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2021/04/23 07:00  | 選挙 |  コメント(2)

自民党の候補者調整 〜 派閥の代理戦争 〜(5)志帥会 vs. 宏池会 その1(静岡5区)前編


自民「競合」「空白」解消急ぐ 衆院任期満了まで半年、野党は一本化課題(4/21付西日本新聞)

菅義偉総理が、先週の訪米中に、9月の総裁選の前に衆議院を解散するとも取れる発言をしました。このため、解散は「夏の東京五輪後、ワクチン接種も一定程度進展し、国民の政権支持が高まる中で衆院選に突っ込むのが最有力のシナリオ」という見立てになっているようです。

特に政局が変わったわけでもなく、オリンピック後の解散はほぼ既定路線のはずです。とはいえ、残された時間はどんどん短くなってきているので、与野党ともに候補者選定を加速化させなくてはなりません。私としても、この連載を寄り道せずに早く先に進めなければなりません(苦笑)。

二階俊博幹事長は、20日の会見で、「(競合区や空白区は)各県連で懸命に対応しており、そのうちにみんな埋まる」と語ったそうです。しかし、そこにちょっかいをかけてややこしくしているのは誰なんだ!?・・・というツッコミを入れる記者がいてくれたら・・・と思いました。

●二階幹事長の執念

さて、過去2回の記事で、群馬1区新潟2区で展開している志帥会 vs. 清和会のバトルを解説しました。二階氏は、自民党の最大派閥である清和会に対し、見ようによっては嫌がらせとしか思えないような戦いを仕掛けています。

二階氏は、小柄で、表情も話し方も淡々としておられます。個性の強い議員が多い永田町においては、特に目を引くような外見ではありません。和歌山県議を経て国政に転身したときにはすでに44歳。当時としても初当選は遅い方だと思います。そのあたりは菅総理と似ています。

しかし、どこにそんなパワーがあるのか。二階氏は、派閥を拡大し、子分を守るために、他の派閥に果敢に喧嘩を吹っかけています。そのため、県連組織にも遠慮なく手を突っ込んでいるようです。

二階氏から打診、山梨県連幹事長を「異例の直接表彰」…衆院選への影響危惧の声(4/19付読売新聞)

上記の記事で書かれているように、二階氏は山梨県連をターゲットにしているようです。山梨と言えば、以前に山梨2区を取り上げました。

・「公認バトルロワイヤル」(3/26)

先月のこの記事で述べたように、山梨2区では堀内家長崎幸太郎氏が長年にわたりバトルを繰り広げてきました。しかし、2019年に長崎氏が山梨県知事に転じたことで終止符が打たれたと思われていました。ところが今度は、堀内家がオーナーを務める富士急行と知事に立場を変えて対立が続いています。これは、今回から解説していく志帥会 vs. 宏池会の代表的な戦いの一つです。

山梨県連の地方議員や党員は、堀内家と長崎氏の争いに翻弄されてきました。このため、内部ではかなりの亀裂が生じたようです。その上、去年から今年にかけては、富士急行が使用している県有地の対応を巡って、県議会の自民党会派は3つに分裂してしまいました。二階氏は、この3つのグループのうち知事を支持している県連幹事長との近さを演出するため、わざわざ同幹事長を党本部に呼んで表彰したようです。

二階氏の目線の先にあるのは、次の衆院選ではなく、次の次、あるいはさらに先の選挙なのかもしれません。しかし、何にせよ、一度関わったバトルフィールドには介入を続ける姿勢がうかがえます。二階氏の執念、おそるべしです。

さて、ここから本日のメインテーマである静岡5区を見て行きましょう。

●大物キラー

静岡5区は、中選挙区の旧静岡2区の時代から、大昭和製紙の創業家が長らく自民党の議席を守っていました。1986年以降は、叔父の斉藤滋与史氏から議席を受け継いだ斉藤斗志二氏が安定して当選を重ねていきます。

ところが、区割り変更のあった2003年の衆院選で、民主党細野豪志氏が旧静岡7区から静岡5区に移ってきます。斉藤氏は当時、当選5回。第2次森改造内閣で防衛庁長官を経験した中堅議員でした。しかし、2000年に初当選したばかりの細野氏に破れてしまいます。

このとき斉藤氏は惜敗率94.7%と健闘し、比例復活当選しました。2005年の郵政選挙でも同じく比例復活当選。しかし、民主党が政権交代を果たした2009年には、惜敗率も66.08%と奮わず、比例区での復活はかないませんでした。その翌日、斉藤氏は政界引退を発表しました。

ちなみに、斉藤氏の当選同期には、鳩山由紀夫氏、武村正義氏、笹川堯氏、新井将敬氏など後に政界の歴史に名を残す大物議員たちがいました。逢沢一郎氏、石破茂氏など今でも現役で活躍している議員もいます。

細野氏は、京都府生まれ、滋賀県育ち。京都大学を卒業後、三和総合研究所勤務を経て、30歳そこそこで政治活動を始めました。政界とのつながりは、大学の同じ学部の先輩にあたる前原誠司氏の選挙を手伝ったことからだと言われています。

その経歴から明らかなように、細野氏は、静岡県には全く縁もゆかりもない「落下傘候補」です。しかしながら、2000年に区割り変更前の旧静岡7区で挑んだ初めての衆院選では、当選10回の大ベテランである木部佳昭氏を破り、引退に追い込みました。木部氏は、中曽根康弘元総理の腹心と言われた議員です。第二次中曽根改造内閣で建設大臣として初入閣し、党の総務会長なども経験した大物でした。細野氏に敗れた翌年に死去しています。

