2010/10/08 17:33 | 言いたい放題 | コメント(5)
災い転じて福と為す
子供心にこれを聞いて「こいつは馬鹿か」と吃驚して飛び上がり「僕は満州からの引揚者なんですが、あんな国に公正と信義があると先生は考えるのですか、ボクにはとてもそうは思えないのですが」と反論して大騒ぎとなり、次の生徒会会長選では先生方が「あいつだけは落とせ」とやられて落選したことがある。
「三原は右翼」なんだそうだ。あれから60年、この前文が脈々と生き続けているために、日本国民の生命と財産の安全は他国に委ねられたままの状態が続いている。それでも冷戦時代のようにアメリカが強ければ、一蓮托生という立場はあったのだが、そのアメリカが頼りなくなったし、子供心にあんな国と心配していた国がいよいよ本性を剥き出してきた。
このことは何も安全保障ばかりとは限らない。いつの間にか「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という癖だけはしっかり根付いているから、ビジネスでも言いがかりをつけられると反論すらしなくなったように、中国などでは泣き寝入りしているケースも山ほどあるし、アメリカだって因縁に近い訴訟をどかどか起こされては負けっ放し。
「泣くこと地頭には勝てない」という故事のDNAがまた生き返ったようだ。
また円が高くなってきた。これまた自虐的に「円高で日本は潰れる」みたいな論調が目立つが、対ドル、対ユーロにという先進国内での円高であり、資源国に対しては大して強くなっていない。レアアースの中国による嫌がらせが話題となっているが、幸い円高なんだからいまこそ「諸国民の公正と信義を信頼して」鉱山ごと買ってしまえばいいではないか。公正と信義とは相手が困っている時には助けてくれることのはず。
何ならアフガニスタンの鉱山も中国と一緒に共同開発したらいい。日本と中国の鉱山開発をアメリカ軍がタリバンから護ってくれるなんて、これこそ「諸国民の公正と信義を信頼」すれば出来ることだ。出来なければこの際憲法の前文を丸ごと削除し、ついでに憲法も見直すべきだろう。折角の円高が生かせないのにもったいないではないか。
他にもアメリカの農地、オーストラリアの鉱山、ブドウ畑、中国のレアース、ロシアの油田など、公正と信義を表に出して買いまくってみてはどうだろう。そして初めてどこの国にも公正や信義などないし、あるのは国家のエゴという現実に気付くだろう。
折角の円高を武器にもう土下座外交からキッパリと縁を切り、通貨の強い独立国としてのプライドを世界に示めそうではないか。
発想を180度変えてみれば、新しい世界も見えてくるし拓けてくるもの。
「災い転じて福と為す」にはいい機会である。
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5 comments on “災い転じて福と為す”
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鎖国・・二百六十年の桎梏・・
我等は・・まだ・・
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」
枕詞・・お題目・・ラテン語の念仏・・
欧州は・・年がら年中・・地を血で洗った・・
が
日の本は・・異国との戦争・・幕末までたった三度・・
占領軍のあくどさを・・知らない・・教えた事はあるが・・
貧しければ・・何処の国も・・放置するものを・・・
右翼だそうで・・(笑)・・
布団から・・解放・・めでたい限り・・・
その昔、「生還すれば願いが叶う」と絶対にお勧めできない迷信が流行ったもので、本当に清水寺から飛び降りる人が少なからずいたとか。神も仏もない現代人にはピンとこない話ですが、その思いの強さや行動力からは迫力すら伝わってきます。ふと周囲を見渡せば現代においても、日本では誰もが当り前に謳歌する自由や権利を求め、国民が命を掛ける国もあります。彼等の勇気と行動力は賞賛に値し、現代の日本人にはその勇気や行動力が足りないのではないかと、我が事を省みながら思う次第ですが。平和に慣れすぎ危機感を忘れると心のエネルギーが弱まり、自然に備わっている生きる為の本能すら消えてしまうのではないでしょうか。
正直なところ、あの国の貪欲さを少し日本の政治家に見習ってほしいという思いもあります。「しっかりと受け止めたい」とまた煮え切らない様子ですが、あの国の民主化は日本にとっても素晴らしい国益ではないでしょうか。
父は「儲けるのもほどほどにしておいたほうがいい、でないと皆にひがまれて大変だぞ」」と、日本の様な先進国はガツガツせずに中国を怒らせないようにしてやりながら地球はこの先何十億年も続くのだから焦らず気長に遣っていったらいいんですよ、時には負けるが勝ちだってあると鷹揚に構える位がいいと思う、新興国がガッツクのはある面仕方がない、中国も真の先進国になればガッツク事もなくなるし抱えている根本的な問題も解決していけると思いますよ、前原のように中国やロシアに対して挑発的な遣り方はいかがなものかと思う、日本の国益に何もなっていない、松下政経塾上がりの政治家は人格的に心配な連中が多いような気がする。
先生のおっしゃることはよく分かります。ですが日本の微妙な立場は、たとえ看板だけのことであっても積極的に利用すれば面白い立ち位置なので、簡単に手放していいのかという気持ちもあります。例えば日本は中東に(万一の時はアメリカが報復してくれるという保険付で)丸腰で交渉にいくことができます。アメリカや他の諸国は例え威圧の意図がなくても、丸腰では外交にはいけないでしょう。これも一応看板として非武装・非中立・未定義の平和主義の看板を掲げているからできることです。アメリカの尖兵と言われようが、斥候と蔑まれようが、国同士が面子の張り合いをしているような局面では、日本の空気みたいな存在感が外交で役立つこともあるのではないでしょうか。あんまり利用できたことがないようですが。
根本原因は日本人の均質志向でしょう。
いざチャンスというときに思い切ったことができない。
思い切ったことをやって失敗した人をみんなでよってたかって叩く。
思い切ったことをやって成功した人がいればこれまた重箱の隅をつついて引きずり下ろそうとする。
こういう日本人の資質が直らない限り、おっしゃるような発想のできる人は現われないでしょうね。
教育指導要領などを廃止して、できる子供はどんどん飛び級にする、住んでる地域で行く学校が決まるような学区制もやめて、どこでも希望する学校に入れる代わりに競争がある、というふうにして、みんな仲良し横並び的発想をさせないような教育が必要なんじゃないかと思いますね。
ただ、いらぬ恨みを生じて社会不安の元にらないよう、競争に敗れた人のケアは忘れないようにしないといけないですね。
コイズミさんもここが抜けてましたね。