2008/07/16 00:00 | 言いたい放題 | コメント(0)
テンプルトンさんを偲んで
第二次大戦が欧州で始まり株価が大暴落するなかで、26歳の彼は当時としては大金の1万ドルを借金し、1ドル以下に叩き売られた銘柄に絞って100株づつ、104銘柄を買った。ヒットラーに世界中が怯えているなかで買ったのだから、傍目には大博打としか見えなかったはずだが、株式投資の基本は「とにかく安く買う」という古来の教えに忠実に従ったのである。いい株かボロ株同然の価格となれば、それこそバーゲンセールであり、投げ売りほどおいしい出物を手に入れるチャンスはない。売り手の理由は恐怖だけ、理屈などはないのだから買い手にとっては思いもかけぬ価格で買えるのは当たり前なのだが、それはしばしば後になって気付くこと。
パニック状態の時の人間の心理は「とにかく楽になりたい」「株などもっているだけで怖い」のである。
結果は104銘柄のうち僅かに4つだけが紙切れになっただけで、残る100はパニックが過ぎれば当然ながら猛然と戻る。
あっと言う間に財を築き、名言を残すきっかけとなった。
市場を正しく理解していれば、彼の行動の正しさも判ってくるが、市場をマネーゲームの場としか考えているようでは到底こんなことはできないだろう。何故なら企業を買うのが投資の基本なのだが、株価を買うのが投資と誤解するからである。
日本にも「人の行く裏に道あり花の山」という言い伝えがあるが、後の句に「いずれを行くも散る前に行け」とある。
花の盛りが過ぎた道ならどちらを行っても同じこと、花の盛りをきちんと読んで、人の行かぬ先を探さなければ落ち着いて花見も出来まい。
テンプルトン氏はその後1950年代からはアメリカ以外に目を向け、カナダにはキャピタルゲインタックスがないので、まずカナダ向け投信をスタート。その後も日本など今で言う当時の新興国を対象としたテンプルトン グロース ファンドを設立し、国際分散投資の先駆けとなった。
そのファンドは38年間で1万ドルが200万ドル、つまり200倍の値上がりとなっている。彼の偉い点は1950〜60年代はアメリカの絶頂期、ゴールデン フィフティズと呼ばれた時である。アメリカ国内にもゴーゴーファンドとか勇ましいファンドが沢山出て来て人々は幸福に酔い呆けていたが、そこがピークでその後17年間もNY市場は低迷期に入ってしまい、「株式の死」という見出しがビジネスウィークのトップになるほど不振を極めた。そのアメリカを天井で売って新興国を底で買ったのが彼であろう。文字通り「バイ チープ セル ハイ」の教えの好例である。
95歳で天寿を全うした彼の晩年は一転して信仰に捧げられ、マザーテレサなど信仰に貢献した人々に多額の寄付を続けてきた。
そのため「フィランソロピック インベスター」(慈悲溢れた投資家)としても世の尊敬を集め、宗派を問わず信仰を応援した人生だった。
さて世界は彼の青年期がそうだったように、戦争こそ起きていないがCO2削減と同時に資源獲得戦という複雑怪奇な様相を帯びてきた。当然混乱はしばらく避けられまい。
こんな時にしばしば悲観論ばかりが幅を利かせ、そのためいとも簡単に絶望したくなるものだが、こんな時だからこそかの名言をいまいちど、じっくり噛みしめ直す方が精神の健康、財布の健康にも役立つのではないだろうか。合掌
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