このように細野氏は、最初の選挙で大物議員(木部氏)を引退に追い込み、区割りが変わった次の選挙では、長年一族で守ってきた地盤を持つ世襲議員(斉藤氏)を倒し、最終的にはやはり引退に追い込んでいます。恐るべき「大物キラー」です。

そうした選挙の強さに加え、経歴の堅実さや爽やかなルックスも功を奏したのでしょう。まだ陣笠議員のうちからその時々の党の幹部に抜擢され、役員室長、幹事長代理などのポジションをこなしていきます。また、女性アナウンサーの山本モナ氏との「路チュー」不倫で写真週刊誌を賑わすなど、公私ともに華やかでした。

政権交代後は、菅直人内閣で総理大臣補佐官や内閣府特命担当大臣を、野田佳彦内閣でも内閣府特命担当大臣や環境大臣を歴任しています。こうしたキャリアを積み重ねて着々と力を着け、2012年には、若手議員12人と「基本政策研究会」を立ち上げます。当選4回にして勉強会を主催するとは大したものです。実際、この頃の細野氏には若手を中心に取り巻きの議員が群がり、代表選への擁立を画策する動きが活発でした。

2014年にはこれが「自誓会」へ発展し、結成パーティーが開かれました。来賓には野中広務氏や田原総一郎が招かれるという豪華さです。余談ですが、田原総一郎氏は、細野氏の彦根東高校の先輩にあたります。そのせいかどうか、報道番組などで共演する際には、あまり厳しい態度を取らないように見えます。発言の全てを許して突っ込まないほどです。

2015年1月、細野氏は自誓会を率いて民主党代表選に出馬します。岡田克也氏に破れたものの、翌月開いたパーティーには1500人、4500万円余りを集める勢いでした。

2016年の民進党の結成以降、細野氏は蓮舫氏を支持し、蓮舫氏が代表に就任すると代表代行に指名されます。前原・小沢・鳩山・菅・野田と歴代幹部を渡り歩いてきた処世術はさすがです。

●流れ流れて

2017年に入ると、細野氏は憲法改正の議論を巡って執行部を批判するようになります。程なく代表代行を辞任。次いで自誓会の会長も辞任。そして、8月、とうとう民進党を離党しました。「新たな政権政党をつくる決意で立ち上がりたい」として、若狭勝議員や長島昭久議員と連携を深めていきます。翌月の希望の党の立ち上げには「チャーターメンバー」の1人として参加しました。今度は小池百合子知事に接近したというわけです。

当時の民進党は、支持率の低下が止まらずもがき苦しんでいました。細野氏は、沈んでいく党を見限っていち早く逃げ出し、ちゃっかりと小池新党の中枢に座りました。その姿は、民進党の元同僚議員からすると、気分のよいものではなかっただろうと思います。その上、細野氏は、民進党から希望の党への公認申請者や、旧民主党政権で三権の長を務めた者の「排除」を主導し、さらに不評を買うことになります。

10月に行われた総選挙では、細野氏は比例区との重複立候補をせず、小選挙区単独候補として戦いました。比例区の保険をかけずに闘うのは、現職の総理か総理大臣経験者くらいのものです。絶対に勝てる自信があったのか、あるいは不退転の決意を示すためだったのか。いずれにせよ、細野氏は当選し、自民党候補の比例復活を許さない強さを見せつけました。

翌2018年4月、民進党と希望の党が合流し、国民民主党が結成されます。しかし、細野氏は加わりませんでした。先に述べたように、民進党を離党した時の状況や、衆院選での候補者選定での経緯から、加わりたくても加われる状況ではなかったのだろうと思います。

若くして政界にデビューし、時の権力者に重用され、注目を浴びる華やかな道を歩いてきた細野氏も、もはやこれまでかと思われました。ところが、なんと、2019年の年明けに志帥会の客員会員となることが発表されます。政界に衝撃が走りました。

細野氏は、「二大政党というやり方ではなく、まずは志帥会に入って政策を実現していくべきではないかと判断をした」「選挙区をここ(静岡5区)から動くことは私の選択肢の中に全くありません」と語り、自民党入りを目指すことも明言したのです。

前原・小沢・鳩山・菅・野田・蓮舫・小池と渡り歩き、今度は二階氏に乗り換えるとは。いくら志帥会が「何でもあり」だと言っても、普通は憚られる動きだと思います。細野氏は、民主党・民進党・希望の党と所属する党が替わっても、一貫して自民党とその政策を激しく批判してきていたからです。その節操のなさには脱帽です。

しかし、ここから細野氏と二階氏の予想を超える方向に事態が動きます。と書いたところで、またもや編集部から「長すぎる」とのツッコミが入ってしまいました(苦笑)。ここで一旦休憩を入れて、次回をお待ちください。

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2 comments on “自民党の候補者調整 〜 派閥の代理戦争 〜(5)志帥会 vs. 宏池会 その1(静岡5区)前編
  1. 五十嵐 悠一 より:
    面白い!

    いつも楽しみにしてます。
    全然長くない(どころか具体的エピソードや叙情的な話があった方が政治話は面白い)ので、むしろ最長文字数狙うくらいお願いします!

  2. 永田町 より:
    五十嵐悠一さんへ

    嬉しいコメントをありがとうございます。
    読んでいただいた方に、より具体的にイメージをお伝えできるよう、エピソードはできるだけたくさん盛り込もうと思って書いています。そうすると、どんどん長くなってしまうんですよ・・・。楽しく読んでいただけるような構成を考えて行きます。

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