2010/02/05 20:38 | 言いたい放題 | コメント(11)
奢れる平家は久しからず
なぜそんな懼れ多いことを書いたかというと、トヨタの関係者から「最近若い層に東大出が増えた。それは車好きというよりは、トヨタだからと言って入ってくる安定指向が強い。昔は自動車が好きで入ってきたのだが、これではトヨタも官僚化するのではないか。」「残念なことに本田には自動車が好きで入ってくる若者が多い。どこかでこの違いが出てくるのではないだろうか」と、大企業病になりはしないかと心配していたのだが、事故への対応を見ていると彼の懸念が現実のものとなってきたようだ。
同じ話を以前大蔵の官僚からも聞いたことがある。それは東大法学部があまりにも主流となっている現状に対して、当の大蔵官僚が「数学で言えば公式や定理の暗記に優れた連中ばかりになってきた。本来は暗記するのではなく、どうしてこんな公式が出来たのか、他の方法は無いのかと考える人材が欲しいのだが」と嘆いていたのだが、言われてみればそのとおりで、法律の暗記は出来たとしても、それが今の時代に合っているか、もし時代に合っていなければ無くしてみてはどうかなどとは全く考えないらしい。これが官僚化なのだろう。
「歌は世につれ世は歌につれ」ではないが、いまは大きな変化が物凄いスピードで進んでいるのだから、法律だって時代遅れになったものは山ほどあるはず。交通法規だって昔のボロ車時代に出来たものがまだ多い。高速道路のスピード規制などその最たるものではないか。50年も前から車に乗っているが昔は100キロも出せば車が壊れそうになったものだが、今の車なら巡航速度だしその程度で壊れそうになる車など無い。それでもまだ昔のままの速度制限の道路のいかに多いことか。むかし暗記した時代のままで国交省は居るのだろう。
他山の石
トヨタのケースは今の日本にとって何が大切かを改めて考える好機ではないだろうか。日本は物つくりの国と永らく言われ、確かにひとつひとつは素晴らしい製品が多いが、グローバルに考えると日本のようにはいかない国も多い。
今回のトヨタのケースもアメリカで作った車にはアメリカ製のアクセルペタルを使っていたとか。その製品の不具合でトヨタ全体の信用が揺らぐことになったのだが、アメリカでご自慢のレクサスが事故を起こしたときからの対応を見ると、トヨタの本社にはその危機感が欠けていたとしか思えない。
「優秀な俺たちが間違うはずが無い」と優秀な官僚は考えるそうだが、世の中はそうはいかない。「上手の手からも水は漏れる」ものなのである。
前回久し振りにNYに行った時にも強く感じたのだが、なまじ製品に自信があるばかりに得意の家電製品もサムスンや台湾勢にシェアを奪われているし、車も韓国の現代に追い上げられている。いい製品なら黙っていても売れるはず、と自信過剰になって思い上がり過ぎていたのではないだろうか。
トップがたまにはアメリカのスーパーでも覗いていれば、液晶テレビなどは名もないメーカーが山ほど出てきて、しかもそれをアメリカ人たちが喜んで買っている姿に気がついたはずである。何事にも言えることだが「奢る平家は久しからず」であり、上に立てば必ず誰かが足を掬いに来るもの。
暗記や遠い記憶に頼るのではなく考えることも忘れないようにしなければなるまい。トヨタのケースをぜひいい意味で「他山の石」にしようではないか。
選挙民の責任は?
結局小沢幹事長は不起訴とか。一般の企業なら部下が3人も捕まったら社長以下責任者は全て降格、もしくは退任のはずだが、政界とは不思議なところだ。また石川議員も情けない。国会議員は国のために働くのが筋であり、親分の草履の世話や身代わりをするためではあるまい。何も国のためには働いていないではないか。
また明らかに小沢親分、石川子分と役割がハッキリしているのに、その子分を選挙で国会に送った選挙民もだらしがない。これでは憤死した中川昭一氏も「あんな小僧に負けるなんて」と草葉の陰で怒り狂っているだろう。死んでも死にきれないとはこのことである。国民も自分の胸に手を置いて考え直してみる時だろう。政治家の質は所詮国民の資質と同じであることが判るはずだ。
それはそうと政党助成金は何のために俺達は払っているのだろう?
