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The Gucci Post [世界情勢・政治・経済金融 × プロフェッショナル]

2014/07/23 15:48  | 昨日の出来事から |  コメント(1)

ブレトン ウッズ体制から70年


おはようございます。

今月は、 ブレトン ウッズ体制が敷かれて70周年となります。 先々週の英誌エコノミストにこれに関する記事がありましたのでご紹介したいと思います。

今から70年前の第2次世界大戦終了間際の1944年7月、1930年代に既に崩壊していた当時の金本位制に替わる世界の通貨(為替レート)に関する議論が、アメリカはニュー ハンプシャー州のブレトン ウッズで730名の世界各国の代表者が集まって議論されました。

世界の金融史において、金本位制に至るまでの過程をおさらいしておくと、今から約150年前までは、それぞれの国の通貨同士の交換に関する取り決め(所謂為替レート)が、まだ確立されていませんでした。 しかし、その後は、産業革命でいち早く世界市場に乗り出したイギリスが自国通貨ポンドと金との交換レートを固定する金本位制を導入し、1871年にドイツが同様に自国通貨(ドイツマルク)と金との交換レートを取り決めた金本位制を導入した事で、世界各国はこれに追随し、ここに金本位制による世界の為替固定相場制が確立され、この制度は第1次世界大戦後まで続きました。

金本位制(固定相場制)の利点は、貿易や資本の移動に際して為替レートの変動を心配する必要がありませんし、それぞれの国の規制にも影響されることはありません。 しかし、その一方で、金本位制はあくまでもある時点での静態的な為替レートの均衡値であり、それ故に将来的なインフレや経済成長の違いによる自国通貨と他国の通貨の価値の調整機能がありません。 

それでも、この金本位制は、価値が固定されている為に非常にわかりやすく、しかも便利でったことから、世界の国や人々から絶大なる支持を受け、各国の中央銀行もこれを維持すべく「鉄の意志」で自国通貨の価値の調整を行いました(具体的には自国通貨の価値と金の価値をバランスさせるための金利調節)。

しかし、ドイツとオーストリアリアが第1次世界大戦に敗北し、その膨大な戦争賠償費用負担によって自国経済が破綻した為に、彼らは1931年に金本位制から離脱します。

また、イギリスもそれまでのポンドと金の交換比率ではポンドが大幅に下落した為に、多くの人々はポンドを金に交換した為に金の保有残高が激減し、替わってフランスやアメリカの金の保有残高が大幅に伸びたことで、それまでの金本位制は崩壊してしまいました。 ご存じのように、19930年代は、経済的には1929年の世界恐慌の最中であり、金融市場における金本位制の崩壊によって、世界貿易は大いに低迷します。 (他の通貨との交換レートが確立されていませんので、世界列強は自国経済圏の中での貿易に専念するようになり(保護貿易主義:あるいはブロック経済圏の台頭)、その利権をめぐって世界は第2次世界大戦へと突入していきます。

こうした中、アメリカの経済成長は目覚ましく、世界で流通している金の流通残高の46%を占めるまでの超大国となり、1944年7月、ここに米ドルと金をリンクさせるブレトン ウッズ体制が確立されたのでした。 と同時に、この会合の中では、為替に関する取り決め以外にも、世界の自由貿易を促進させる観点から現在のWTOの前身が発足し、円滑な資金調達を促進させる観点から先進国の金融を支援する為のIMFと発展途上国を支援する為の世界銀行が設立されました(ちなみに1964年の東京オリンピックに合わせて開業を始めた東海道新幹線の費用は、世界銀行からの融資で賄われました。つまり当時の日本は、世界からみれば発展途上国扱いであったことが窺えます)。

こうして、ようやくできた米ドルと金との固定相場堰(ブレトン=ウッズ体制)ですが、これも長続きしません。第2次世界大戦後の、世界経済の急拡大によって各国の通貨供給量の増加に金の保有残高は追いつくことが出来ず、まず、イギリスが1967年に通貨切り下げを発表し、続いて、アメリカも当時のベトナム戦争で多額の戦費に浪費した為に米ドルと金の兌換をもはや維持することが出来なくなり、1971年にニクソン大統領がドルを金の兌換を停止を発表した事によってブレトン ウッズ体制は完全に崩壊し、その後の世界の為替市場は固定相場制から変動相場制移行し、現在に至ります。

思えば、為替市場における固定為替制度の歴史は、失敗と崩壊の繰り返しでもあります。 それは、何も昔の話でなく、最近でも2012年にギリシャがユーロ通貨離脱の危機に直面しましたが、これもある意味でユーロという通貨を固定(維持)させるための各国が設定した枠組みが失敗(崩壊)したと捉えることが出来ます。

また、1977年に設立されたEMS(現在のユーロの前身)においては、1992年にイギリスとイタリアが離脱しており、また、1997年に起こったアジア通貨危機もそれまで行われていたドルとの固定相場制も崩壊しました。

このように、為替における固定相場は、悉く失敗と崩壊を繰り返しているにもかかわらず、現時点において、いまだに米ドルとの固定制に固執している国があります。 それは、お察しの通りの中国です。 その中国でうが、現在は緩やかながらも変動制への移行を模索していますが、基本的にはまだ米ドルとの固定相場制と言えます。

経済学的には、「それぞれの国の経済成長やインフレ率から発生する各国通貨の価値の調整機能は市場の力によって調節させる方が(変動為替制度の方が)、政治的、あるいは金融における大きな変化に対する適応力や、それにかかるコストは固定制のそれらに比べてコストが安い」というのが定説になりつつある中、「世界第2位の経済大国が、いまだに金本位制(米ドル ペッグ)に固執するほど、為替の固定相場制は魅力的であり、これを打破するのは容易なことではない」と英誌エコノミストは締めくくっています。

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One comment on “ブレトン ウッズ体制から70年
  1. 夏の空 より
    またまた…

    勉強になる和訳を、本当にありがとうございます。
    クロコダイル通信の備忘録として、前回の「過去の金融危機から学んだこと」シリーズと併せて、とって置くこととしましたw

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