2013/05/25 00:23 | 来日公演 | コメント(0)
途方もない美しさ、モーツァルトの心を伝える熱い共感
先日、ぐっちーさんも触れていましたが、モーツァルト「レクイエム」の名演奏というと、まずカール・ベーム指揮ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱連盟の録音を思い出される方も多いのではないでしょうか。LP時代の1971年、ウィーン楽友協会大ホールでの録音は、ゆったりとしたテンポと大編成のオーケストラによる重厚な演奏で、とくに「ぐっちーさん世代」以上の数多くの人々を深い感動に導いてきたといえるでしょう。かつて音楽雑誌でよく行われていた名曲の名演奏レコード/CDを選ぶ企画では、常に上位に登場していた名盤です。
その後、「古楽」「オリジナル楽器」「ピリオド奏法」などといった、作品の時代考証もふまえた作品解釈/演奏が注目を集め、聴衆に受け入れられていくのと時を同じくして、とくにバロック音楽や古典派の音楽の演奏では、「大オーケストラによる重厚な演奏」とは異なる方向性でアプローチをする演奏家が増え、それが多数派になって行きました。現在では、むしろ「かつての重厚な演奏が懐かしい」と言われるようになるほど、演奏スタイルは変わってきました。
こうした変化の過程では、数年前にご紹介した指揮者アーノンクールなどのように、当初はある意味ショッキングな演奏をして評論家/聴衆から半ば拒絶されていたアーティストもいました。評価されるときも「古楽器だけどすんなり聴ける」というような言われ方をされていたのも思い出します。
ヘレヴェッヘ(写真)の「レクイエム」は、違和感などまったく感じられない、モーツァルトの声を伝えるかのような演奏です。彼によるモーツァルト「レクイエム」のCDは、ベームの名盤から四半世紀経った1996年に録音されましたが、発売当時より高い評価を得ています。音楽専門誌『レコード芸術』では「特選盤」に選ばれ、評者のひとり故・畑中良輔氏は、「清澄な大気の中を、モーツァルトの魂がしずかに昇天していくような、一種のすがすがしさを感じさせる」などと称賛、一方、喜多尾道冬氏は、弦楽器が「モーツァルトの身悶えをリアルに伝え」、管楽器が「作曲家の慟哭の表現そのものとなって聴き手の胸を打つ」などと記しています。音楽評論家・大木正純氏が『名盤大全』(音楽之友社刊)に書いたCD評の「これは途方もなく美しいと言うしかない演奏である。もちろんただ闇雲にきれいというのではなく、モーツァルトの心の叫びへの熱い共感を感じさせる、熱っぽい高揚感にも欠けていない」という文章も、ヘレヴェッヘの「レクイエム」全体像に対する批評として、大いに共感できるものです。
ヘレヴェッヘは、聖歌隊員の経験も影響しているのか、オーケストラ同様、合唱団の仕上げも得意のようで、オーケストラと声楽による作品で数々の心に残る名演を残してきました。その最近の演奏は、彼が数年前に自ら立ち上げたレーベル「PHI」のCDでも聴くことができ、これが演奏も録音も素晴らしいのですが、この紹介はまたの機会に。
今回のレクイエム公演は、ベーム時代のような大オーケストラではありませんが、それでもシャンゼリゼ管弦楽団が約50名、合唱団コレギウム・ヴォカーレ(写真)が30名以上、これに声楽のソリスト4人が加わるという大所帯での来日となります。彼らのモーツァルト、レクイエムを生で体験できる貴重な機会といえるでしょう。どうぞ、お聴き逃しのないよう、心よりおすすめいたします。
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