2013/02/08 06:24 | 昨日の出来事から | コメント(1)
ロバート キャパとゲルタ タロー
先日、NHK特集で沢木耕太郎推理ドキュメントとして第2次世界大戦時のスペイン内戦で、「銃に撃たれて倒れる瞬間の戦士」の写真に関する番組があり、読者の皆様の中にもご覧になった方も多いと思います。 あの写真は、学生時代、世界史の教科書にもピカソの「ゲルニカ」と一緒に掲載されていたことを私もよく覚えています。
この沢木耕太郎推理ドキュメントでは、ロバート キャパが撮ったとされる写真は、実は、彼が撮影したものではなく、その時、横にいた彼の恋人ゲルタ タローが撮ったものであり、また、撮影された当の銃に撃たれた民兵は、実は、敵の銃で撃たれたのでもなければ死んでもいない」と結論づけています。
そんな推論が正しいかどうかは別として、今日は、彼の恋人ゲルタ タローについて寧ろお話したいと思います。このゲルタ タローという女性戦場写真家の本名はゲルタ・ポホイルといい、ドイツ(当時のポーランド)系ユダヤ人で、第2次世界大戦中はドイツナチスの抵抗に先頭に立った人です。
さて、彼女が、自分の本名ゲルタ・ポホイルを使わずにゲルタ タローと名乗っていたのは、自分がユダヤ人であることを隠す意味もありましたが、読者の皆様の中には気付かれた方もいると思いますが、明らかにこのタローという苗字は日本語であり、しかも漢字の「太郎」からきています。では、「この太郎とは誰か?」と言えば、そうです、私が尊敬する画家、岡本 太郎からきているのです。
読者の皆様は「えっ?! 何でこんなところに岡本 太郎が出てくるのか?」と思われるかもしれませんが、実は、1936年に岡本 太郎とキャパ(本名はアンドレ フリードマン)、やゲルタ・ポホイル等の若者たちは、フランスのカンヌはサント・マルグリッド島で一夏を過ごしています。この時のゲルタはキャパの恋人になる以前で、当時のゲルタは、ナチスドイツに殺された自分のかつての恋人の死に打ちひしがれていた時期であり、岡本 太郎はそのゲルタの悲しみに親身になって相談に乗ってあげた関係なのです。
読者の皆様は「なんで、お前はそんなに細かいところまで知っているのか? 現場にでも居合わせて見たのか?」と不思議がるかもしれませんが、当然のことながら、私はそんな場所に居合わせたわけもなければ見てもいません。 しかし、この辺りのことは、この話の真偽はともかくも岡本 太郎自身が自著「太郎に訊け!」第1巻p45で詳しく書いています。
以上の話を踏まえたうえで、もし沢木耕太郎推理ドキュメントの結論が正しく、しかも岡本 太郎自身が書いている話が本当なら、「真実」は以下のようになります。
ロバート キャパが撮ったとされる世紀の戦場写真「銃に撃たれて倒れる瞬間の戦士」は、彼の作品ではないどころか、その写真は、実際の戦場の写真ではない。 しかも銃で撃たれた事になって写真に写っている民兵は、訓練中につんのめってひっくり返っただけで死んでもいない。 そして、この訓練中につんのめってひっくり返っただけの人を撮影したのは、キャパの隣にいた恋人のゲルタ タローであり、そのゲルタは、岡本 太郎を心の中で愛していた。 それが証拠に、彼女は公では心の中の恋人の名前を使ってゲルタ タローと名乗り、しかも、のちにロバート キャパのプロポーズをも断って彼とは行動を別にしているのです。
その後の彼女は、かつての恋人を殺害したドイツナチスに激しく抵抗する為に更に前線で活動し、心の中の恋人「タロー」の名前を胸により多くの写真を撮り続けましたが、1937年7月25日、あろうことか自分が支持する共和国軍の戦車に衝突されて負傷し、翌26日に27歳の短い生涯を閉じたのでした。
「真実は小説よりも奇なり」では済まされない歴史の「重み」と「凄み」を感じにはいられません。
クロコダイル通信は2019年12月末日をもって連載終了となります。
現在有料版にはお申し込みいただけませんのでご了承ください。
当社に無断で複製または転送することは、著作権の侵害にあたります。民法の損害賠償責任に問われ、著作権法第119条により罰せられますのでご注意ください。
One comment on “ロバート キャパとゲルタ タロー”
荒木輝二 にコメントする コメントをキャンセル
いただいたコメントは、チェックしたのち公開されますので、すぐには表示されません。
ご了承のうえ、ご利用ください。
NHKで放映されました「キャパを巡る3人の女」でバーグマンの資料が絶版になっているとかで、どなたかバーグマンについての資料があればと思っております。相思相愛だったようですとテレビは伝えていましたが。