2010/12/14 03:16 | 昨日の出来事から | コメント(0)
日本語にならない言葉「民主主義」
先日、私の住むクイーンズランド州のクイーンズランド大学で外国人(オーストラリア人をはじめ東南アジアの学生)に日本語を教えていらっしゃる先生(オーストラリア人)とお話しをさせていただく機会があった時の事です。 先生曰く、
「外国の学生に、自分の知っている日本語で「日本語のある言葉」を相手に連想させるように日本語を使って説明させたところ(日本でいうところの連想ゲーム)、大概の言葉は、お互いの連想で「その言葉」を言い当てる事ができるのに、何回やっても、あるいは学年を変えてやっても、相手に連想させることの出来ない言葉があるのです。 それが『民主主義』という言葉なのです」。
そして、「いつまでたっても、出題された学生たちが分からないので、私が業を煮やして英語で一言、「democracy」と言った途端に、全員が「なあ〜〜んだ!」と言った顔で理解するのです。 これって、民主主義という言葉が、まだ、日本語に溶け込んでいない証拠なのでしょうかねえ〜。 そのくせ、日本語の軍国主義はみんな簡単に連想出来るのですが、、、」と笑われるのでした。
そして「今の日本の民主主義は、言葉もさることながら、実務的にも正しく機能してない事が選挙制度にも出ていますね。 と言うのも『税金を払っていない地方の老人の一票の価値が、神奈川県で税金を払っている若者の5倍!』もあるのでしょう?!それって、どう考えても変ですよねえ!?」と指摘されて、私は返す言葉がありませんでした。
裁判所もいい加減に、「一票の格差は違憲状態であるけれども、今、立法府でもこの見直しを検討しており、前回の選挙そのものは無効ではない」といった総花論的なことを言わず、「現在の一票の格差は明らかに憲法違反であり、前回の選挙は無効である」と立法府に厳しく迫る時が来ているように思います。 そうでないと、今の政治家に自分で自分の首を絞るような選挙制度改革など、たとえ一票の格差が10倍になっても出来る筈がありません。
クロコダイル通信は2019年12月末日をもって連載終了となります。
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