2021/05/14 07:00 | 選挙 | コメント(2)
自民党の候補者調整 〜 派閥の代理戦争 〜 (8)志帥会 vs. 宏池会 その2(山口3区)中編
■ 菅内閣 「支持する」9ポイント減の35% 内閣発足以降最低に(5/10付NHK)
NHKが5/7から実施した最新の世論調査で、菅義偉内閣の支持率が前回より9ポイント下がって35%となりました。これは、昨年9月の政権発足以来最も低い数字です。
発足以来、菅内閣の支持率はコロナ対策への評価によって上下しています。今回の下落は、年初から続いていた2回目の緊急事態宣言が解除されてわずか1ヶ月余りで3回目の宣言が発出される事態に至ったことが影響したように思います。加えて、ゴールデンウィークに特化した「短期集中」として宣言発出期間が短く設定されたにもかかわらず、開始早々に再延長の可能性が高いと言われ出し、実際に月末まで再延長が決まったこともマイナス要因だったのではないでしょうか。
また、他の主要国に比べてワクチン接種の進みが遅いととらえられていることも大きいと思います。さらに、全国的にコロナ感染者が増加傾向にあり、大阪などでは変異株の流行によって医療の逼迫が伝えられている中にあって、東京オリンピックの実施を最優先しているように見えることも反感を買ったのだろうと思います。
■ 感染拡大中でも五輪開催? 菅首相「国民の命と健康守り・・・」(5/10付TBS News)
野党は、衆参の予算委員会で、そうした声を代弁するかのような質疑をしました。「感染爆発のステージ4、感染急増のステージ3でオリンピックは開催しますか」(立憲民主党・山井和則氏)、「指定病院にオリパラ大会のオリンピックの選手と、この日本人の搬送困難事由の人が来られた場合、どちらが優先されるんですか」(立憲民主党・蓮舫氏)と、かなり厳しい口調で詰め寄っています。
しかし、菅総理は「開催にあたっては選手や大会関係者の感染対策をしっかり講じ、安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていく」などかみ合わない答弁に終始しました。
菅総理は、「それは当然日本人の命が優先です。感染が爆発した場合にはオリンピックは当然できません」と言えばよかっただろうにと思います。至極当たり前のことですし、そう発言することで、東京オリンピックの中止や延期の言質を取られるわけではありません。また、そもそも「感染爆発した場合」の定義が決まっているわけではありません。そうであれば、政治家のロジックにおいては、いかようにも言い逃れできたはずなのです。
このやり取りを見ていてふと思い出したのは、2004年7月の小泉純一郎総理の発言です。当時は、イラク復興支援特別措置法案の審議において、自衛隊の派遣地域の見極めが困難なのではとの懸念があがっていました。小泉氏は、党首討論で民主党の菅直人代表から非戦闘地域の定義を問われ、「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域かなんて、そんなことは私にはわかりませんよ!」とあっけらかんと言ってのけたのです。総理の発言としては大変無責任ではありましたが、小泉氏は、このように「外す」「かわす」物言いで野党を拍子抜けさせ、難局を切り抜けることがよくありました。
菅総理は、このような「言葉の力」が非常に弱いと感じます。コロナ対策、ワクチン、オリンピック、すべてにおいて結局何を言いたいのか、何をしたいのかよくわからない。そう感じている国民は多いのではないでしょうか。
今のように支持率が低迷している状態では、7月に予定されている東京都議選に不安を抱かせます。というのも、以下の記事で述べたように、先月行われた菅内閣発足後初の国政選挙である衆参の補選と参議院の再選挙では、不戦敗を含めて3戦全敗に終わっているからです。
・「参院広島再選挙」(4/27)