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11 comments on “奢れる平家は久しからず”
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なのは
平家だけとは限らない・・
藤原氏も、源氏も北条一門も、足利氏も徳川も・・大日本帝国も・・自民党も・・
夏の世の夢を見た・・
民主党もきっと夢を見るだろう・・
トヨタも世界の頂点をしばらく見た。
まだ自工と自販と分かれている時、世界ににじり出たが、
自販が吸い上げる苦情を、拒む自工があった。
結局一つになったが、
この確執は今日まで尾を引いたのか・・
大御所様でも三方が原の敗戦がなければ、幕府を開けたか怪しい。
ここがスピンすれば日本もドリブルする・・逆ハンで持ち直してもらわねば・・
小沢幹事長・・実の所、我々に知らされているのは、知らせたい情報だけのように思える。
裁判で出てきて、裁判官に認定されるのが、きっと事実に近いのだろう、誤審はあるにしても・・
口を開く前に、
色んな角度で情報を集め分析してみる面倒を、面倒と思わない若さが、きつと要るのだろう、経済界で生き残るノウハウではないのか・・?・・
『法律には穴がある方がいい、でないと検察ファショになる』
と元検事が漏らしていた。聞いた当時は分からなかったが、今回の大騒動で理解出来た。
法で自縛されるのはコリゴリな過去は何処に・・?・・
あれも一睡の夢だったのか・・・
プリウスのブレーキ不具合のクレームについて、
感覚的な問題であるとの、某役員の発言には驚きました!
1秒近くもブレーキが効かなくて、何が感覚的なのか?
車を運転する側の感覚として、どうにも理解出来ませんね。(笑
それとも某役員は、感覚が普通でないのか?
そもそも、あんな奴に報酬を払っているのは許せん!
組織が大きくなると必ず腐る。会社も政治の世界も同じ、それが現実。
トヨタも慢心が社内に渦巻いているんでは?乗る人の感覚なんて、メーカーの勝手な理屈、それすら判断できないような腐った組織になっているということ。社長もしぶしぶ出てきたが、もう遅い。
民主党も同じ、数は力の驕りが党内渦巻いている。輿石、山岡の態度がはっきりと物語る。
国民はそんなに馬鹿ではない。次の選挙では鉄槌を加えると思っている人が多いはずだ。それでなければ日本はお終い。
トヨタに思うこと幾つかあり。
まず、御曹司のご機嫌伺いだということ。
社長様、いかがいたしましょう、朕は謝りとうないぞ、ははー。
サラリーマンの保身、まさしく官僚の保身さながら、安全は二の次。
それと、トヨタなら、アメリカ政府の意向など、把握していて当然と考えれば、その情報が流れてこない。
経済産業省大臣は、トヨタの労組出身である。
一企業の問題ではなく、日本軽視が背景にあるのでは。
アメリカがやるぞと音頭をとり、欧州がよっしゃと応える。
まあ、宇宙人には、どうでもよいことなのかもしれん…
以前の記事らしきものを見つけましたので、リンクを貼って起きます。
>http://moneyzine.jp/article/detail/113764
ホンダで三原御大のおっしゃる事が起こると常々思っておりました。
私の勤務先は電気系ですが、出荷の8割が自動車業界に支えられておりますので、各メーカーとの付き合いを持っております。トヨタには大企業病を警戒する動きを従業員の立ち振る舞いから感じられるのですが、ホンダは勉強できる若僧がのし歩いている印象です。品格がないでも申しましょうか。
私たちが接している担当部門の問題かもしれないのですが、従業員一同、ホンダ車を買うつもりにはなれませんね。
今回のプリウスの件は、最先端技術を独走で商品化しているリスクが表面化した要因が大きいのではないかと考えています。
既存の技術だけを扱うならトラブルが少ないのは当たり前です。
リスクを背負って歩いているものを応援いたします。
記事によると、沖縄には基地対策振興費、地代、など多額のお金が投入されているらしい。
ここから、暴論ですが。
外人参政権成立、左巻きの外人多数乱入、沖縄の独立を宣言。
よって、基地国外移設は自動成立。
日本を守ることを盾に、お金を巻き上げる。
真面目な皆様、怒らないで下さいね…
