2011/12/27 06:34 | 昨日の出来事から | コメント(1)
ハートフル(?!) クリスマス
読者の皆様は、今年のクリスマスをどのようにお過ごしでしたでしょうか?
私は、例年のことながら、特に用もなくクリスマス イブの夜の街をあてもなくブラブラしていたら、たまたま木造りの古い教会の前に辿りつき、そこで偶然に「今からクリスマスの礼拝をやるので、よかったらどうぞ」と信者の方に声を掛けられ、仏教徒の私ではありましたが「普段の日曜礼拝はご勘弁だが、クリスマスの礼拝とは、どんなものだろう?」と興味半分で覗いたのでした。
入り口で、蜀台に乗せられたロウソクを手に持って入った礼拝堂は、正面には大きな白樺の木を切って組まれた十字架と低い演台とピアノがあり、その前にはパイプ椅子を並べているだけの質素なものでした。
クリスマス礼拝開始の挨拶の後、外国人なのにとても日本語の上手な牧師さんが「クリスマスのお祝いのやり方は世界の国々それぞれに特徴があって、日本のクリスマスにはケーキとチキンが定番ですが、クリスマスにケーキとチキンを用意するのは日本だけです」と面白可笑しく話されていました(ちなみに オーストラリアのクリスマスは、みんなでバーベキューが定番です)。
更に牧師さんは「日本では、最近、『ハートフル(Heartful)クリスマス』、あるいは『ハートフル結婚式』等という言葉が使われますが、これも日本だけの言葉で、どうやら「心のこもった」という意味で使われているようですが、私はむしろ『心が一杯の(Heart が full』と解釈したいと思います)と、やや皮肉交じりの褒め言葉に、我々日本人は、ただ苦笑するしかありませんでした。
今年の年末は、東日本大震災や福島第一原発事故と歴史的にも稀にみる大変な1年であったせいか、巷やマスコミでは、やたらと「人の心の問題」を取り上げ、また、それを誇張しては人々の関心(視聴率)を惹こうとする見え見えの魂胆に私は辟易としていたのですが、本来は心の問題を扱うことが専門の筈の教会が、逆にこうした問題を敢えて取り上げずに、クリスマスを“素直に”楽しく過ごそうとする「ハートフルな礼拝」に心を強く打たれたのでした。
ですが、最後に参列者全員で「Holy Night」と「諸人(もろびと)、こぞりて」を大合唱することになったのですが、私だけは憮然として口を真一文字にしてうつむき、「だから、言わないことはない!異教徒の私がこのような場所にくるから、こういう羽目になる! やっぱり場違いであった!!」と後悔することしきり。
アーメン!
クロコダイル通信は2019年12月末日をもって連載終了となります。
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One comment on “ハートフル(?!) クリスマス”
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説教には肯けなくとも・・
御終いには・・
讃美歌を・・
共に歌うのが・・通常・・
説教に感動して・・
歌えば・・
貴男は・・立派な信者・・
真ん中のみを剃りあげた・・修道僧のヘァースタイル・・体格からして・・よくお似合いかと・・
さりとて・・
見えないトンスーラ・・教会で・・讃美歌合唱に・・人一倍声を張り上げる・・ぐっちーを見れば・・
トンスーラ・・は・・
なにしろ・・あのカットは・・ローマ帝国奴隷のヘァーカット・・
私はキリストの奴隷になります・・
との象徴・・
奥方の奴隷になるぐらいなら・・
キリストの・・
来年のクリスマスには・・ぐっちーと教会に・・・