この結果からは、自民党に対する嫌悪感がどのくらい強いのか、見極めが難しいところです。都議選については、また改めて取り上げます。
今回も冒頭のおしゃべりが過ぎました(苦笑)。さて、いよいよ本題である自民党の候補者調整の話です。前回の山口3区前編からの続きです。
・「自民党の候補者調整 〜 派閥の代理戦争 〜 (7) 志帥会 vs. 清和会 その2 (山口3区) 前編」(5/7)
●華麗なる一族
前回は、現職の河村建夫氏について解説しました。中選挙区時代から現在の山口3区を地盤として当選を10回重ね、78歳になった河村氏は、既に引退が視野に入っています。長男を後継指名する道筋がつけられれば、勇退することに異論はないででしょう。しかし、上記の記事(5/7)で述べたように、現職議員が娘や息子にその議席を世襲させることは、段々簡単ではなくなってきています。
河村氏の場合は、それに加えて、何よりも手ごわい強敵がいます。参議院議員の林芳正氏です。林氏については、既に以下の記事などで取り上げています。
・「武田大臣が辞任したら?:後任の総務大臣を大胆予想」(3/19)
林氏は、34歳で参議院山口選挙区から初当選。現在5期目で、入閣も5回を数えます。東大、三井物産、ハーバード・ケネディスクール、実父である林義郎衆議院議員が大蔵大臣在職時の大臣秘書官、さらにアメリカ上下院議員スタッフという非の打ちどころのない経歴を誇ります。
また、地元の優良企業であるサンデン交通や山口合同ガスの創業家一族で、宇部興産の創業家や、明治維新三傑の一人である木戸孝允にもつながるという、まさに山口のブルーブラッドです。しかも、ピアノやギター、歌唱力も玄人はだしで、「Gi!nz(ギインズ)」という自民党所属国会議員が結成した音楽ユニットのメンバーでもあります。チャリティーコンサートを行ったり、同僚議員の政治資金パーティーで演奏したり、アルバムを発売したりもしています。
経歴、頭脳、才能、実績、血筋・・・と何でも持っているだけではなく、選挙も非常に強いです。野党候補の3~4倍近く得票することもあるくらいです。
こうしたことから、周囲は当然林氏に総理大臣になって欲しいと期待をかけ、林氏自身も強い意欲を持っています。2012年の総裁選に立候補し、安倍晋三氏、石破茂氏、石原伸晃氏、町村信孝氏らと戦ったこともあります。参議院議員の立候補は、1972年に推薦人制度が導入されて以来、初めてのことでした。
そんな林氏にとって最大にして唯一(?)の悩みは、この「参議院議員であること」です。憲法上、参議院議員が総理大臣になることには何の問題もありません。しかし、永田町には「衆議院の解散権を持つ総理大臣が解散のない参議院の所属でよいのか」という認識が根強くあるのです。
それがわかっていながら、なぜ林氏は参議院議員を続けることになってしまったのか。その理由は、父義郎氏の時代にまでさかのぼります。
●小選挙区比例代表並立制導入が生んだ悲劇
林氏の父義郎氏は、東大、通産省を経て、1969年に旧山口1区から衆議院に初挑戦し、初当選しました。当選同期には、小沢一郎、羽田孜、梶山静六、渡部恒三、綿貫民輔、塩崎潤、森喜朗、江藤隆美、中山正暉、浜田幸一など昭和から平成の政治を彩った政治家の名がずらりと並びます。
11回連続当選する間、佐藤(栄作)派、田中(角栄)派、経世会から分裂した二階堂(進)グループ、宮沢(喜一)派に所属し、第一次中曽根康弘内閣で厚生大臣、宮澤喜一改造内閣で大蔵大臣として入閣しました。国際金融を中心に幅広く政策に通じ、自民党税制調査会の幹部として影響力を持っていた大物です。息子の芳正氏に負けず劣らずの華麗な活躍ぶりでした。
1996年の衆院選は、小選挙区比例代表並立制度が導入された初めての選挙でした。このとき、義郎氏は比例中国ブロックに回り、林家がホームとしている下関を含む山口4区を安倍晋三氏に譲りました。義郎氏は69歳、安倍氏は42歳でした。地盤が重なる候補者同士を調整する際、高齢で引退が近いと思われる方の議員を比例区で遇することは、これ以降よく見られるようになります。
