2014/05/01 14:52 | 昨日の出来事から | コメント(1)
過去の金融危機から学んだこと (1)
少し古くなりますが、英誌エコノミストに「過去の金融危機に何が起こり、そこから何を学んだか?」に関する記事がありましたので、今回と次回に分けてご紹介したいと思います。
人間のこれまでの7000年以上に亘る文明の歴史において、人間は様々な発明をしてきたが、その中でも最も重要な発明の一つに金融(Finance)を上げることが出来る。 そもそも、金融とは、その仕組みは自体は極めて単純であり、一方で、現在余っている人のお金を預かり、それを将来にわたって安全に保管することであり、もう一方では、将来の儲けを見込める人にお金を貸すことである。 また、この仕組みによって、洪水や火災や病気などから守るセーフティ ネットの役割も持っている。
さて、たったこれだけの仕組みでしかない金融であるが、過去において、この仕組みは何度もバブルを起こし、それが弾けて社会を恐怖や危機に陥れることが数多くあった。 その一方で、社会は、その危機を対処するために様々な失敗を繰り返してきたが、その中にあって生素晴らしい仕組みも幾つか生まれ、その一つは中央銀行(中央銀行としての機能)の創設であり、もう一つは現在のロンドン市場やNY株式市場などの公的な市場の設立である。
それでは、過去の起こった主に5つの金融危機を検証し、そこから何が生まれてきたかを見ていくことにする。
まず、一つ目に1792年の金融危機によって現在のアメリカの金融の礎が作られた。
1778年に独立したばかりのアメリカは、1790年には5つの銀行と幾つかの保険会社があり、当時のアメリカの財務長官Alexander Hamiltonは、イギリスやオランダのような国が運営する金融システムを構築しようとした。 当時のアメリカには、現在のような中央銀行のような機能を持った銀行はなく、唯一、First Bank of the United Statesが公的に保有されていました。
この銀行は、自社株式を発行できると同時に、アメリカ国債も発行できた為に、Alexander Hamiltonはアメリカ国債を発行しながら、それで得た資金で自社株を買って価格を吊り上げ、その株を人々に高く売っては、返す当てもない借り手に資金を大量に供給した。 また、当時のアメリカには、公設取引所もなかったことから、アメリカ各地で取引される株や債券の価格がバラバラで、各地で取引される価格の違いを鞘取りする裁定取引も横行した。
しかし、当然のことながら、こうした仕組みは長続きせず、返す当てのない借り手の倒産をきっかけにこの銀行の株と国債の価格が下落し、更には借り手の担保が不良債権化して、この銀行は国からの救済を受けることになります。 また、この時に各地で起こった取引価格の混乱を教訓に、NYのウオール ストリートに24名のトレーダーが集まって私設トレーディング クラブが設立され、それが後のNY Stock Exchangeの設立母体となります。
2つ目に取り上げる大きな金融危機は1825年の新興国マーケット危機があり、この時のイングランド銀行の対応が、現在の「Too big, to fail」の先駆けを作ります。
新興国金融危機は、何も20世紀にはじまった事ではなく、古くは1820年代まで遡ることが出来ます。
当時は、ラテン アメリカでスペインの植民支配から多くの国が独立し、新しい国家建設のために多額の資金ニーズが発生した。 これに対して、当時の世界の工場であったイギリスは積極的に機械や化学製品を輸出し、1820年から1825年の5年間に34%も輸出生産が増加して大儲けすることが出来た。おかげで、イギリスは多額の手元資金を得ましたが、問題はその資金の投資先でした。 これらの大量の余剰資金がまず最初に向かったのが国債であり、おかげで1822年には5%あった国債の利回りも1824年には3.3%まで低下してもはや投資対象としての魅力がなくなってしまいました。 そこで次に向かったのが、ロシアやプロシア、デンマークなどの新興国の債券でした。 更に、1822年から1825年には、今度は南米のコロンビア、チリやペルーも国債を発行し、現在の価値で2800億ドルの資金をロンドンで調達することが出来ました。 また、株式市場にも資金が大量に資金が流れ込み、当時のイギリスの鉱山会社Anglo Mexicanは僅か1カ月で33ポンドから158ポンドまで株価が上昇しました(明らかにバブル!)。
そして、このブームの背後に潜んでいた大きな問題は、南米とロンドンとの距離があまりも離れていた為に情報が遅れ、更に、距離が離れている為に受け渡しに6か月以上もかかった為に、こうした状況下につけ込んで詐欺なども横行しました。 極端な例としては、Gregor MacGregorが新興国の為に発行した「Poyais」債が挙げられます(それにして発行者の名前のいかがわしい事!)。 またこの時、メキシコやコロンビアの国債は、発行当初は6%台で取引されていましたが、大量に買いが集まった為にイギリス国債並みの水準まで3%台まで買われました(格付けの低い新興国の債券が最上格のイギリス国債並みの水準まで買われるのは、明らかに債券バブル)。
そこへ、南米でどんどん独立された為に財政難で苦しんでいたスペイン国債が1823年にデフォルトの危機に陥り、これをきっかけに債券市場は暴落し、1825年にはペルーの国債は40%も暴落しました。
当時、世界中の新興国の国債や鉱山株式を大量に保有していたのがイギリスの銀行で、この時の債券と株の暴落でイギリス全体の10%の銀行が、預金者からの引き出しに応じられなくなります。 小さな銀行はこの煽りでバタバタと倒産しましたが、大きな銀行にまで倒産すると社会全体が混乱すると懸念した議会は、1926年に「joint stock」という資本注入の仕組みを法制化し、危機に陥っていた大きな銀行を救済しました。 これが、現代の「Too big, To fail: 大きすぎる銀行は、潰せない」の走りとなり、ある意味では金融安定化を政府が保証する一方で、民間の大きな銀行は、「自分達の銀行は大きすぎるので、何かあった時には国が助けてくれる」と言ったモラル ハザードを起こすことに繋がります(その典型的な例として、リーマン ショック後のシティ バンク救済やイングランド中銀によるRBS救済がこれに該当します)。
(以下は次回に続く)
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One comment on “過去の金融危機から学んだこと (1)”
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無料のブログで、このようなためになる訳を本当にありがとうございます。
第2回も楽しみにお待ちしております。 拝。