「しがらみのない我々が政治を変革する」、「我々のボスも通例通り形式犯にしろ」、前者と後者は見事なまでに矛盾しておりますが、残念ながら同じ人間の言葉です。政治が綺麗事ばかりで語れないのは重々承知しておりますが、ここまで明らさまであると、馬鹿にされているような気にもなります。ボスの言動不一致は部下へ伝染するのでしょうか?トヨタのボスは如何に?一般国民、特に教育現場へまで伝染しなければよいのですが。
相撲協会は「誰のお陰で飯が食えているのだ」と造反した親方を攻め立てております、相撲ファンのお陰である、という大原則をこれまた見事に忘れておられる様子です、横綱の傲慢も伝染病だったのではないでしょうか。
変わらないものは何もないから、希望もある、と、思いたいです。
トヨタは世界のトップに立って・・・いまや、その座は危なくなっていて・・・でも、トップが永遠にトップでないからこそ、私たちのような庶民にもチャンスがあるのだなと、思います。
何も変わらない世の中に、何の価値があるでしょう。
好きで、がんばる・・・ホントに、それ以上の力はないと思います。
ものをつくるのも、それを売るのも、そこにやりがいと目標がなければ、上は目指せませんよね。
日本はものづくりの国・・・でも、会社で一番エライのは、そのモノを開発した人ではなくて、それをうまいこと売りさばき、現金を会社にもたらす人なのだと思っています。
商品に自信を持つのは、会社にとって、危険なことなのではないかと、、、売れてはじめて商品は価値を持つのだし、社会のニーズにあっていないものをいくら優秀だと自慢しても、ごはんは食べていけないです。
日本人の平和ボケは、末期症状かもしれません。
「東大法学部があまりにも主流となっている現状に対して、・・・「数学で言えば公式や定理の暗記に優れた連中ばかりになってきた。本来は暗記するのではなく、どうしてこんな公式が出来たのか、他の方法は無いのかと考える人材が欲しいのだが」と嘆いていた・・・これが官僚化なのだろう。」とのことだが、官僚=暗記型というのは?むしろ暗記型=今の日本の教育目標、が正しいと思う。東大は、むしろ公式を再考する力のある人を入学させるべく試験問題をつくってきたと思う。
ものづくりも試行錯誤だから、暗記型の人ではミスがでます。今回のトヨタの問題も、メカニズムから対処方法まで、暗記型=「過去の方法・公式に頼り、現実認識がおろそか」の結果であり、小学校から続く暗記とアルゴリズム中心教育の結果である。
私も某有名メーカーで働いているものです。
「いい製品なら黙っていても売れるはず、と自信過剰になって思い上がり過ぎていたのではないだろうか。
トップがたまにはアメリカのスーパーでも覗いていれば、液晶テレビなどは名もないメーカーが山ほど出てきて、しかもそれをアメリカ人たちが喜んで買っている姿に気がついたはずである。」
それでもモノづくり万能神話からは、抜け出せないのではないでしょうか。
私は、仮にマネジメント層この状況を見ていても「なぜもっと良いものをつくらない。なぜ売らない」とい言い始めるのは目に見えていると思うんです(明にも暗にも)。
短絡的といわれるかもしれませんが誤解を恐れず一言で言うと、トップマネジメント層に「モノがある=快」という公式がまだまだ潜在的に埋め込まれているから、だと思います。
ものがなく貧困だった時代の記憶が強烈過ぎて「良いものがある=快=マーケットがある=したがって売れる」という方式が潜在的にある。それを自分で批判・変更できないのではないことが問題なのではないか、と思うのです。少なくとも日常的な業務のオペレーションへの指示などに強烈に影響を与えていませんでしょうか。
しかし、「上記の良いものがある=快」という式が変わりつつある今、その式が成り立たなくなって来ている。同年代の私の友人などは、「モノがありすぎて、ウルサい」というくらいです。
その潜在意識を変更する機会をどこかで作らないと、そろそろ日本は決定的なことになるような気がします。極めて内省的な問題が潜んでいると思います。
*私を含め若い人間(特に経営者)にその変更の責務があるのでしょうが、まだまだこれから高齢化が進行する日本社会で、そこだけに期待しても時間がなさすぎるのではないか、と思うのです。
*戦後のものがなかった時代から、ここまで日本を復興させてくれた先達の努力には、本当に頭の上がらない思いがありますが。