義郎氏は、比例区に回らず自分が引退して息子を後継指名し、選挙区を死守するという選択肢もあったはずだと思います。しかし、税調の重鎮として大きな影響力を持っていたこともあり、まだ現役の議員でいたいと思ったのではないでしょうか。しかも息子の芳正氏は、その前年の1995年に参議院議員として初当選を果たしたばかりでした。さすがに、当選1年で衆議院転出に手を挙げることはできなかったのだろうと思います。
結局、義郎氏は、比例区選出の議員を2期務めた後、2003年の衆院選には立候補せず、政界を引退しました。しかし、比例単独の議員だったため、息子の芳正氏に継承させる衆議院の小選挙区はありませんでした。このため、芳正氏は参議院議員として当選を重ねていきます。
●国が違う?「長門と周防」
「いずれ総理大臣に」と言われ続けてきた芳正氏の「いずれ」の時期が、周囲にも本人にも具体的に意識されるようになってきたのは、2008年に福田康夫改造内閣で防衛大臣として初入閣したあたりからだと思います。
当時、山口2区は、山口県が「全国屈指の保守王国」と言われる中にあって、唯一自民党の地盤がやや弱い選挙区でした。山口2区は、元々は岸信介元総理と佐藤栄作元総理が地盤としていた地域ですが、民主党が政権交代に向けて存在感を増していた2000年・2003年の衆院選、2007年衆院補選、2009年衆院選では、民主党の平岡秀夫氏が勝利しています。自民党が大勝した2005年の郵政選挙でも、平岡氏は比例復活当選しました。
このため、芳正氏を山口2区にという話は何度も上がりました。しかし、林家の地盤は下関市や長門市などの山口4区です。ここは、山口県西部でかつての「長門国(長州)」です。一方、山口2区は岩国市や周南市などの山口県東部で、かつての「周防国(防州)」です。「長門と周防は国が違う」ということで、芳正氏は山口2区に転出することをよしとしなかったのです。
そうこうしているうちに、2012年の衆院選には、安倍前総理の弟である岸信夫氏が参議院議員を辞職して山口2区から立候補し、見事当選を果たしました。ダブルスコアを得票し、野党の候補を一人も比例復活当選させない圧勝でした。そもそもは岸・佐藤兄弟の地盤だったところなので、先祖返りしたようなものです。
自民党にしてみれば、議席を取り戻した上、強い候補を確保できたということで、大変めでたいことです。また、祖父と大叔父の地盤を弟が継いでくれたことは、安倍前総理にとっても嬉しいことだろうと思います。
しかし、全く面白くない人が、少なくとも1人いました。林芳正氏です。1区は高村正彦氏、2区は岸信夫氏、3区は河村建夫氏、4区は安倍晋三氏と、山口県内のすべての衆院小選挙区が自民党の議員で埋まってしまったのです。
さぁ、どうする!?芳正氏。長くなってしまったので、次回のメルマガに続きます。
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2 comments on “自民党の候補者調整 〜 派閥の代理戦争 〜 (8)志帥会 vs. 宏池会 その2(山口3区)中編”
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菅首相の受け答え、もにゃもにゃしてて、弱々しいですよね。頼りないというか。キレ芸に対抗出来ない時点でもう見てて悲しいです。
派閥争いはいいが林氏の軍事知識はどの程度でしょうか?
この知識がない政治家、例えば吉田茂などはダメだったのではないでしょうか。講和条約発効後即座に憲法停止をあの強引さで、できたはずと思うが軍人嫌いが昂じていた。
軍事知識がない政治家はもう無用ですよ。何をしてもだめだと思う。我が国の先は暗い。悲惨な事態が来るのではと思う。