2007/03/29 00:00 | 言いたい放題 | コメント(0)
日本語の読み方
たとえば「危機」、いまの日本では一寸した危機に瀕するといまにも日本が沈みそうな騒ぎ方になるが、この字を良く見れば危の後に機がついている。この機を機会の機、危を危険の危と分けて考えれば、危機の時ほどチャンスであるとも読めるし、実際に2000年前後の日本の金融危機の際には、それこそ天与のチャンスを主として外資に浚っていかれたことでもよく判るだろう。
「大変」も同様で大きく変わるから大変になるのであり、危機は大体大変の後に出て来る。だとすると世の中が目先きの変化で大変だ、大変だと騒いでいる間に、次に訪れるであろう危か機に備えるのが賢いということになるのだろう。
それには安易にテレビなどの耳に心地良いコメントなどはまず疑ってみるのも一法だろう。
日本のテレビは親切だから、収まりのいい落としどころに落としてくるが、そこで考えることをやめるのではなく、とにかく何かしら反論できないかと考えてみるといい。
ヤの字のつく自由業の方は因縁をつける練習のために、しばしばテレビのCMを利用するのだそうだ(?)
洗剤のCMで「ホラ、こんなに真っ白」なんて美女が言う場面では「もしならなかったらどうしてくれるんだー、えー!!」と凄むとかしながら練習しているそうだから、彼らもそれなりに努力はしているのである。納豆を巡っていまTV界もマスコミも大騒ぎしているが、ヤの字の方々にからまれたらどうなっていただろうかと、むしろそちらの方が心配である。「納豆食ったけど太ったではないか、どうしてくれる」と格好のタネになったのではないだろうか。
つまり他人や政府の言うことを頭から信じない方がいい。
市場は将にそんな世界であり、だから「売買」と言葉だって取引は売りも買いも含んだ表現になっているではないか。
自分が「買い」と思い友人もそう言ったとしても、自分が買えると言うことは、その反対側では誰かが売っているから買えるのであることは忘れないことだ。とかくいまの日本ではまだ投資雑誌の多くはまず「買う」ことしか薦めないが、そんなにいい株なら誰も売るはずないと考えてみるのも勝つためのひとつの方法だろう。
もっともそんなにいい株なら普通は赤の他人には教えないのではないか。
つまり横並びは止めようと言うことである。そのために「分別」という言葉があるではないか。
「分別」とはよく出来た言葉で「人と分かれて自分だけ別になる」と読めなくもない。
「敵を知り己を知れば、百戦危なからず」という言葉もある。まず自分をきちんと自覚することで横並びから脱してみることを考えてみては如何だろう。
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