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2019/02/14 21:07  | コラム |  コメント(2)

明治維新の疑問㉓

老中首座堀田は・・通商条約の勅許を得る為・安政4年末・1857年末・林大学頭・目付津田正路を・
京に先発させ・公家達に通商条約締結はやむを得なかったと説明させた。
翌年1月21日・堀田は勘定奉行川路・目付岩瀬らを随行させ・入京・勅許を得るべく活動した。
堀田は・・議奏二卿・伝奏二卿と面会し・国外情勢を詳しく述べた上で・

「開国通商は宇内の大勢にして・鎖国攘夷は天下の大患なり」
と言上・力説した。
又幕府は・・堀田の朝廷工作を支援する為・皇室と関白九条と前関白鷹司に各々1万両・武家伝奏にも各々千両贈呈する事にして・堀田はまず7千両を各方面に届けさせた。

露骨な買収工作だったが・朝廷や公家は飛びつかなかった。全くなびこうとしなかった。これは公家達の矜持だったのか・・幕府の足元を見て取って・もっと多額を要求する魂胆だったか・史書にも公家の日記にも残されていない。ただ堀田はドジった事は確かだった。

言えるとしたら・・老中首座堀田は・読み違えていた事は確かだ。肝心なところで甘さが露呈した。
とくに孝明天皇は・・西洋人嫌いだった。九条関白への手紙にも・・
「夷人の願い通りになっては・・天下の一大事であり・伊勢神宮はじめに対して・恐懼の至りであり・皇祖に対しても不幸であり・自分は身の置きどころもない」
と記された。更に・・幕府が多額の金銭の贈呈を企画している事を・
「堀田正睦が莫大な献上物をするそうであるが・・献上物がどれ程多額であっても・それに目が眩んでは・天下の災害の元となる。とかく黄白には心迷うがものであるが・今度のことは心を迷わせては大変なことになる」
と退かせた。

条約問題を黄白(金)で 解決を図った老中首座の目論見は・・天皇の潔癖感によって・見事打ち砕かれた。関白以下公家達はもったいない・惜しいと垂涎だったかも知れないが・
天皇の言葉を覆す力はなかった。さぞ地団駄踏んで眠れなかった貧乏公家は多かっただろう。
老中首座は金で釣られない・ヤンゴトナイ方が鎮座されている事を。身に染みて分かった。

それでも・・孝明天皇は・大納言や中納言・参議らに・外交問題について意見を上申させた。
「墨夷の要求に従うのは神州の恥」
「条約を謝絶して戦ともなれば・これを打ち払うべし」
「諸大名と会議して異人の到来を厳禁にすべし」
強硬な攘夷論が大勢を占めた。武士よりも公家の方が勇ましかった。

この成り行き見守っていた・越前藩士で開国論者である橋本佐内は・・
「憎むべきは書生の輩がしきりに流言を飛ばす事だ。公家達に西洋の事情を話して・説得しても・
昔気質で殆ど理解せず・困ったものだ。
これでは・・政権が公家から武家に移ったのも当然ことだ」
と嘆いている。

左内は時世を見抜いていた若き俊英だったが・・一橋慶喜を主の春嶽とともに担ぎ・井伊直弼と対立した故・春嶽が隠居謹慎を命じられると、将軍継嗣問題に介入したことを問われて取り調べを受け、1859年11月1日(安政6年10月7日)、伝馬町牢屋敷で斬首となった。享年26(25歳没)WIKI・・・
( ^ω^)

2 comments on “明治維新の疑問㉓
  1. おののののか より:
    責任

    橋本左内の言う通りで、大政無能力者の朝廷が、攘夷だ開国だ、右往左往するのは当たり前だ。

    幕府がそんな朝廷に本当にお伺いをしてどうするの。政権が武家に移った清盛以来、鎌倉、室町、信長、秀吉、家康、誰もそんな醜態をさらしていない。この時代責任は武家にある。特に外交では。勝手に遷都したり、日本国王に任ぜられたり、大軍で朝廷を威圧したり、天皇を島流しにしたり、権力の道具にしたりもしている。

    江戸幕府は史上最強の巨大幕府だ。それなのに、それゆえか、270年の鎖国太平を望み、水戸学など発生させ、日本の性格を変えてしまった。引きこもりだ。家康の意志だ。その結果が自信を失った幕末の幕府と雄藩に出た。

    朝廷は大政無能力者だが、時代の変わり目によく密勅を出し世を変える。だがそれは幕府の趨勢次第だ。幕府と雄藩はその趨勢を朝廷に自ら出してしまった。この後実際密勅が出るわけだ。まして大政奉還後など、倒幕の密勅を普通に出しますよ。

    堀田は蘭狂・インテリだったが・武家政治のタブーを破ってしまった。
    金で解決を図ると言う商人の算盤を弾いてしまった。
    鎖国はもって百年だな。
    東照神君は鎖国は百年・後は開国せよと遺言を残すべきだった・・・( ^ω^)

  2. おののののか より:
    その通り

    だから、この時の倒幕の密勅は、歴史の流れで考えた場合、幕府に対してだけでなく、武士階級全体に対して出されたということになる。家康は既に武士の廃業までやってしまっていたということになる。確かに江戸の実態と合っている。幕末には幕臣でさえ、武士は何の役にたっているのかと自白した者もいる。

    これは勝ったつもりの、薩摩武士には一番理解できなかっただろう。もう斉彬はいない。だから反乱を起こす。実態は国体史上初めて外国の介入が行われたということだ。残念ながら維新は全て自主的ではない。勝海舟が最後は英国と組んでやったとさえ解釈してもおかしくない。

    270年も鎖国太平をやっていたのだから仕方ない。それを意識されないよう上手くやるのが列強のテクニックだ。現在でもそうだ。幸い日本には天皇制という空洞があるので、そこに籠っていればあまり意識せずに済む。マッカーサーもこの空洞を壊せば、どうなるかよく解っていたのだろう。

    武家政治が消滅した以上、一体どうすればよいのか。失業した武士達。武家時代はずいぶん長かった。帝国主義の時代、そりゃ軍国主義で吸収できれば乗り切れそうだ。近代化が目標だから、まず中央集権が必要だ。残っていたのは天武以来の国体律令制。ほとんど形骸化していたが。江戸時代にだいぶ水戸学の影響を受けてしまった。これは明治憲法にも反映しているのでは。・・・またこのコラムに導かれて考えるか。

    幕臣を含め・・士族階級は・・官僚や軍人になった。軍の強さは士族が士官で占めていた。
    西郷は西南の役を起こした為・・いかに無能であったか示した・・・

    ( ^ω^)

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