2011/01/21 05:32 | 昨日の出来事から | コメント(2)
市場価格に正義はあるか?!
大洪水のあったブリスベンに帰ってきて2日が経ち、食料の買い出しにスーパーまで出かけたところ、予想したこととはいえ、野菜の高騰には驚きました。 通常の2倍は当たり前、物によっては3倍の値段が付けられ、「それでも、あるだけまし」だそうで、大洪水のあった先週末には、スーパーの棚から商品が殆どなくなり、更にそのことが不安心理を煽り、スーパーに買い物客が殺到して一時は入場制限するまで混乱を極めたのでした。
そのような状況にあって、今、現地では、ちょっとした話題があります。 それは、「食料品の値段が、大洪水の混乱に乗じて何倍もしているのは、正義(Justice)に反する!」という議論がテレビでも取り上げられているのです。 ここクイーンズランド州の農地の70%近くが洪水の被害を受け、野菜が通常通り出荷出来ない事を考えれば、日頃、相場で値段を追いかけている私としては「需給バランスが極端に壊れてしまったのだから、ものの値段が高騰するのは仕方ない」と思うのですが、被災した人には納得がいかないようで、「野菜が高騰しているのは、正義に反する!」と涙ながらに主張しているのです。
ところで、この「正義」という言葉は、一体、どういう意味で彼らは言っているのでしょうか?
これは私の推測の域を出ないのですが、恐らく、最初は「災害といった非常事態にあっても市場価格は『公正(Fair)』であるべきだ!」といった考えから始まったのではないかと思われますが、 それが、目の前で家は屋根まで水に浸かり、家財道具から車に至るまで全てを失い、そのやり場のない処に、人の弱みに付け込むような食料品の高騰を見せつけられ、思わず感情的になってこう言っているのではないでしょうか。
また、先日、日本に帰国した際にも、本屋で立ち読みしたある本の中でも「混乱に乗じて価格が数倍も高騰するのは正義か?」と言った議論がなされていましたが、これも、非常に違和感の覚えるテーマです。私に言わせれば、市場価格が、公正(Fair)に形成されているかどうかの議論はあっても、価格そのものに正義(Justice)もへったくれもないのです! そこにあるのは、市場価格ルールに基づいて、欲望と恐怖がぶつかり合った結果が値段という数字になって目の前にあるに過ぎないのです。 このような価格決定プロセスに正義かどうかを持ち出すこと自体、ある意味で間違っているにもかかわらず、こうした議論が時として堂々となされ、特に非常事態や混乱に陥った時に 人々にそれなりの説得力を持つこの「正義」という言葉の厄介さと危険性を改めて感じずにはいられませんでした。
クロコダイル通信は2019年12月末日をもって連載終了となります。
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2 comments on “市場価格に正義はあるか?!”
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物々交換の時代から・・
我々は・・その問題に・・悩まされてきた・・
ヴァイキングでさえ・・
理に適った・・場合・・多分・・正義が行われた・・場合・・
素直に・・取引・・
でない場合・・
重い斧を振り回した・・・
我々は・・オーストラリア人が・・買い物に・・斧を担いで・・行くか・・興味津々だ・・・
江戸時代の話ですが、ある地方で災害が起こった際、三方よしを重んじる近江商人は物資を格安で販売し、大阪商人は何倍もの値段で販売しました。
その後、世に言う打ちこわしが発生した際、大阪商人の店はことごとく破壊されたにも関わらず、近江商人の店は民衆から通常どおり営業してくれとお願いされたそうです。
価格に正義は関係なくとも誠意は関係しているんじゃないでしょうかね。