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The Gucci Post [世界情勢・政治・経済金融 × プロフェッショナル]

2009/06/11 00:00  | 言いたい放題 |  コメント(0)

昔は良かった?(小椋桂君との出会い)


「シクラメンのかほり」や「愛燦燦」といった数々の名曲を作詞作曲している小椋佳君は40年前の留学仲間。
まだ1ドルが360円の時代であり外貨持ち出し制限(今となっては信じられないだろうが日本はまだ貧しかったのである)があり、留学生は1日10ドルしか割り当てが無く家柄や貧富など関係なくみんな等しく貧しい苦学生だった。
われわれも自分で留学などできるはずもなく、彼は銀行、こちらは証券と会社がスポンサーしてくれ、やっとのおもいでシカゴのノースウエスターン大の寮に這いこんだ。そこで隣の部屋にいたのがまだ小椋佳になる前、ただの銀行員の神田君だった。年齢はあちこち道草を食っていたわが身と違いエリートのあちらは入社間もない若さだから7歳下。英語が既に出来た彼を「日本は目上を大切にするのが文化」と通訳などでよくこき使い、「留学生なんだから少しは自分でやったら」なんてブーたれられたりしたものだ。
その彼が帰国したらなんと得意の詩心を生かして平日は銀行員、週末はシングァソング ライターと見事な活躍ぶり。あっけに取られるほどの充実した人生を歩き始めた。もちろんその間も時折食事やコンサートなどで会ってはいたが、このたびはじめて彼のラジオ番組に呼ばれ録音してきた。(放送はラジオニッポンで7月6日の21時20分から21時40分で3週連続) 
 当然昔話が中心でまるでセンチメンタルジャーニーそのものだが、二人とも立場は全く違う仕事をしていたし、会えば日ごろは馬鹿話しかしていななったが、今回改めてマイクを挟んでもっともらしく話しているうちに、結局もとの学生に帰ってしまい遠慮の無い話をしているうちに基本的には同じことを考えて生きてきたことがよくわかったのは何よりの収穫だった。
二人とも好き勝手な仕事をしているし、売れなくなったら終わりという点もよく似ている。それが何とか人生の終わりに近くなるまでやっていられたのは何よりも有難いし、ラッキーだったと考えていることである。自分より才能も学識もある方々は世の中に沢山いらっしゃるし、そんななかで生きてこられたなんて運に恵まれて有難いし、皆さんに支えられおかげでやってくることが出来たと二人とも思っていたことだった。当たり前だが人は一人では生きていけないし、回りに支えられているからこそ生甲斐も出てくるもの。
いい友人に恵まれたものだ。考えてみれば人生の中で知り合いになれる人の数は全世界の60億人の人口に較べればごく限られたほんの少しだけ。縁があってこその付き合いなのだろうから、こんな才能を持った小椋佳くんと馬鹿話が出来るのはラッキーなことだ。何せ相手は東京大学の哲学修士(サラリーマンを辞めたあと東大の文学部に入り直し大学院の修士さま)だから論破されないように頑張るしかない。おかげで老け込んでいるわけにも行かなくなった。
有難いことだ。昔は良かったなんていう気はない。思い出となってみてはじめて懐かしくなるものだからである。貧乏だったけど考えてみれば将来の思い出になるようなことは苦しかったからこそ楽しく思い起こせるようだ。
良くするも悪くするも本人次第。その昔山中鹿之助という名の武士は毎晩「われに苦難を与えたまえ」と天に祈ったとか。
苦しかったシカゴの貧乏学生時代がいまの自分の役に立っているのは確かだし、あそこでシカゴに行っていなければ違う人生になっていた可能性もある。
いまは世界中が暗い苦しい話題で一杯だが、ここを乗り切った人にとってはいずれ必ず楽しい思い出となって残るだろう.若い人たちには幸いまだ長い人生の時間がある。ぜひ焦らず危機と時間を味方につけることから始めてみては如何だろう。

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