管していた。
     いまそれと似た状況ではないか。今使わないと、無駄になるのにというものが多いと思う。日本人の妙な金の使い方だが。資産保持においても今のままでは先にあることが起きれば無駄になるにもかかわらず、それを思わず、保持しているようなものでしょう。そして結局は無駄となる。
    一例をあげれば原子力発電所を作動させずに、太陽光をして、電力を保管(?)していることでしょう

    3)今の支那の行動は支那事変が起きる前、また満州事変が起きる前と似ている。尖閣に対する支那の行動はまったく同じで、彼らは日本との戦争を考えているとしか思えない。当時と大きく違うのは軍事力の違いで、具体的には核兵器による恫喝があることでしょう。それと国内にいる支那人の行動でしょう。
     通州事件に匹敵する事案が支那国内で起きている。

    4)中東における軍事衝突による石油危機でしょう、今回の事件で船舶保険の上昇が多分あると思うがこの上昇率を見れば、戦争の可能性はある程度わかるのではと思うが我が国は実質何もできない。軍事力がぜい弱で、軍隊として国内的にも海外的にも担保されていない、あるのはアメリカ軍の一部としての部隊に過ぎない。これを屈辱とは国民はさらさら考えていない。屈辱ないし、国防を考えている人々は、江戸時代と同じで現代の武士階級のある種の人々とと農工商(国民)の一部の人々で、それはまるで幕末のようです。

    5)トランプ大統領(アメリカ)が何をしようとしているかを考えていない、主に経済的な側面だけしか見ていないのが国内でしょう。ネットにトランプ大統領が<9.11におけるビル崩落は飛行機の衝突だけではありえない>と述べたそうです。それなら誰がとなるが、トランプ大統領の暗殺の目が出てきた。
     貿易交渉の背後に不法移民の問題があり、これがメインで貿易交渉などアメリカは問題ではないと思っている。強制送還をするといっている。それなら我が国もとなると、果たしていかが展開が可能か?メインは決まっているがはたしてできるか?

    6)為替でしょう、国内が不景気になり、資金不足が起きると、それを補うために貸借対照表にある海外資産、ドル資産の還流が起きる。それは円高で、これがひょっとしたら、黒田氏がのぞむ、2パーセントのインフレではなく、ある程度のインフレとなり、年金の具体的な崩壊の糸口になるのでは?、
     この恐ろしさには身が震える。

    7)自然災害で具体的には大地震の洗礼を受けることですが、日本人の条件において、大地震に合うこととその後の行動がものをいう。外国人にはそれがないから外国人だという認識がない。国内にこれだけ外国人を入れて、彼らが大地震にあっても、日本人としての行動などできるわけがない。外国人との共生は胡散霧消する。確か山形県において、韓国人の嫁さんが多くいる村ないし町があったはずだがそれはどのような展開をしたか?
     もともと外国人との共生はだれが言い出したか知らないが、海外へ行けばそんなことはできるものではないことがわかる、一種の侵略の手立てに過ぎないがそれをしているのは表面的には朝鮮人だとしか思えないが」内実はもっと別な要素があるとみている。
     西洋が中世から近代へと移るとき大きな混乱を経て、政教分離、思想信条の自由、表現の自由を得て、ようやく国内安定へと進んだ歴史を持たないわが国はまた別でしょう。しかもそれは簡単に壊れてなくなりやすいという認識が背後にある。妙なものがあり、それが似た状況を起こしているがそれでは今後対応できないと思う。戦艦大和が沈んだことと同じになるのではと予測している。既にマスコミはその状態で、ネットがあるからかろうじて違うに過ぎない。

     いずれにしても先は大戦争に過ぎず、開始も終わりも明快でない戦争で、兵士だけではなくすべての人々、赤ん坊も参加せざるを得ない戦争だとみている。
     つまり日常の行動が戦時行動と同値の戦争で、戦争概念が全く異なり、既存の戦争概念ではとらえられないものだとみている。

     それにしても我々の生活の基盤は脆弱だが、まあ考えても仕方がないから、酒でも飲んで、騒ぎ後は起きたら起きただけでいこうぜが国民全体の合意事項ではないかとおもう。
     それはたぶん江戸時代の人々の考えで、鎖国あればこそできた生き方でしょう。今は違う。

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