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2019/03/14 07:38  | コラム |  コメント(1)

明治維新の疑問71

久光は予定通り・・勅命で率兵上洛を遂げた。
京の町は・・尊王攘夷のテロ事件の嵐が吹きすさび・取り締まる京都所司代が・命をねらわれ・
警備が厳しい二条城に逃げ込む程だった。京都町奉行所の4名の与力が首を跳ねられ・・河原町の河原に晒される逆転現象が起きていた。

朝廷は久光の上洛を悦び・・京都の警備を命じた。幕府ではなく・天皇が久光に京都警備を命じるのは・明らかに行き過ぎた行為だった。帝に言わせると・・所司代が用を足せない状態では・・勅命を出さざるを得ないとなる。幕府の京都での非力さを示す事になる。その原因は孝明天皇の攘夷にあったのだが。

尊王攘夷は忽ち静まった。薩摩藩が討幕すると誤解していた。久光は頑固な佐幕派で・・幕府を倒す積りは毛頭なかった。西郷が最後の詰めで・・久光を裏切って・慶喜を蹴り出したに過ぎない。世間は勝手に思い込み・信じ込み・久光はいつの間にか尊王攘夷派に見做されていた。久光は亡き斉昭の意志を継ぎ・上洛しただけで・亡き兄がドンナ魂胆で・薩兵5000を率いて上洛を企てか・聞いていなかった。余りにも早い急死だった。
ただ斉彬が5000の軍勢で上洛すれば・・井伊大老と激突・幕府との戦になった可能性はある。
斉彬の腹心算は未だに不明のままだ。

薩摩藩内の過激派は・・久光が浪士鎮撫の命を受けた事に・驚愕すると同時に憤激した。彼等は久留米の神主真木と他藩の狂信派と吊るんでいて・幕府派の関白と所司代を誅殺し・それらの生首を久光に突き付け・決起を促す所存だった。
その魂胆を知った久光は・・過激派を上意討ちにする事を決めた。それが有名な寺田屋事件だ。
壮絶な斬り合いで・・過激派は6名が死亡した。投降者は21名だったが・・その中に日露戦争で司令官を務めた大山厳(弥助)がいたのは・・日本にとって行幸だった。大山が居なければ・・日露戦争はどうなったか・・行く末は不明だったろう・・・

あれ程軍事的失敗を繰り返し・・203高地で余力を消耗させ・兵力的に息切れさせた第三軍乃木将軍は・無能だったが・長州人故失策を償わされ・更迭される事は無かった・・・第7師団(旭川)だけで、15,000人ほどの兵力が5日間で約3,000人にまで減少した。
( ^ω^)

One comment on “明治維新の疑問71
  1. おののののか より:
    異夢

    すぐ近くの彦根藩が京都を取り締まればと思ってしまう。笑。

    結局、久光と西郷は同床異夢だが、小松帯刀や大久保が上手くやっていたのだろう。維新後、久光はどんな気分だったろう。回顧録みたいなものはないのだろうか。西南戦争の直前、久光は西郷に何か言ったのでは。笑 国父という立場が面白い。よくやってくれたと思う。

    騙されたと死ぬまで悔しがっただろうな・・・
    ( ^ω^)

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