2017/11/14 05:20 | 昨日の出来事から | コメント(0)
株が高いのは、他に買うものがないから?!
今週号の英誌エコノミストに掲題に関する記事がありましたのでご紹介したいと思います。
全ての投資家は、いつ株を買って、いつ株を売るかを知りたがっている。 エール大学のRibbert Shillerによって考案された景気循環調整後の一株あたりの収益率CAPE(Cyclically adjusted price earings ratio)は、過去の十年間の収益を平均したものであり、重要な株価の価値を測る指標として多くの人によって使われている。 現在のアメリカの株価水準は非常の割高で1929年と1990年後半の株高以来の水準であり、1929年と1990年代後半以降の株価は、その後、急落している。
こうしてみると気味が悪くなるが、チューリッヒにあるプライベート インベストメント会社のDylan Grice氏とGregor Obrecht氏によれば、そうした結論は短絡的であると指摘している。CAPE指数は短期的な指標としては使えない。この指標は、1990年代にも起こったことであるが、何年にもわたって長期的な平均値を上回っているからである。
そこでCAPEの議論の焦点は、長期的な指標になる。確かに、過去10年間で株投資して得られたリターンのCAPE価値を5つのカテゴリーに分けると、最も高い時に株を買ったCAPEのリターンは、最も安い時に株を買ったCAPEのリターンに比べて8%以上下回っている。
しかし、問題は数字が示しているほど単純ではない(cut and dried)。 まず、この指数は、GriceとBbrecht氏によれば、後講釈(hindsight)であると述べている。つまり、長期に亘る価値の期間は、今になってわかることであり、いつがその時期なのかその時にはわからないのである。過去の投資家は、実際にどういう時に株を買っているかはわかない。もし、過去のデータがその時に反映できるように調整した後のCAPEは、最もパフォーマンスの良かった時と悪かった時のギャップは、後講釈で評価したギャップに比べて1%以上も縮小する。
そしてもっと深刻な問題は、データの量の多さである。Shiller氏は過去146年の収益を使って分析した。つまり10年を一つとして14個のサンプルを分析している。しかし、たったこれだけしかない数字で確固たる統計とみなすのは無理がある。
著者は、現在の価値を基に今後アメリカの10年間の平均株式リターンを2.6%程度と予測しており、これは過去の水準に比べてかなり低い。 しかし、信頼できるデータを使って予測できる株価リターンのレンジは-3.4%から+8.7%と非常に広く、とてもプロの投資家は使える代物ではない。
こうした数字に対する批判はもっともである。 にもかかわらず、何故、高い水準のCAPEは将来のリターンが低くなることを予想できるのであろうか?それは、将来の株式のリターンは、たった2つの源泉からしか来ていないからである。一つは利益が拡大する事であり、もう一つは、こうした収益に対して市場がより高い収益を期待していることである。例えば、もし、企業収益が通常よりも低い時に、高いCAPEが正当化される時は、将来的に収益が回復すると期待されているからである。
しかし、現在はGDP対比で企業収益が上回っている。これは、恐らく労働に投下されていた資本が、株式に資本シフトが起きた結果であろう。あるいは、ある特殊なビジネスで独占的な地位を確保した産業に資本が集中しているからであろう。このシフトは、場合によっては永遠に続くかもしれない。また、こうした収益は、以前のような低い水準に戻ることがないかもそれない。 しかし、企業収益がGDP対比で高い水準で増加し続けると期待するのは余りにも楽観的であるように思える。
GDPの成長は、それ自身、大きくは労働者の数の増加、もしくは生産性の増加に因って持たされる。しかし、現在の労働者の増加は、かつてに比べてより緩慢になっており(国によっては減少している)、最近の生産性の成長には失望させられるものがある。こうした観点からして楽観的であることには無理がある。 よってGDPもしくは企業収益が急成長を達成するのは非常に困難なのである。
議論を企業の価値(株価)に戻すと、CAPEの水準が、ここ数十年でより透明な会計基準や企業ガバナンスが出来たことで、上方修正されたと考えている人がいる。しかし企業収益が伸び悩む中、より高い株式リターンを得るためには、より高い株価が要求され、それは2000年頃のdot.comバブルにたどり着くことになる。長期のCAPEの平均値は16.8であり、現在は30を越えている状況にあって、一時的な調整局面は、株式全体に取って非常に悪いニュースになるかもしれない。
しかしながら、著者は、投資家は何も株式市場だけを見ているわけではないと指摘している。彼らは利益を何も生まない現金と(本来クーポン収入のある)国債の中で選択をしている。しかし、国債は歴史的に非常に低い水準で取引されており、逆に言えば株式投資はバリュー(価値)が非常に高いのである。株式から得られる期待収益と債券のそれでは、たとえCAPEの水準が歴史的に最も高い水準にあったとしても、株式のそれは非常に高いに違いない。
こうした考えに多くの投資家は魅力を感じるかもしれない。彼らは、現在の株価に対して神経質であるが、一方で、債券に対しては全く魅力を感じていない。 だから、彼らは、(仕方なく)着たくもない汚れたシャツのよう(least dirty shirts)に株式市場に固執しているのである。
クロコダイル通信は2019年12月末日をもって連載終了となります。
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