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2019/03/12 22:28  | コラム |  コメント(1)

明治維新の疑問69

西郷は初対面の久光との際・・久光の側近を・久光の上洛計画を・
「浮浪輩の諸正論」とか「畳の上の水練」等と称して痛罵したそうだから・・普通なら腹切りものになる。協調性が欠ける西郷の本性が剥き出しになった。なると同時に西郷の幼稚性をも暴露したものになる。これは征韓論による下野と直結するものであり・・西南戦争の糸ががりを掴むものでもある。西郷は独断専行で何かにつけて・・独走する癖があった。

西郷の盟友と呼べる幼馴染や友や多くの薩摩侍の証言では・・
郡方書役助をしていた西郷の評判は最悪だった。
①度量が偏狭
②頑迷
③一旦人を憎むとずっと憎み続ける
④好き嫌いが激しい
⑤好戦的で策略好き

友人にはしにくい・・付き合いが難しい男だったのが判る。斉彬が西郷を抜擢する際も・・周辺では強い反対があった。粗暴で職場での人間関係が結べない問題児だった。斉彬は自分と全く正反対の西郷を登用した。アクの強さと押し出し・悪党面を評価したのだろう。悪党面は本人も自覚していて・・大の写真嫌いになった可能性がある。渡世人の大親分としても通った。

隠居した斉彬の父親を笠に着て・・斉彬の命を聞かない重臣たちを・・西郷は立腹して・排除を斉彬に迫った事があった。排除とは粛清であった。そして斉彬に諫められた。
どんな人物でも時に役に立つ事がある。従って役に立たないからと言って・切り捨てるのではなく・上手く使いこなす度量を持たなければならない。

半面西郷は・・明治政権の中で・長州勢の腐敗を子供のように憎む・侍らしい一面もあった。
「これでは負かした徳川に申し訳ない」
と愚痴をこぼしていたらしい。汚職が絶えない井上薫には「三井の番頭」と公然と呼んでいた。
それ程官軍なって勝利を収めた長州勢は・・公家の岩倉を含め・私腹を肥やし続けていた。陸軍を
握った山縣は・・山縣三名園を残しているが・・どうしてそんな莫大な財が・陸軍の将官の手に入ったのだろうか・・・
( ^ω^)

One comment on “明治維新の疑問69
  1. おののののか より:
    西郷・・・

    何か小沢一郎に似ていないでもない。相手を倒すまでが使命の男。笑 

    西郷が、これでは負かした徳川に申し訳ない、というくらいだから、うわさ通リ長州閥はひどかったんだろうな。本命ではない、怨念を持つただの過激派に、軒を貸して母屋を取られればこういうことになる。

    そういえば、グラバースクールの学級写真には、井上多聞と添書きされた人物がいた。多聞も竜馬も青少年だった。日本人は子供っぽく見えてしまう。たしか山縣も入っていたと思う。顔が思い出せない。山縣は金丸信に似ているな。笑

    明治政府は藩閥が総てで・・薩長土佐以外なら・相手にされなかったそうだ・軍でもね。まず最初に何処の藩か尋ねられた。
    今なら東大出でなきゃ・官庁では相手にされないと同じさ・・・

    ( ^ω^)

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