2018/10/23 05:49 | 昨日の出来事から | コメント(0)
長期保有が意味をなす時とそうでない時?!
先週号の英誌エコノミストに掲題に関する記事がありましたのでご紹介したいと思います。
1960年頃のある昼時、ある教授が仲間に賭けを申し出た。コインの表か裏かを当てるもので「もし、あなたが正しければ200ドルを上げよう。しかし、もし間違っていたらあなたは100ドルを支払う事になる」。 この有利な賭けには誰もが参加すると思われるかもしれない。しかし、たとえそうだとしても教授の同僚はその申し出を断った。彼は200ドルの儲けよりも100ドルの損をより深刻に感じたのである。彼は、「もし、(差し引き)100ドルだけ貰えるなら、それがいい」と言った。
この賭けを申し出た教授は経済学者ポール サミュエルソンであり、彼は、友人が賭けを拒否した理由を理解した。彼は「人の受け入れられるリスクの許容量は、その人によって違う」と述べている。彼は、友人の(差し引き)100ドルだけ欲しいといったことには腹が立った(リスクを取らずに儲けだけ欲しいと言ったため)。コインを何度も投げれば投げるほど損をする確率は非常に減少していく。しかし同時に、多くの回数の賭けをすると、大きな損ではないが小さな損にさらされるになる。サミュエルソンは「何度も賭ける事がたった1回の賭けよりも安全であるわけではない」と結論付けをしている。
このお昼時の賭けは、学術的な関心以上のものがあり、それは(投資の)長期保有主義に関する議論につながる。サミュエルソンは彼の友人がもたらしたこの伝統的な知恵(長期保有主義)に挑んだ。後の彼の業績において、彼は、しばしば「賭け」をたとえ話として使った。その中で、彼は、ある条件の下では、投資家は1か月の投資であろうが100か月の投資であろうが、そのポートフォリオの中では同じリスクの許容量を維持すべきであることを示した(長期保有だからと言ってリスク許容量を大きくすべきではない)。しかし、サミュエルソンが考えたこのロジックは必ずしも正しいわけではない。長期投資の方が投資家にとって有利になることがあるからである。
この議論を理解する為に、まず、「大数の法則」から議論を始めよう。この「大数の法則」とは、有利なギャンブルを繰り返せば繰り返すほど、事前に予測した(有利な)結果により近くなるというものである。1回のルーレットが回転しただけでは損をするかもしれないが、何度も繰り返せば、得られる儲けは「ハウス エッジ(その賭場の優位性)」といって若干ではあるがその優位性によって儲けが決まる。 しかし、カジノでは、100ドルの賭け受けを得るためには、同じサイズの賭けをしなければならない(同じリスクもしくはそれ以上のものを取らなればならない)。サミュエルソンの言いたいことはここの処である。もし、彼の友人が一回の賭けすら嫌うならば、99回の賭けの後の100回目も拒否すべきである。 このロジックに従えば、98回目の賭けも嫌うならば、99回目の賭けも拒否すべきである。 このようにして、彼は、全ての賭けを拒否する事になる(何もしないことになる)。
サミュエルソンは、「大数の法則の馬鹿正直な解釈は、多くの回数によってリスクが減少すると信じることを支持していることにある」と述べている。潜在的な損の大きさは、賭ける回数に伴って増加する。「もし、100ドルの損をする痛みがあるならば、100回やれば100ドル×100回の痛みがある」と記述している。 同様に、株式の長期保有を何度も繰り返すことによって儲かると信じる事は馬鹿げている。確かに、株は、一般的には長期保有によって現金や債券よりも高いリターンが得られる。 しかし、それはいつもそうであるとの保証はない。もし、株の値動きが「ランダム ウオーク(無秩序で予測不能な値動き)」であるならば、長期投資は何の有利性を持たない」とサミュエルソンは言う。
もし、あなたがランダム ウオーク理論に関心がないならば、この考えはあまり意味をなさないかもしれない。一方で、株価がトレンドと認識できる値動で変動する事がある。即ち、それはある傾向(上昇トレンド)を持っている。 あるいは、弱いながらも長期的なトレンドが反転することもある。ここにおいて、株価はある程度予測可能なものになる。 あるいは、もし株価が長期に亘り上昇するならば、時間的にそろそろ下落してもおかしくない。また、その逆もある。このようなケース(トレンドがあるケース)では、神経質な投資家は、彼らが行っている短期投資よりも長期投資により多くのポジションを保有する事が可能となるであろう。
サミュエルソンの結論は、人々のリスクに対する感じ方は、その人が如何に金持ちだろうが、貧しかろうが千差万別である事を前提にしている。事実、儲けが目標水準(例えば、退職後の年金や教育資金)に近づいて来たとき、あるいは貧困に直面すると、人々の投資行動は変わる。あるいは、そのような極端な場合でなくとも、ポジションを閉じる時はリスクを取ること以上に根拠がある。また(人々の)富の認識も変わる。つまり、若い人々は、あと何十年も働くので、彼らの富の多くは「人的資本」つまり、彼らのスキルや能力として保有されている。 こうした富は、よりリスクの高い金融の富に対するヘッジとなる。実際、より安定的な収入が多くなればなるほど、より大きなヘッジとなる。これに従えば、より若い人々は、退職が近づいている人に比べて株などのより多くのリスクを取るべきである。
サミュエルソンは、株式のリスクは時間の経過に伴って減少するという長期保有主義者に、活発な議論をぶつけた。事実、そんなこと(株式のリスクは時間の経過に伴って減少すること)はない。 (そのいい例として)株の下落をヘッジするための満期の長いオプションは、短期のオプションよりもコストが高い。勝つ確率は時間が長ければより有利である。 しかし、うまくいかなかった時はより大きな時間的価値の損失にさらされる。また、長期保有が有利あるかどうかは保有期間には関係ないことを示している。それは、あくまでもある一定の環境においてのみ有効なのである。 サミュエルソンの示したことは、「一般に考えられていること(長期保有主義)は、それほど重要なことではない」という事である。
クロコダイル通信は2019年12月末日をもって連載終了となります。
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